kmitoh 春夏秋冬

水生生物雑記帳・男鹿半島幻想・接写と拡大写真

風呂

2020-05-16 11:08:31 | 境界


 我が家に風呂が最初にできたときは、屋外だった。
 隣家はすぐそばだから、まる見えであるが、
なにもなくとも境界をへだてるものがあるように、
お互いに過ごしていた時代だった。

 庭が荒れ野になったため、ふだんしない労働をし続けている。
疲れたせいか、作っていくうちに目的とは違うものになってしまった。


使用3Dフリーソフト
  Blender 2.82a


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境界(きょうかい)   前線

2020-03-30 15:44:39 | 境界


 異なった気団がぶつかり合ったときにできる。

 愚かな人間同士が戦うところも前線という。

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境界(きょうかい)  サクラ

2020-03-29 10:29:54 | 境界


 散る桜 残る桜も 散る桜   良寛(りょうかん)

 やがてはどの花も散ってはいくのだけれど、
境界によって異なった人生に分かれる。

*  *  *

 父は豆まきのとき、「鬼は外、福は内」をする前に、
神棚に豆を軽く投げて、
「天照大御神(あまてらすおおみかみ)にささげまーす。
 神功皇后(じんぐうこうごう)にささげまーす。」と、
あらんかぎりの大声で叫んでいた。
 戦後長い間、洗脳がとけなかったにちがいない。

 そのころ、天照は知っていたが、
天皇陛下ではなく、なぜ皇后陛下なのか不思議だった。
 いまは、戦前教育でもっとも有名な人物だったことを知っている。

*  *  *

 父は、出征し、肩より先の片腕を失った。
叔父は肘(ひじ)の少し先から失ったが義手をつけて農作業ができた。
父は義手をつけても重い飾りにしかならなかった。
 ふたりの銃弾が貫通した位置は、少ししか離れていない位置だったが、
その後の人生は大きく違った。
 しかし、父は片腕をなくしたから帰還できたけれど、
多くの兵士は被弾し、生きて戻れなかった。


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境界(きょうかい)   日本と朝鮮

2020-03-28 10:35:52 | 境界


 日本には韓国人を嫌いな人もいる。
 テレビ「そこまで言って委員会」に
出演している旧皇族の子孫竹田恒泰(たけだつねやす)もそのひとりだろう。

 *  *  *
 
 境界(きょうかい)(1)に載せた唐松(からまつ)以前は韓服(からまつ)神社、の
主祭神、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)は
実は、仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后、神功(じんぐう)皇后のことである。
仲哀天皇は日本武尊(やまとたけるのみこと)の子。

 皇后と真山(しんざん)神社縁起に載せた武内宿禰(たけうちのすくね)に
関する話が古事記に書かれている。

 *  *  *

 熊襲(くまそ)の国を討とうと筑紫にいたときのことである。
 暗闇の中。
 皇后の神おろしのために、天皇が琴を弾いていた。
 皇后 : 宝がたくさんある西の国を征服させてやると神託を受けた。
 天皇 : 西を見ても海しか見えぬではないか。嘘を言う神だ。
 琴を弾くのをやめてしまった。
 皇后 : そなたがこの国を治める資格などない、黄泉の国に行ってしまえと
     神は言っている。
 武内 : 神様を怒らせてはなりません。琴を弾(ひ)いてくださいませ。
 天皇はいやいや弾き始めたが、しばらくすると琴の音が消えてしまった。
 明かりをつけると天皇は亡くなっていた。

 その後、神功皇后は出産を遅らせるために石を腹に巻き、
三韓征伐(さんかんせいばつ)後に応神(おうじん)天皇を生んだ。

 仲哀天皇の死因は?
 応神天皇は誰の子か?
 なにが背景にあったのか?
 
 などなど、推理小説の題材にもなっている。

 *  *  *
 
 天皇家の本貫(ほんがん)つまり故郷の地が朝鮮半島にあったが、
征服され、追われて日本へ渡ってきた。
 奪ったものへの怨念と、本貫を取り返したいという願いが
作り出した境界の物語ではないだろうか。


使用フリーソフト
  Blender 2.82a

参考資料
  古事記(中)  次田真幸  講談社学術文庫
  逆説の日本史(1)  井沢元彦  小学館文庫


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境界(きょうかい)   神域(しんいき)

2020-03-27 13:43:04 | 境界
 神の宿るところ神域は、細い水路やしめ縄で囲ってつくられる。
区切って、名前をつけると人は安心する。



 唐松(からまつ)神社、天日宮(あまつひのみや)
 秋田県大仙市
 天日宮には物部氏(もののべし)の祖神、饒速日命(にぎはやひのみこと)が
祀(まつ)られている。

 唐松神社そのものは別にあり、主祭神は息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)である。




 真山(しんざん)神社
 秋田県男鹿市
 景行(けいこう)天皇のとき、武内宿禰(たけうちのすくね)が諸国視察をした。
そのとき真山にも登り、武運長久を祈願した。
そこに、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫で
天孫降臨(てんそんこうりん)した瓊瓊杵命(ににぎのみこと)を祀ったのが始まり。

 写真は、しめ縄で囲われた中で行われる湯立神事(ゆだてしんじ)。
 熱湯に手を入れ、ただれの有無によつて正しいかどうかを神によって判定する盟神探湯(くがたち)からきている。


 このシリーズは過去の記事と重複する部分があります。
 ゆっくり、「境界」について考えていくつもりです。

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