kmitoh 春夏秋冬

水生生物雑記帳・男鹿半島幻想・接写と拡大写真

続男鹿半島幻想 戦争

2009-03-11 16:33:18 | 男鹿半島幻想
Yayoi09031104


 3月なのに、男鹿はまだ冬である。
 ときどき吹雪くなか、男鹿半島のつけ根にある「道の駅天王」の古代の見張り台、防御柵を眺めた。
 
 今日の天候のせいだろうか。
 見ているうちに、稲とともに渡ってきたのは、メダカだけではなく、戦争、そして格差も付随してきたことを実感した。
 
 いまアメリカ社会は、格差が激しく、徴兵制もない。
 そのため、戦場に送られるのは貧困層であり、富裕層は自分たちの子どもたちが死ぬ心配はないから、反戦運動にも無関心なのである。
 皮肉なことに、戦争で守ろうとしているのは、または得ようとするのは、富裕層の財産なのである。
 
 
 霞んだ光景「月の兎」が、このことと似ているようで、危険な思想に思え、「わからない」と書いた。
 対する自爆テロ攻撃も、上層部は死なずに、結局同じような構図だ。
 
 


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続男鹿半島幻想 万葉集

2009-03-10 18:57:18 | 男鹿半島幻想
Yakamoti09031001
 
 
 1989年、秋田市高清水(たかしみず)の秋田城跡から、万葉仮名が書かれた薄く削った木札、木簡(もっかん)が出土した。
 その筆跡から、書いたのは万葉集の編者である大伴家持(おおとものやかもち)と判明した。
 
 木簡は欠損していたが、残っていた部分を
 (表)春なれば、今しく悲し ・・・・
 (裏)勤(ゆめ)よ、妹、早くい渡さね。取り交はし・・・
と、吉田金彦氏が判読した。
 (木簡には、波流奈礼波(はるなれば)のように万葉仮名で表記されていた。)
 
 吉田氏は研究を続け、家持(やかもち)と笠女郎(かさのいらつめ)の禁断の恋を推理した。
そして、万葉集の作者未詳歌、
「吾妹子(わぎもこ)を外(よそ)のみや見む。越(こし)の海の小潟(こがた)の海の島ならなくに。」(3116)を、家持が男鹿半島を眺めながら、笠女郎におくったものだとした。(多分最後の歌)
 越の海=日本海
 小潟=八郎潟
 
 「笠女郎よ、お前を遠い蝦夷の外地からばかり離れて見ていてよいでしょうか。出羽八郎潟の海の島ではありませんから」(吉田)
 「いとしい人をよそながらに眺めているだけなのであろうか。あの近づき難い越の海の島ではないことなのに」(桜井満)
 
 
 私のように、ひとつ屋根の下で妻と暮らし続けていると、この歌のような感情を理解するのはむずかしい。
男鹿半島を離れてみると、岩だらけのところもきれいに見えるのだなと、せいぜい思い浮かべるくらいである。^^;
 
 
 この超有名な歌人が、秋田にいたとは変だと思った方もいるだろうから、
大友家持に関連することを少しつけたしておく。
 大伴家持は武人なのである。

天平 5年(733) 出羽の柵を庄内地方から高清水に移した。柵=城
宝亀 5年(774) 蝦夷反乱。
宝亀 7年(776) 出羽国志波村蝦夷反乱。陸奥国胆沢蝦夷反乱。
宝亀 8年(777) 陸奥・出羽の軍、出羽の蝦夷に破れる。
宝亀11年(780) 陸奥国、伊治呰麻呂(いじのあざまろ)反乱。
天応 1年(781) 家持、正四位 右京大夫兼春宮大夫。
           春宮大夫は、早良(さわら)皇太子の侍従長
延暦 1年(782) 家持、春宮大夫従三位 陸奥按察使(むつあぜち)鎮守将軍
延暦 3年(784) 長岡京遷都。
延暦 3年(784) 家持、67歳。持節征東将軍 征東将軍=征夷将軍。
           持節とは節刀を天子からいただいて赴任すること。
           持節征東将軍は鎮守将軍より上で、天皇の命令を代行できる。
延暦 4年(785) 家持死亡、68歳。
           吉田氏は、秋田城で死亡したと考えている。
           続日本紀に「・・・中納言従三位大伴家持死す・・・」と書かれている。
           「死」は六位以下で、三位以上は「薨こう」が使われていた。
          だから、こののち続日本紀に記載されたときには官位も剥奪されていた。
延暦 4年(785) 藤原種継(たねつぐ)、暗殺される。早良(さわら)親王、皇太子逮捕され憤死
           大伴継人、真麻呂など大伴一族も犯人として逮捕される。
           大伴家持はすでに死亡していたが、関係しているとみなされた。
延暦 8年(789) アテルイ、蝦夷征討軍を大破。
延暦13年(794) 平安遷都
延暦16年(797) 坂上田村麻呂、征夷大将軍
延暦25年(806) 家持、復位。冤罪(えんざい)だったことを公に認められた。

 教科書だけを見ていると、秋田は中央の文化が流れ込んでいない野蛮な所と思いがちだが、大伴家持もいたことを知ると見方が変わる。
 
 
参考:
 ・秋田城木簡に秘められた万葉集
    -大伴家持と笠女郎-
       吉田金彦

 ・逆説の日本史3
   古代言霊編
   平安建都と万葉集の謎
       井沢元彦

 ・万葉集 桜井満訳注
 
 
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   男鹿島を高さ4倍にして描画した。
 
 


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