ブログ「安心院の里」

退職後は、国内・海外旅行、スポーツクラブ、家庭菜園、登山など自由気ままに我が人生謳歌中です!(健康で元気なうちに・・・)

ルーマニア夫婦旅8日目:6/4(木) 晴

2015年06月10日 07時24分00秒 | 海外旅行
【トランシルヴァニア地方:シナイア観光 】
シナイアは2000m級の山々が連なるカルパチア山脈の麓、自然豊かな標高800mに位置し、18世紀にはブカレストの王侯貴族達の別荘地として栄え、夏には避暑地、そして冬にはスキーが楽しめるなど、リゾートとして多くの観光客が訪れています。ブラショフ駅(発08:44)を出発した列車は山岳地帯をゆっくり走り 約1時間でシナイア駅に到着しました。シナイア駅はルーマニアの中で最も美しい駅と言われています。 ロープウェイ乗場から1400mの所まで約10分で到着。二つ目ロープウェイに乗り継ぎ、2000mまで一気に昇ります ロープウェイ山頂駅頂上のテレビ塔のそばを通り抜けると雄大な風景が飛び込んできます。
眼下には連なるなだらかなカルパチア山脈の眺めが爽快です。頂上付近は高山植物の宝庫、写真撮りまくりです。シナイアの町中風景~宮殿風の小さな館が建ち並んでおり、中世の雰囲気が大切に残されているタイムスリップしたような気分を味わうことができます。シナイアは「カルパチアの真珠」とも呼ばれているそうです。
シナイア僧院~ 19世紀にドイツから招かれ、ルーマニアの皇帝となったカロル1世が建立し、シナイアの町の名前の由来ともなっています。僧院で教会の入口に描かれたフレスコ画が見どころです。ペレシュ城~ 8年もの歳月をかけて、カロル1世がルーマニア王室の夏の離宮として建てた宮殿です。ルーマニアの中では最も壮麗な城と称されるほど美しく、城内はカロル1世が集めた彫刻品、絵画などの美術品や、金銀、中世の武器などが展示している博物館になっています。ペリショール城~ カロル1世の狩猟用の城で、木組みが素晴らしい中世ドイツ風の建築物です。ペレシュ城と同じ敷地内に建っています。午後5時過ぎから本格的な雨に見舞われたが濡れることなく、サムライに帰ってきました。明日から移動のため、オーナーの菅原さん夫婦と記念写真・・



ルーマニア夫婦旅9日目:6/5(金)

2015年06月10日 06時45分00秒 | 海外旅行
【トランシルヴァニア地方:シギショアラ歴史地区観光】
08:45ブラショフ駅(発)~汚い列車は、放牧された羊・牛馬が草を食べている草原地帯や麦畑が広がる、のどかな田園地帯をノンビリ走ります。11:30シギショアラ駅(着)
「シギショアラ歴史地区」~カルパチア山脈に抱かれ、古来東西交易の重要なルートのひとつであったこの地に、13世紀頃、ドイツ人の商人や職人が多く移住して築いた城塞都市です。「ルーマニアの宝石」とも例えられる美しい街並みは、トランシルヴァニア・ザクセン人の850年にも及ぶ商工ギルドによる繁栄と激しい戦闘の記憶を今に伝えています。また、ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュ(串刺し公)が住んでいた町としても有名です。世界遺産に登録された丘の上の旧市街は城壁で囲まれ、オレンジ色の三角屋根が連なる美しい町並みです。旧市街には「縄職人の塔」「肉屋の塔」「毛皮職人の塔」など各ギルドが建てた塔がそびえていますが、当時これらは他民族の侵入を防ぐための見張り台として使われていたそうです。現在も住居や店舗として使われています。
縄職人の塔 毛皮職人の塔高さ約64mの「時計の塔」は町のシンボル。シギショアラがギルドによる自治都市になったことを記念して14世紀に創建され、現在は歴史博物館になっています。時を刻み続ける大時計はカラクリ時計で、定時になると人形が現われ踊り始めます。展望台の東方角には「東京」のローマ字と「8890km」のプレートがありました。シギショアラ正教会~ひときわ目立つ白亜のドーム状の天井をしたルーマニア正教。歴史的にも古く、内部は荘厳なイコン画が見られます。屋根付き木造階段を上り切ると、山上教会があります。ドイツ語学校「山上教会」~シギショアラの山の上にギルドの職人たちがドイツ人教会や学校を建て、ドイツ文化の継承にも努めたという。要塞内の中世時代の建物は、現在ホテルやレストランに改装されています。カトリック教会シギショアラのお土産として、ドラキュラのマグカップなどが売られていました。ドイツ人たちはここで自らの言葉や文化を守って生きてきたが 現在は、ドイツへの移住によって廃墟化する建物が増え、保存問題が深刻になってトランシルヴァニア独特のドイツ人文化はいま、この街並を残して消え去ろうとしています。「ドラキュラ料理食べた!」~この町で生まれたのがドラキュラ公こと、ブラド3世。地元では、オスマン帝国と勇敢に戦った英雄ですが、敵を串刺しにして恐れられたことから、後世の作家が、ヨーロッパに古くから伝わる吸血鬼伝説と結びつけ、「吸血鬼ドラキュラ」が誕生しました。レストラン「カサ・ヴラド・ドラクル」~いわゆる「ドラキュラレストラン」と言われ、兵士への残虐な行いから吸血鬼ドラキュラ伝説のモデルとなったウラド公の生家で金のドラゴンの看板が目印ですまずはセットされたお皿が、まさに竜の模様、上手な演出です・・ドラキュラ料理もなかなか面白いし、お世辞にも美味しいとは言えませんが観光ですので旅の思い出に食べてみました。シギショアラ駅
宿泊ホテル「Pension Chicチク」 シギショアラ駅前にあるカフェを兼ねた安宿です。

