「ビョーキ」という言葉は、このノートで何度か出て来ている80年代の流行語。それについて、浅田彰『逃走論』を頼りに考えてみる。
「たとえば川崎徹さん。彼は……どうしようもない紋切型にみんながシラケちゃった、そのシラケを見事に逆手に取った広告を作ることで、紋切型に対する鮮やかなスキゾ批評を展開してきたひとだと思う。ところが、それ、ヘタすると空回りする危険があるわけ。たとえば藤島親方やなんかの「サントリー生樽」はホント見事だと思うけど、江川の「メンフラハップ」ってやっぱりちょっと後味が悪いのね。これ、非常に微妙な違いで、何て言ったらいいかわかんないんだけど、あえて言えば、笑いがユーモラスなものからアイロニカルなものに転ずる境目のあたりでビョーキが発生するんだと思う。」(浅田彰『逃走論』p. 28)
この文章は、北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』でも引用されているものです。
最後の「笑いがユーモラスなものからアイロニカルなものに転ずる境目のあたりでビョーキが発生する」
という定義に北田は注目している。ユーモアとアイロニー(イロニー)とは、柄谷と浅田が当時いだいていた思考の枠組みのことである。
「メタレベルとオブジェクトレベル(メタレベルにおいて対象化される「ベタ」のレベル)が「交替しつつ繰り広げる永遠ののイタチごっこの中にとらわれ」、「そのつどのレベル間の落差を」「肩をすくめながら背に負う」のが、「近代資本主義のイロニー」であり、二つのレベルの「交替運動からさらに自由になって、ふたつのレベルに同時に足をかけているという事実をそのまま肯定すること」、「ふたつのレベルの間の決定不能性を、それがもたらすゆらぎを、笑いとともに享受すること」こそが、ユーモアである、と。ごく簡単にいえば、(ア)イロニーとは、メタ/ベタ(紋切型)という区別を前提としたまま、メタを志向し続けるパラノイア的な行動原理、ユーモアとは、メタ/ベタという区別=前提そのものをやりすごす実践ということができるかもしれない。」(北田 p. 148)
「ビョーキ」という語は、80年代を通じて流行した言葉であるけれども、いまふり返るとその内実はあまりよく分からない、リアリティを失った言葉だと思う。
『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』(1984)のなかに「差異化のパラノイア」という論考が入っていて、それは広告論であり、広告を素材としたビョーキ論である。
ユーモアかアイロニーかは、直接、スキゾかパラノかという区別に繋げられている。二つの簡潔な定義がこの文章にあって、
「スキゾ型ってのは分裂症型の略で、そのつど時点ゼロで微分=差異化してるようなのをいい、パラノ型ってのは偏執型の略で、過去のすべてを積分=統合化して背に負ってるようなのをいう。と言っても何だかはっきりしないけど、ギャンブル志向とためこみ志向、逃げることと住むこと、なんていう対比で考えると、少しはイメージが沸くんじゃないかと思う。」(p. 23)
浅田は、タイトルにもあるように、広告というのは、「スキゾ・キッズのプレイグラウンド」のように思われているが(80年代のCMを想起せよ)、結局企業活動を背後にしている限り、広告の人間は「パラノ化されたスキゾ人間」が「自由に遊ぶことを強制されてる」状態でしかないと批評する。
パラノもスキゾも病気へと至る可能性がある。パラノの病気は、「何も考えずにひたすら一定のパターンを繰り返し追求するってのがこの病気の病気たるゆえん」(p. 27)で、スキゾの病気というのは、先述したような「ビョーキ」、つまり、「ユーモラスなものからアイロニカルなものに転ずる境目のあたり」で発生する「ビョーキ」のことを指す。「アイロニカル」とは、「ややナナメ上から笑っているというか、笑ってる口もとが微妙にひきつってるというか、笑い声が自分の声じゃないような気がするというか」(p. 28)を症状とする。
「ビョーキ」は、当時、結構ひとが積極的に用いた言葉だ。自分は「ビョーキ」だ、と。それは、他人を自分と差異化するまさにアイロニカルな嘲笑をともなった「ビョーキ」だろう。けれども、重要なのは、スキゾのあるべき姿はこの「ビョーキ」ではないということ、むしろアイロニカルな振る舞いではなく「ユーモア」こそが求められているということである。
