手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

テクニックを自分のものにするための工夫 その5

2011-03-12 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
前回は技術的な範囲のお話でしたが、なかにはもっと手厳しく、「NAGSを例に出しているが、このテクニックはマリガンコンセプトの中に含まれるテクニックなのだから、そのコンセプトを学ばないでテクニックだけ語るなどもってのほか!!」と、指摘したくなる方もいらっしゃるかもしれません。


コンセプトとなると、これまでの技術的な話だけではなく治療の考え方になるので、ここから先は、もっと基本的な臨床のスタイルの話になっていきます。


コンセプトやメソッドと呼ばれるものでは、ある特定の切り口から身体を眺め、評価から治療まで、システム化もしくはステップ化されています。


なかでもマリガンコンセプトは、マニュアルセラピーの中でも大きな潮流となっており、エビデンスの蓄積も進んでいると伺っています。





そんななかで、マリガンコンセプトを学んだわけでもない、それどころか日本での窓口になっている団体のセミナーにも出ていない私がテクニックについてあれこれ言うことに、真剣にマリガンコンセプトを普及させようとしている方は不愉快に感じられたかもしれません。


けれども私は実用主義的なので、役に立つものならドンドン取り入れ、自由に組み合わせて使うというスタンスを持っています。


そんな私の背景にある考え方は、またいつかお話ししたいと思いますが、既存のコンセプトやメソッドに則っているわけでもなく、きちんとシステム化やステップ化されているわけではなく、現場に合わせて変えるので、見方によっては場当たりてきに見えるかもしれません。


頸椎のNAGSも、関節の可動性を回復させるモビライゼーションのひとつ、という捉え方です。





だからといって特定のコンセプトやメソッドを大事にしている方たちと、ぶつかろうという気持ちはありません。





両者の違いは、犬を飼うなら血統書付きが良いと考えているのか、雑種がよいと考えているのかの違いと同じだと思っています。


血統書付きの犬もいないと困るでしょうし、雑種もいないと遺伝的に弱くなる(はずでしたっけ?)から困るでしょう。


ひとつのコンセプトを大切にされている方は、私にはブリーダーさんのように見えます。


これに対して私は、雑種を集めて育てているようなものです。


(ちなみに子どもの頃はじめて飼った犬は雑種の捨て犬でしたし、今飼っている3匹の猫もすべて、雑種の捨て猫でした。もともと雑種好きなのかもしれません


血統書付きでも雑種でも、自分のペットはかわいいと思うものですし、世の中的には両方必要です。


金子みすずさんの詩『わたしと小鳥と鈴と』のように、「みんな違って みんないい」わけです。


自分の臨床スタイルを決めるとき、コンセプトに則った血統書付きの方法をとるのか、自由に組み合わせていく雑種の方法をとるのか、自分の好みに合わせて決めればよいのですよ。





ただこれは、ある程度経験を積んでからの話で、はじめのうちはテクニック同様に、縁があったりや興味を持ったコンセプトをまず学んでみるほうが習得はスムーズです。


右も左もわからないうちは、そのコンセプトが矢印になってくれるからです。


そのとき、型や手順などの技術的なことを学んだときと同様に、そのコンセプトは一体何を言いたいのか、そのコンセプトで説明のつかないのはどのようなものかを考えるようにしてくださいね。





ときどき、あるコンセプトに深く傾倒している方から、「このコンセプト(または治療法)はすばらしい」とか「奥深い」という賛美のことばを見聞きします。


けれどもそれは、ペットの飼い主が「うちのワンちゃん、かわいいでしょう」と言っていることと同じなので、サラッと聞き流しましょう。


華美な飾りことばにとらわれるのは、冷静な判断の妨げになります。


すばらしさや奥深さは、みなさんがそのコンセプトの主張している内容をよくみて考えたうえで、自身で感じ取ればよいことです。


とにかく、コンセプトという考え方の「型」を学んでいても、自分で考えるということを忘れないでください。


考えるというのは、患者さんがコンセプトの中のどのカテゴリーに分類されるということだけではなく、先ほども申しましたようにコンセプトそのものの位置付けや特徴のことです。


これが、個人のスタイルを決めるということだけでなく、臨床に向かう時の姿勢として大切なことになります。





なぜそれが大切か?話の例えは、ペットから囲碁に大きく変わります。


次回、シリーズ最終回は、そのお話をして締めくくりたいと思います。