kmitoh 春夏秋冬

水生生物雑記帳・男鹿半島幻想・接写と拡大写真

続男鹿半島幻想 火

2009-01-22 20:16:38 | 男鹿半島幻想
Dabi09012202

 かって勤めていた職場の寮が建てられていた場所は、
爆沈された船に乗っていたたくさんの人の遺体を焼いた場所だと聞かされたことを思い出した。
 職員のある人たちには霊が見えるようで、怖くて独りでは泊まっていられないといっていた。 

 あの爆沈した船はなんだったのかと、いまごろになって思った。

 男鹿半島沖で爆沈した船は、太湖丸、第15雲海丸、柏榮丸などがあるけれど、
どれも「たくさんの遺体」とは合わないようだ。
 目の前で沈んだという衝撃的な出来事だったので、「たくさんの遺体」と感じたのだろうか。
 
 
 考えているうちに、爆沈は男鹿半島沖ではなく、「たくさんの遺体」は海流によって
運ばれてきたのではないかと調べてみた。
 それに該当する船が見つかった。

 浮島丸である。
 浮島丸は、敗戦後の1945年(昭和20年)8月24日17時20分頃、
京都府舞鶴湾佐波賀(さばか)沖で爆沈している。
 連行されて強制労働させられていた朝鮮半島の人たちが帰国するために多数乗船していた。
 公式発表よりも、数千人多く乗っていたという説もある。
 
 湾の中だったとしても、8月の北へ流れる強い海流によって、
そのうちの何人もの遺体が男鹿半島に漂着しても不思議ではない。
 
 この爆沈は現在でも謎で、「浮島丸事件」とよばれ、
結論は出ていないし、これからも結論が出ることはないだろう。


浮島丸
浮島丸
浮島丸


 このページの内容は確認していない。
 知っている方がいたら教えていただきたい。
 
 フリーソフト:terragen2使用 
 
 


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井戸

2009-01-07 19:18:17 | 霞んだ光景
Ido09010701


 以前は、水道がある家はかぎられていた。
 
 飲み水も、共同水道あるいは共同井戸から、天秤棒で担いできてカメに溜めておいた。
 風呂に水を入れるときは、かなりの距離を何回も往復しなければならないから、
いつのまにか猫背になってしまった。ある筋力はついたけれど、・・・。

 風呂といっても、私の家は外においてあった。
隣であっても、互いに見えないことにしていたのである。
 当然、燃料は薪を割って燃やすのである。
 
 
 大学にいたとき、電「動」計算機がある研究室に入った。
見に行くと、その計算機は振動しながら計算していた。蒸気機関車に似ている感じである。
 手回しの計算機を電気で回転させていたのだろう。価格は家が買えるほどだった。
 その能力は、現在販売価格数百円の電子計算機ほどにすぎなかったにちがいない。
 
 電子計算機が手軽に手にはいることになったとき、過去のある先生の論文に書かれた計算式を、
計算してみるとかなりの部分で間違っていることを知った。
 そのころは、数値表で sin cos log などの計算をしていた。
 いま、数秒で計算できることを、数日かけて計算していた時代である。
 
 
 最近つくづく思う。
 私が生きてきた数十年間は、過去数千年間に相当する変化があったのだと。
 
 
 フリーソフト trueSpace 使用。
            何度も落ちた。
 
 


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高下駄

2009-01-06 16:39:15 | 霞んだ光景
Geta09010601
 
 
 私が、革靴を始めてはいたのは高校の修学旅行のときである。
それまでは下駄で通学していた。高校のときは高下駄である。
 鼻緒が切れれば、腰にぶら下げた手ぬぐいを切り裂いて直した。
 
 
 数日前に、1の位(くらい)を四捨五入すると70歳になった。
急に歳をとったような気分がする。
 そのせいか、高下駄などを思い出した。
 
 
 フリーソフト  trueSpace使用して描画
 
 


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