「このビョーキになるかならないかというギリギリのところを走ってる広告が、いちばん面白いんですね。そこでビョーキから逃れつづけるカギってのは、やっぱり、さっき言ったようなユーモア感覚じゃないかと思う。アイロニカルな笑いの場合、どこかに必死でがんばっているっていう面が隠されてて、それで、ナナメ上からの、ひきつった、うつろな笑いになっちゃう。パロディやトリックによって差異を差異として楽しんでるようにみえて、その実、差異をあざとく人目をひくための手段にしちゃってる。ユーモラスな笑いってのは、そういうこわばりを捨てた上で、いろいろズレや矛盾もあるけどそれを全部ひっくるめて一緒に笑おうよ、という笑いなんですね。それこそが、差異を差異としてたのしむための条件じゃないかと思うのです。」(p. 29)
こういう文章を読んでいると自分の批評のスタンスがこうした対比の内にあると思わされてしまう。自分でそんなに自覚している訳ではないのだけれど、ぼくはそういう文章に説得力を感じる人間、浅田的な思考の形式にとにもかくにも影響を受けた人間なんだと感じさせられる。さらに思い切って書いてしまうと、「ひきつった」「こわばり」という身体のあり方を連想させる表現が出てきますが、ぼくがダンス批評に執着しているのは、こうした「ひきつり」とか「こわばり」が気になるからなんだと思う。もちろんそれはそのまま身体の「ひきつり」「こわばり」だったりもするのだけれど、もっと精神のそれらだったりを感じることもある。先述した会田誠的「アイロニー」を批判したくなってしまうのも、こうした思考を背景にしている気がする。
話を戻して、いくつかYou Tube頼りに、浅田のアイロニー批判を辿ってみると。
「藤島親方やなんかの「サントリー生樽」はホント見事だと思うけど、江川の「メンフラハップ」ってやっぱりちょっと後味がわるいのね」(p. 28)
「名作のほまれ高い「関西電気保安協会」だってひっかかるところがあるわけです。あれはたしかにスゴイ。シロウト特有のズレというか、間のぬけた感じというか、そういうものを見事にとらえきってる。だけど、それ、やっばり「残酷までに見事なのよね。あの笑いの中には、シロウトのオジサンたちに対する、そしてまた、それを見て笑ってる自分に対する、一抹の嘲笑が混じってるのよね。」(p. 28)
『嗤う日本の「ナショナリズム」』では、先ほど取り上げたユーモア/アイロニーから川崎徹をとくに『元気が出るテレビ』へとシフトしつつ論じて行く。
「八〇年代なかば、川崎徹(的なもの)=イロニーは、マスメディアという回路に接続されることによって、糸井重里(的なもの)=ユーモアに勝利したのだ。」(北田 p. 152)
『元気が出るテレビ』の議論は、中森明夫の次の引用を取り出すことでピークを迎える。
「「元気が出るテレビ」の主役は、たけしでも熊野前商店街でも……なく、実は"テレビ"そのものである。テレビがはやらせれば絶対はやるんだということを"冗談"としてやってみる、あるいはテレビの持つファシズム性みたいなものを、あえてオモチャとして使ってみる。はやり方、はやらせ方のメカニズムを見せる。メカニズムそのものを見せるだけだから機材は別になんでもいい。むしろ荒川区熊野前商店街とか横浜商科大学といったはやりにくいもののほうがおもしろいし、川崎徹氏といったはやらせる人を登場させ、さらに会議の段階から見せる。完全にテレビの裏側、メカニズムを見せる番組なのである。」(中森 北田 p. 154)
北田はこれを受けて、こう整理してゆく。
「ポイントとなるのは、(1)素材の凡庸さと(2)テレビ的演出の顕在化である。通常のドキュメンタリー番組であれば、素材は何らかの有徴性・非日常性を持っていなければならないし、また、素材加工=物語化のプロセスは基本的に隠匿されなくてはならない。……『元気が出るテレビ』の方法論は、そうしたドキュメンタリー番組の「お約束」を逆手にとったものだ。……それはいわば、テレビ自身が、《あらゆるテレビ番組はヤラセ(演出的)である》という残酷な真理を告白しているようなものだ。」(p. 155)
この(1)素材性と(2)システムの露出は、85年以降のアイドル、おニャン子クラブと小泉今日子の素人性と自己言及性にあまりに正確に対応している。85年(以降)の型が見えてきた気がする。
