3月4日は朝日カルチャー中之島教室の現地講座で、京都府南丹市にある山城「八木城」に登りました。
内藤ジョアン顕彰碑
下山後は朝の集合時間前にリサーチしていた「米儀福寿堂」へ。
嵯峨野線の八木駅も綺麗になり、2階からは今から登る城山が間近に見えます。
講師は城郭研究の第一人者・滋賀県立大学名誉教授の中井均先生です。
八木城は京都府南丹市八木町の城山(標高330m)に築かれていたと伝えられる山城で、現在確認されている遺構から東西約700m、南北約900mあり、日本でも最大規模の山城である事が伺えます。
ここは珍しく?駅から登山口が近いのがいいです。
地図に書かれている○○曲輪などの名称は全て江戸時代に付けられたそうです。
内藤ジョアン顕彰碑
八木城ゆかりのキリシタン武将・内藤ジョアンの石碑です。
生涯を終えたマニラの地にも同じ形状の石碑が建てられているそうです。
八木城の築城年代は定かではないですが内藤氏が戦功により足利尊氏から八木の地を賜り、八木城を築城したと伝えられています。
当時は城と言うより砦のようなものだったと考えられています。
登山道には当時の家臣のお墓でしょうか?宝篋印塔が数カ所確認できます。
室町時代に丹波地方を細川氏が守護するようになると、永享3年(1431)に内藤氏が丹波守護代に任命され、八木城を拠点に勢力を拡大していきました。
約1時間で本丸下の二の丸跡まで来ました。
織田信長による足利義昭追放で室町幕府が崩壊し、信長の命で明智光秀による丹波攻略が始まり天正3年(1575)に八木城は落城しています。
その後、光秀が亀山(亀岡)城を築城し本拠地とし城の改修が行われ、以降は亀山(亀岡)城の支城として存続しましたが、本能寺の変後に廃城になっています。
光秀時代のものでしょうか?石垣が数カ所に渡って確認できます。
また、山城らしく敵の侵入を阻止する為に「堀切」もハッキリと確認することが出来ます。
(中井先生の説明では、現在は窪み部分が土や落葉などの堆積物で覆われていますが、発掘調査をするとV字型の「堀切」が確認出来るかも知れないとのお話でした。
本丸跡東側からは亀岡方面が一望出来ます。
しかし、見事な石垣が残っています。
下山後は朝の集合時間前にリサーチしていた「米儀福寿堂」へ。
代表銘菓の「栗大納言」と「如安」をそれぞれ2個購入しました。
「栗大納言」は最中ですが、今や高級食材のひとつ丹波栗が丸ごと1個と求肥が、餡にはこれまた高級食材の丹波大納言小豆が使われている和菓子です。
1個280円しますが、皮と栗、求肥、餡とのバランスが素晴らしく、和菓子好きにはたまらない美味しさです。
あと3個くらい買っておきたかったです!
もう1種類の「如安」にも丹波栗が丸ごと1個入ったココア味の焼菓子です。
こちらはコーヒーにも合いそうです。
知らない土地で地元の名物に出会うのも楽しみのひとつです。
「御城印」は駅周辺のお店(八木町観光協会指定)で買い物をすると頂けます。