米代川を流れ下ってきた十和田噴火の泥流津波は八郎潟へ流れ込んだ。
古事記には次のように話が載っている。
高天原(たかまがはら)で、暴れたスサノオは追放されて、
出雲国(いずものくに)の、肥の河(ひのかわ)上流に降りた。
箸(はし)が流れてきたのを見て、さらに上流へ登っていくと、
お爺さんとお婆さんが、娘をなかにして泣いていた。
わけを尋(たず)ねると、
「私はオオヤマツミノカミの子孫で、アシナヅチ、妻は、テナヅチといいます。
そして、娘の名はクシナダヒメでございます。
娘が8人おりましたが、毎年ヤマタノオロチがやってきて1人ずつ食っていき、
今年もまたオロチがやってくる時期になりましたので、
最後に残った娘とこうして泣いていたのでございます。
・・・・・
祭神は
東湖八坂神社 スサノオ
八龍神社 オオヤマツミノカミ
姥御前神社 テナヅチ
夫殿の岩窟 アシナヅチ
アシナヅチは津波で対岸に流され、妻のテナヅチと離れてしまった。。
蓮沼
菅江真澄の「男鹿の春風」には、
「浜田の村のほとりに橋沼というのがある。
むかし、山の人という不思議な者がきて、
土の橋を掛けたという話が伝わっている。
岸の林に、神社がある。
ここに桧山の人たちが来て、雨乞いすると、
必ず雨が降るそうだ。」
この文章からすると、もともとは橋沼だったのだ。
そして、さらに以前は橋沼(はしぬま)ではなく箸沼(はしぬま)で、
クシナダヒメを祀っていたと、私は幻想した。
文章はあとで書き直します。