東日本ではなく、日本海中部地震、1983年(昭和58年)5月26日11時59分57秒
日本海側もいつ大地震があっても不思議ではない。
下関市 藤田正 氏 提供
男鹿市 佐藤繁信 氏 提供
過去の災害から教訓を学ぶのは大切であるが、
そのとき限定上書きしないように注意しなければならない。
津波の到達時間。
日本海中部地震の時は、津波到達まで10分弱だったが、
東日本大震災では数10分と地震のかなりあとだった。
日本海中部地震の大きな余震が発生したとき、
「まだ」10分という余裕があると無意識に行動する人たちがいた。
東日本大震災の「数10分」が強く記憶されすぎると
犠牲者が増えることになる。
発生位置
チリ地震津波など太平洋岸で被害か続いたため、
男鹿半島の人々には、日本海側では津波はないと
限定上書きされてしまっていた。
そのうえ、過去の男鹿半島直下を震源とする地震では、
山崩れが起き、火花が飛び散った光景を眺めたために、
地震があったら海へ逃げろが教訓となっていた。
しかし、男鹿半島は海辺から急峻な崖が続いているから、
どの避難が正しいかはむずかしい。
大潟村はすべて海面より低いし、道路も破壊されやすいから、
さらにむずかしい。
天災は、判断ができないことも多い。
写真は私が勤務していた施設の駐車場。