
4月18日、観心寺のご本尊如意輪観音像(国宝)のご開帳で、その美しいお姿に感動し、次に同じ河内長野市にある古刹・天野山金剛寺を拝観しました。




































天野山 金剛寺は、奈良時代、天平年間(729~749年)に聖武天皇の帰依を受け、日本最初の大僧正の位を授けられた和泉国出身の高僧の行基によって開かれたとい言われています。
また、平安時代に弘法大師空海が修行した聖地と言われています。


金剛寺は、その後400年のあいだに荒廃してしまいます。
しかし、平安時代の終わりに高野山より和泉国阿出身の阿観上人が、この地に入られ、後白河上皇とその妹の八条女院の篤い帰依と庇護を受けました。
そして阿観上人は、高野山より真如親王筆の弘法大師像を拝受し御影堂を建立し、伽藍の再興に務められました。
その縁をもって、金剛寺は、八条女院の祈願所となりました。
これ以後、貴賤を問わず多くの女性が金剛寺に帰依し、高野山が女人禁制だった為「女人高野」とも呼ばれるようになりました。




拝観は本坊エリアと伽藍エリアとに別れていて、共通券も販売されています。
先ずは本坊エリアから拝観します。
金剛寺が所蔵する国宝5点のひとつ「日月四季山水図 <じつげつしきさんすいず>」
6曲1双(室町時代)です。
四季が美しい色彩で描かれた6曲1双の屏風。
室町末期16世紀中頃に描かれたといわれています。作者は不明ですが、図案的構図と装飾的画趣は独創的で、桃山時代の作とする説もあるそうです。
(御殿内に展示されているのはレプリカです。)


鎌倉時代の終わりに、金剛寺は、後醍醐天皇の倒幕に味方した当地の武将楠木正成が戦勝祈願を依頼したり、学頭禅恵と後醍醐天皇の腹心文観との関係から、南朝方と深く結びつきました。


南朝の後村上天皇が正平9年(1354)から5年にわたり、子院の「摩尼院と「食堂〔じきどう〕」を行宮としました。
その間、3年あまり、京都から連れ去られてきた北朝の三上皇(光厳・光明・崇光)及び直仁親王が、子院「観蔵院」に幽閉されたことがありました。




本坊の拝観を終えて金剛寺楼門に向かう道沿いは桜ともみじとが交互に植えられています。
緑色の花を咲かせる桜の品種・御衣黄桜や紅八重桜が見頃を迎えていました。




金剛寺の美しい伽藍の数々です。
平成21(2009)年より始まった、「平成大修理」では、調査~基本設計から、解体~調査・検討を繰り返し、金堂・多宝塔・鐘楼の保存修理がされました。
古い素材を大切に残しながら、9年の長い歳月を経て平成30年(2018)に大修理が完了しています。

ここ最近では、観心寺のご本尊如意輪観音菩薩像のご開帳に合わせて金堂内部が特別公開されています。


ご本尊は金剛界大日如来坐像、脇侍には不動明王坐像、降三世明王像がお祀りされています。
平成29年(2017年)には三躰同時に国宝指定を受けています。




天野山金剛寺を満喫し、河内長野駅まで戻って来ました。
ここで終わらないのが我々三人組です。



河内長野駅前にある商業ビル「ノバティーながの北館」一階にあるフルーツギフト&デザートカフェ ツルザワへ。
僕は初めてのお店では、お店の方に"おすすめ"をお聞きして注文するようにしています。
(ほとんどハズレはないです。)
注文したのはコーヒーセット "6ピースのフルーツサンドとホットコーヒー"です。
フルーツが新鮮で非常に美味しかったです。
フルーツパーラーに併設されているカフェはほぼ間違いなく美味しいです。
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