地図のA。ナマハゲラインの最初の坂を上ったところから
左に曲がり、林の中を開(ひらき)地区へ。
地図のB。
左の小さな看板が「クマ注意」。
そういえば、男鹿半島に迷い込んだクマがまだ見つかっていない。
防衛省専用道路の両側は林で、人が歩いて調査するなど困難である。
私は歩いて調査するのが目的ではないから、ここまででよしとする。
●自衛隊基地は、昭和33年の地図では米軍キャンプとなっている。
●米軍キャンプの元は貯木場ではないだろうか。
●米軍の管轄で正確な測量ができなかったのか、かなり今の国土地理院地図と異なる部分があり、
鉄道経路は私の推測が入っている。
●鉄道経路は羽立まで、全区間が下り坂になっていたようだ。
●聞いた話
木材をトロッコで終点まで運ぶと、そのトロッコは女性が押して帰ったという。
かなりの距離だが? その後、男は?
歯医者に行くとき、乗せてもらった人もいた。
●普通の鉄道とちがって、森林鉄道は経路など常に変えていたのではないか。
●真山では珪藻土がとれた。
それを鉄道で運んで七輪を作っていたと書かれたものを読んだ記憶がある。
●学生の時、大滝根レーダー基地に何日も泊まり込み、測量の棒もちをしていた。
雪交じりの寒風吹きつけるなかで、なぜ天候の良い季節にしないのだろうと思っていたが、
いまはわかる。
草が繁茂し、マムシ・スズメバチ・ヒルなどを避けるためだったのだ。
考古学の発掘も、場所によっては同じだろう。
●グーグルアースで自衛隊基地をみると戦闘機が置かれていた。
参考
男鹿、森林鉄道(1)に載せている。
使用ソフト
地図ソフト カシミール 9.3.6
国土地理院地図