「たとえば川崎徹さん。彼は……どうしようもない紋切型にみんながシラケちゃった、そのシラケを見事に逆手に取った広告を作ることで、紋切型に対する鮮やかなスキゾ批評を展開してきたひとだと思う。ところが、それ、ヘタすると空回りする危険があるわけ。たとえば藤島親方やなんかの「サントリー生樽」はホント見事だと思うけど、江川の「メンフラハップ」ってやっぱりちょっと後味が悪いのね。これ、非常に微妙な違いで、何て言ったらいいかわかんないんだけど、あえて言えば、笑いがユーモラスなものからアイロニカルなものに転ずる境目のあたりでビョーキが発生するんだと思う。」(浅田彰『逃走論』p. 28)
この文章は、北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』でも引用されているものです。
最後の「笑いがユーモラスなものからアイロニカルなものに転ずる境目のあたりでビョーキが発生する」
という定義に北田は注目している。ユーモアとアイロニー(イロニー)とは、柄谷と浅田が当時いだいていた思考の枠組みのことである。
「メタレベルとオブジェクトレベル(メタレベルにおいて対象化される「ベタ」のレベル)が「交替しつつ繰り広げる永遠ののイタチごっこの中にとらわれ」、「そのつどのレベル間の落差を」「肩をすくめながら背に負う」のが、「近代資本主義のイロニー」であり、二つのレベルの「交替運動からさらに自由になって、ふたつのレベルに同時に足をかけているという事実をそのまま肯定すること」、「ふたつのレベルの間の決定不能性を、それがもたらすゆらぎを、笑いとともに享受すること」こそが、ユーモアである、と。ごく簡単にいえば、(ア)イロニーとは、メタ/ベタ(紋切型)という区別を前提としたまま、メタを志向し続けるパラノイア的な行動原理、ユーモアとは、メタ/ベタという区別=前提そのものをやりすごす実践ということができるかもしれない。」(北田 p. 148)
「ビョーキ」という語は、80年代を通じて流行した言葉であるけれども、いまふり返るとその内実はあまりよく分からない、リアリティを失った言葉だと思う。
『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』(1984)のなかに「差異化のパラノイア」という論考が入っていて、それは広告論であり、広告を素材としたビョーキ論である。
ユーモアかアイロニーかは、直接、スキゾかパラノかという区別に繋げられている。二つの簡潔な定義がこの文章にあって、
「スキゾ型ってのは分裂症型の略で、そのつど時点ゼロで微分=差異化してるようなのをいい、パラノ型ってのは偏執型の略で、過去のすべてを積分=統合化して背に負ってるようなのをいう。と言っても何だかはっきりしないけど、ギャンブル志向とためこみ志向、逃げることと住むこと、なんていう対比で考えると、少しはイメージが沸くんじゃないかと思う。」(p. 23)
浅田は、タイトルにもあるように、広告というのは、「スキゾ・キッズのプレイグラウンド」のように思われているが(80年代のCMを想起せよ)、結局企業活動を背後にしている限り、広告の人間は「パラノ化されたスキゾ人間」が「自由に遊ぶことを強制されてる」状態でしかないと批評する。
パラノもスキゾも病気へと至る可能性がある。パラノの病気は、「何も考えずにひたすら一定のパターンを繰り返し追求するってのがこの病気の病気たるゆえん」(p. 27)で、スキゾの病気というのは、先述したような「ビョーキ」、つまり、「ユーモラスなものからアイロニカルなものに転ずる境目のあたり」で発生する「ビョーキ」のことを指す。「アイロニカル」とは、「ややナナメ上から笑っているというか、笑ってる口もとが微妙にひきつってるというか、笑い声が自分の声じゃないような気がするというか」(p. 28)を症状とする。
「ビョーキ」は、当時、結構ひとが積極的に用いた言葉だ。自分は「ビョーキ」だ、と。それは、他人を自分と差異化するまさにアイロニカルな嘲笑をともなった「ビョーキ」だろう。けれども、重要なのは、スキゾのあるべき姿はこの「ビョーキ」ではないということ、むしろアイロニカルな振る舞いではなく「ユーモア」こそが求められているということである。
