kmitoh 春夏秋冬

水生生物雑記帳・男鹿半島幻想・接写と拡大写真

妖精

2007-02-25 15:07:09 | 霞んだ光景
Kurionex


 ハダカカメガイという和名より、流氷の妖精クリオネの方が一般的な名前となっている。
 クリオネは学名(Clione limacina)の属名である。巻き貝の仲間で、大きさは4cmほどしかない。北極圏を囲んで分布し、日本近海では、北緯42度以北でおもに見られる。

 妖精で、私が思い浮かべる姿は、森にすみ、背中に透き通る羽をつけた小さな美しい女性である。

 それほどよく調べたわけではないが、妖精は時代や地域によってさまざまらしい。
 平凡社の百科事典には、「人間と共通の多くの性質を持っているが、ただ良心と節操だけはない。ひどく気まぐれで、人間からすこしでも親切にされると、大げさに恩返をし、きげんを損じると、人間に仕返しをして危害を加える。」と載っていた。正と負の性質を備えているらしい。

 日本の神様も「和魂」(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」との二面性を持っているから似ているが、それよりも、日本の妖怪に近いかもしれない。

 柳田国男は、「いずれの民族を問わず、古い信仰が新しい信仰に圧迫せられて敗退する節には、その神はみな零落して妖怪となるものである。妖怪はいわば公認せられざる神である。」と述べている。
 妖怪は出現する場所が決まっているが、妖精も森にいたり、川にいたり、種類によって定まったすみかがある。


 クリオネはその姿から、見る人が人間の体と対比して眺め、穏やかな妖精を思い浮かべるのだが、その幻影はすぐに破れる。クリオネと同じように泳ぐ貝、ミジンウキマイマイ(学名 Limacina helicina)に出会うと、頭に見立てていた部分が二つに大きく割れて、中から触手が出てきて捕まえて食べてしまうのである。
 外見ではあるが二面性をもっているから、妖精というな呼び方はより適切に思う。


 蛇足:学名の ca ci ...は、カ キ・・・と読めばよい。
    Limacina はリマキナとなる。



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町のネズミと田舎のネズミ

2007-02-18 16:59:03 | 霞んだ光景
Nezumi
 

 このページの題名は、イソップの童話からとった。
 町のネズミに招待された田舎のネズミが、ご馳走はなくとも安全で静かに暮らせる田舎へ戻ってくる話である。

 町のネズミと田舎のネズミどちらが幸せなのだろうか。
 童話では、田舎が安全で怖いものもないとなっているけれど、現実にはネズミを補食するヘビ、キツネ、アオサギなどがいる。ネコも、町のネコのようにネズミを見て逃げたりしない。


Sakanakui


 自宅周辺にもたくさんネズミがいるはずなのに、死骸を見ることなどめったにない。
 「死んだ魚を見ないわけ、それは、死ぬ前に他の動物にほとんど食われてしまうからだ。」というのと同じように、田舎のネズミは天寿をまっとうできないのだろう。

 一方、冷暖房完備のビルに住んでいる町のネズミは、天敵といえば人間だけである。ネズミ対策をきちんと行っていない飲食店などは極楽に違いない。


 絵にリンゴを描いたが、「ノネズミ」は穀物などの種子を主食としているものが多い。
 穀物といえば、農耕文化が始まった弥生時代集落は堀で囲まれていることが多い。敵からの防御ばかりではなく、ネズミは泳いでも渡ってはくるだろうけれど、侵入防止に役立っていたかもしれない。


参考:死んだ魚を見ないわけ
     河井智康
      情報センター出版局


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方丈記(ほうじょうき)

2007-02-15 15:26:33 | 霞んだ光景
Hojyoki


 「行く河のながれは絶(た)えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結(むす)びて、ひさしくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」(「うたかた」は泡)の文で始まる方丈記は、鴨長明(かものながあきら)の随筆である。
 下段に注釈がついた文庫本で、全文が30ページほどの短い文章である。

 題名のもとになった方丈(4畳半)の庵室を文章に沿って描いてみたが、間違いがあるかもしれない。
 原文・現代語に訳した文とも、ホームページにたくさん載っている。

 閼伽棚(あかだな):仏への供え物をのせる台。
 寝床:ワラビの穂が開いたものを使用していた。
 革籠:和歌・音楽・往生要集などが入っている。
 琴・琵琶:組み立て式のもの。
 懸樋(かけい):水を通す樋(とい)。


 高校時代に習った古典の意味が、どうにかわかるような歳になってきたのを感じる。
みんなが3年で習得したものを、数十年かかったわけだ。
 ただ、習ったなかでいまでもひとつ覚えている。
 それは、山の中の4畳半の庵(いおり)に住んでいたからといって、金に不自由していたわけではなく、それどころか、荘園などから収入をたくさん得ていたことである。

 歴史上で、簡素な生活を送ったと思われている人たちのほとんどが、何らかの形で大きな収入源を持っていた。そうでなくとも、過去に裕福な生活を経験している。
 本当に貧乏だけの一生であれば、生きることだけに頭がいき、そのほかのことを考える余裕などないはずである。


参考:方丈記 川瀬一馬校注 講談社文庫


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言葉

2007-02-13 10:53:14 | 霞んだ光景
Baberu08091101
 フリーソフトterragen 2使用して描画。

 地球上では、みんなが同じ言葉を話していたとき、シナルの地に住み着いた人々が、天までとどく塔を造り始めた。
 それを見て神は、互いの言葉が分からないようにしてしてしまった。
 会話ができなくなり、工事は中断され、人々は世界各地へと散らばっていった。
 旧約聖書に載っている話である。

 言葉とはなんだろう。
 地域によって「単語」が異なるのは理解できるのだが、文の構造はどのような過程で
変化し、どれだけの時間がかかったのだろうか。


 terragenの使い方を知りたくて、かなりの数の英文ホームページを見ている。
 私は英語が苦手だから、3年ほど前に2000円で購入した翻訳ソフトを利用している。そのページに何が書いてあるのか、だいたいわかればいいのである。
 単語も登録しているため、いまのところgoogleの翻訳より精度はかなりよい。
 自分が知りたいことが書いてありそうなページが表示されたら、pdicなどを使用して、原文をなんとか読むことになる。その過程で、表現がおかしいが、「英語」を読んでいるのではなく、「3Dソフト」の説明を見ていることに気づいた。
 つまり、英語を知っていても理解できないが、英語力がかなり不足していても、3Dソフトの知識があればなんとかわかるということである。

 インターネットで、言葉が混合して同一のものになる過程にあることを感じた。
 異なる環境で生活していれば、言語も異なっていくが、同一の環境にいれば言語も同一化していくのだろう。


Jyoho

 古代日本では、言葉に現実をも動かす力、霊力があると信じられていた。だから、口に出してはならない言葉もあり、名前をいってはならなかった。
 画にある「死」は忌み言葉であり、口にすれば死を呼び寄せてしまうと考えるわけである。
 このことを言霊(ことだま)信仰という。
 井沢元彦は現在にも言霊信仰がはびこり、現実を直視できないでいると警告している。


 上の絵はもう一つの意味を表している。
 養老孟司がいつも書いていることで、情報は日々新しく変わっていくのではなく固定したもので、常に変化していくのは人間の方なのだということである。
 口から出した言葉は変えようがないわけである。

 絵を描くとき、妻のほうには細心の注意を払った。たとえば皺の数・・・、自分で書いていて情報が変わらないものだということを完全に理解していないようである。

参考
 逆説の日本史3 古代言霊編
           井沢元彦
 自分は死なないと思っているヒトへ
           養老孟司
など


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