真澄が来た頃の戸賀湾
菅江真澄は頭巾を常にかぶり、秋田藩主の前でも脱がなかったので、「常被り」とよばれていた。 頭巾の下には刀傷があるとか、病気のあとを隠しているとか噂された。
亡くなったとき、隠し通してきた秘密をあばくべきではないと、だれも頭巾に触らなかったから、謎のままである。
私には、真澄の頭巾は宗教的意味があったような気がする。
真澄の旅の目的のひとつが、各地の神社、とくに神仏混淆の白山信仰系神社を巡ることだったことが関係していないだろうか。
松尾芭蕉は、髪も結わないその姿から僧と見なされて、伊勢神宮にはいることを拒否されている。
真澄は、頭巾で毛のない頭を隠していたのかもしれない。
どんな理由にしろ、自分の過去あるいは現在を隠さなければならなかったのだろう。
人間誰でも秘密を抱えているだろうけれど、もった秘密の数だけ、苦しみも多くなる。
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