「このビョーキになるかならないかというギリギリのところを走ってる広告が、いちばん面白いんですね。そこでビョーキから逃れつづけるカギってのは、やっぱり、さっき言ったようなユーモア感覚じゃないかと思う。アイロニカルな笑いの場合、どこかに必死でがんばっているっていう面が隠されてて、それで、ナナメ上からの、ひきつった、うつろな笑いになっちゃう。パロディやトリックによって差異を差異として楽しんでるようにみえて、その実、差異をあざとく人目をひくための手段にしちゃってる。ユーモラスな笑いってのは、そういうこわばりを捨てた上で、いろいろズレや矛盾もあるけどそれを全部ひっくるめて一緒に笑おうよ、という笑いなんですね。それこそが、差異を差異としてたのしむための条件じゃないかと思うのです。」(p. 29)
こういう文章を読んでいると自分の批評のスタンスがこうした対比の内にあると思わされてしまう。自分でそんなに自覚している訳ではないのだけれど、ぼくはそういう文章に説得力を感じる人間、浅田的な思考の形式にとにもかくにも影響を受けた人間なんだと感じさせられる。さらに思い切って書いてしまうと、「ひきつった」「こわばり」という身体のあり方を連想させる表現が出てきますが、ぼくがダンス批評に執着しているのは、こうした「ひきつり」とか「こわばり」が気になるからなんだと思う。もちろんそれはそのまま身体の「ひきつり」「こわばり」だったりもするのだけれど、もっと精神のそれらだったりを感じることもある。先述した会田誠的「アイロニー」を批判したくなってしまうのも、こうした思考を背景にしている気がする。
話を戻して、いくつかYou Tube頼りに、浅田のアイロニー批判を辿ってみると。
「藤島親方やなんかの「サントリー生樽」はホント見事だと思うけど、江川の「メンフラハップ」ってやっぱりちょっと後味がわるいのね」(p. 28)
「名作のほまれ高い「関西電気保安協会」だってひっかかるところがあるわけです。あれはたしかにスゴイ。シロウト特有のズレというか、間のぬけた感じというか、そういうものを見事にとらえきってる。だけど、それ、やっばり「残酷までに見事なのよね。あの笑いの中には、シロウトのオジサンたちに対する、そしてまた、それを見て笑ってる自分に対する、一抹の嘲笑が混じってるのよね。」(p. 28)
『嗤う日本の「ナショナリズム」』では、先ほど取り上げたユーモア/アイロニーから川崎徹をとくに『元気が出るテレビ』へとシフトしつつ論じて行く。
「八〇年代なかば、川崎徹(的なもの)=イロニーは、マスメディアという回路に接続されることによって、糸井重里(的なもの)=ユーモアに勝利したのだ。」(北田 p. 152)
『元気が出るテレビ』の議論は、中森明夫の次の引用を取り出すことでピークを迎える。
「「元気が出るテレビ」の主役は、たけしでも熊野前商店街でも……なく、実は"テレビ"そのものである。テレビがはやらせれば絶対はやるんだということを"冗談"としてやってみる、あるいはテレビの持つファシズム性みたいなものを、あえてオモチャとして使ってみる。はやり方、はやらせ方のメカニズムを見せる。メカニズムそのものを見せるだけだから機材は別になんでもいい。むしろ荒川区熊野前商店街とか横浜商科大学といったはやりにくいもののほうがおもしろいし、川崎徹氏といったはやらせる人を登場させ、さらに会議の段階から見せる。完全にテレビの裏側、メカニズムを見せる番組なのである。」(中森 北田 p. 154)
北田はこれを受けて、こう整理してゆく。
「ポイントとなるのは、(1)素材の凡庸さと(2)テレビ的演出の顕在化である。通常のドキュメンタリー番組であれば、素材は何らかの有徴性・非日常性を持っていなければならないし、また、素材加工=物語化のプロセスは基本的に隠匿されなくてはならない。……『元気が出るテレビ』の方法論は、そうしたドキュメンタリー番組の「お約束」を逆手にとったものだ。……それはいわば、テレビ自身が、《あらゆるテレビ番組はヤラセ(演出的)である》という残酷な真理を告白しているようなものだ。」(p. 155)
この(1)素材性と(2)システムの露出は、85年以降のアイドル、おニャン子クラブと小泉今日子の素人性と自己言及性にあまりに正確に対応している。85年(以降)の型が見えてきた気がする。