Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

黒沢美香『めまい』(ルデコ)

2005年03月04日 | Weblog
を見た。
黒沢美香というひとは、ダンサーとしては希有な言葉の使い手である。このことは、過剰にではない方がいいとしても正当に評価するべきことである。言葉の使い手としてのダンサーには、言うまでもなく土方巽がいる。もはや日本において言葉とダンスの関係を規定したひとだと言っていい土方に、きちんと対峙出来る言葉の使い手が黒沢であろう。
ということで、関係者にお断りなくここに、『めまい』バンフのメッセージを転載します。問題があったら関係者の方ご連絡を、削除しますけど、もっとひとに読まれるべき言葉だと思うので。

「「薔薇の人」をここに坐りこませます
ダンスだダンスでないとうるさい
おどりを充満させる気である、か
窒息なのにやわらかくなくてはならない
よりよくダンスする地図に火をおこす
わたしはゆっくりと踊りをおどるそんなそぶりはない自分の手を握る

まもなく揺るがしてシビレて」(黒沢美香)

で、『めまい』である。
冒頭、サングラスして白い杖をバチバチ壁に叩きつけながら登場、歩行を続ける。白い杖の意味(視覚障害者のアイテムという意味)が過剰な壁打ちですっぽ抜ける。意味なくバチバチ、ってこれ間寛平のおじいちゃんじゃん!あれ、ぼくは大好きで、今年の元旦に新喜劇テレビでやった時も、ビデオとったくらい。あれはダンスだ、間違いなく。ここがひとつのトピックで、もうひとつは、机に座る黒沢がなにやら「メルヘン」な白い三角帽子を被って、もくもくと手紙を書くシーン。没入。こういう場面が黒沢の真骨頂だと思う。執拗な無意味(無意味というか意味が放棄されている)が強いる疲労と魅力。
あ、なんかうまく書けなくなってしまった(続きは後日)。