kmitoh 春夏秋冬

水生生物雑記帳・男鹿半島幻想・接写と拡大写真

徒然草(つれづれぐさ)

2020-08-31 10:08:54 | 霞んだ光景


 ここ数日、強い日差しのもと、雨で繁茂した草取りを続けた。
無理をせず、30分しては、2時間ほど休むという怠惰な労働である。
それでも、肌は毛がない頭を含めて黒くなった。



 休憩時間はテレビの「放送大学」(BS231-232)をみて過ごしていた。
どの番組もおもしろかったが、そのなかで島内裕子(しまうちゆうこ)の
「方丈記(ほうじょうき)と徒然草」に興味を持った。

 それで、
 徒然草 島内裕子訳 筑摩書房
を ebook から購入した。
 読み始めたばかりだが、 ”通読できる徒然草を目指した”と
書かれているように、訳者の解釈も含めた超訳でおもしろい。

 
 放送大学に入学して勉学に励(はげ)んでいる人たちがいるのだろうが、
日々「脳」力が劣化している私には無理だ。
 英語を調べるのを主目的に電子辞書を購入したけれど、
頻繁に検索しているのは日本語それも小中学生程度の
語意と漢字書き方なのだから。


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爺(じじい)

2020-08-22 16:16:14 | 霞んだ光景


 そばのサクラの木、来年も倒れずに花を咲かすことができるのだろうか。

 その姿はわが身をうつしているようで、
石川理紀之助(りきのすけ)の歌が浮かんできた。

 鏡(62歳)
    かがみにもはづかしきかな老いはてて
            みるかげもなきおのが姿は

 鰰はたはた(65歳)
    はらみたるうちこそよけれはたはた
            姥(ばばあ)となればくふ人もなし

 注:「はたはた」は秋田名物の魚で、卵(ぶりこ)を持った雌が高価です。
    ハタハタの卵(私のページです)    

    姥(ばばあ)は爺(じじい)に、
    「はらみたる」は、「・・・・・」と読み替えてください。

 石川理紀之助は徳農家で、農民を啓蒙(けいもう)して尊敬された。
 いくつもの神社に神として祀(まつ)られている。


 (以前に類似記事を載せている。)

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トチの実

2020-08-18 11:41:53 | 男鹿半島幻想


 庭に覆いかぶさっているトチの木に実がなっている。
この実を見るともうすぐ「冬」だと感じる。

 今年は雨ばかり降り続き、地面は湿ったままで、
庭の草は取っても次から次に生えてきて、
あきらめてそのままにしている。

 熱中症で死んでいれば、子どもたちに迷惑がかかると思い、
エアコンを設置し、富裕層の仲間入りした。
しかし、あまり使用していない。

 窓を全開にして、いまこの記事を書いている。
今日の予想最高気温は26度。(秋田県内陸よりもかなり低い。)

 セミの鳴き声が聞こえる。
男鹿は、なぜかアブラゼミはほとんどいず、ヒグラシが鳴いている。
物悲しいヒグラシの鳴き声は秋を知らせている。
そして、冬が近いことを。

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男鹿、森林鉄道跡(4)椿

2020-08-11 15:16:35 | 男鹿半島幻想


 椿森林鉄道の終点。
 椿漁港の点線が、インクライン。その下に貯木場があった。
 インクラインとは勾配の急な坂をトロッコを下す装置。

 「思い出のアルバム 男鹿」(1980)に椿のインクラインの写真が
載っているが、やっとその場所が分かった。
 椿森林鉄道は、1962(昭和37)年6月16日に全線廃道になったから、
知らない人の方が多くなってきて、知っている人に出会えずにいた。

 地図で軌道を辿(たど)るのは、かなり大変そうだが、
いつか調べてみるつもりでいる。

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男鹿、森林鉄道跡(3)

2020-08-11 11:17:48 | 男鹿半島幻想

 


 地図のA。ナマハゲラインの最初の坂を上ったところから
左に曲がり、林の中を開(ひらき)地区へ。





 地図のB。
 左の小さな看板が「クマ注意」。
そういえば、男鹿半島に迷い込んだクマがまだ見つかっていない。



 防衛省専用道路の両側は林で、人が歩いて調査するなど困難である。
私は歩いて調査するのが目的ではないから、ここまででよしとする。

 ●自衛隊基地は、昭和33年の地図では米軍キャンプとなっている。
 ●米軍キャンプの元は貯木場ではないだろうか。
 ●米軍の管轄で正確な測量ができなかったのか、かなり今の国土地理院地図と異なる部分があり、
  鉄道経路は私の推測が入っている。
 ●鉄道経路は羽立まで、全区間が下り坂になっていたようだ。
 ●聞いた話
   木材をトロッコで終点まで運ぶと、そのトロッコは女性が押して帰ったという。
   かなりの距離だが? その後、男は?
   歯医者に行くとき、乗せてもらった人もいた。
 ●普通の鉄道とちがって、森林鉄道は経路など常に変えていたのではないか。
 ●真山では珪藻土がとれた。
  それを鉄道で運んで七輪を作っていたと書かれたものを読んだ記憶がある。
 ●学生の時、大滝根レーダー基地に何日も泊まり込み、測量の棒もちをしていた。
  雪交じりの寒風吹きつけるなかで、なぜ天候の良い季節にしないのだろうと思っていたが、
  いまはわかる。
  草が繁茂し、マムシ・スズメバチ・ヒルなどを避けるためだったのだ。
  考古学の発掘も、場所によっては同じだろう。
 ●グーグルアースで自衛隊基地をみると戦闘機が置かれていた。


参考
 男鹿、森林鉄道(1)に載せている。

 使用ソフト
 地図ソフト カシミール 9.3.6
 国土地理院地図





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