ルーマニア夫婦旅10日目:6/6(土)晴

2015年06月10日 06時21分00秒 | 海外旅行
【シギショアラ二日目観光&スチャヴァ移動】
昨日に引続き城壁都市の石畳の道をブラブラと、あっちに行ったり、こっちに行ったり。気ままな“ぶらり観光”を楽しむ。(09:30~16:00)折しも時計塔前の広場で数組みの結婚式に遭遇、“太鼓叩き”を先頭に教会へ移動するルーマニアの結婚式を初めて目にする。屋根付き階段前にあるワインの醸造所「ビヴニツァ・ルイ・テオ」にてワイン試飲!・・無料とのことで土産にワイン1本購入。広場では民族衣装の高校生によるフォークダンスを見物シギショアラ駅の正面は綺麗に見えるが構内施設は廃墟に近く浮浪者、物乞いが・・・ホーム上は凸凹で未修理?タバコ投げ捨ては当たり前、ごみ散乱で不衛生。治安はよくない。
ウィーン行き列車は約10分遅れて到着。18:15(発)、集落が点在する牧草・田園地帯をゆっくりと走る・・21時30分過ぎて、やっと日が陰り始めた!深夜時間内になると車両ボック内には我々を含め4人、停車駅の案内アナウンスなく、ホーム上に駅名が書いてなく心細い。旅行者に不親切な国だ!30分遅れて23:30「クルージュナポカ駅」に到着。大きな駅で待合室や売店もあり一安心、駅前も明るく賑やかです。この駅で乗り継ぎのために約2時間待機…時間になってもなかなか到着しない、イライラしながら寒いホーム上にて待つ 。約20分遅れて列車が到着。01:22寝台列車(発)に乗車、二人部屋二段ベット、古くて年代物・・これ!1等??すぐ横になり、熟睡態勢(-_-)zzz(-_-)zzz

ルーマニア夫婦旅11日目:6/7(日)晴29℃

2015年06月09日 17時26分00秒 | 海外旅行
【モルドヴァ地方:4つの修道院巡り】
乗り継ぎ時間を含めて14時間、本当に長かった。ようやく夜行寝台列車は08:09スチャヴァ駅に到着しました。4つの修道院は、ブコビナの山々に点在して交通便が非常に悪く、事前にホテルを介し、ツアー車両を1日チャーターして巡りました。「AxaTravelDayTours」の運転手付き車両ルーマニア北部、モルドヴァ地方には、500年近く前に建立された城壁に囲まれた教会があります。その壁は、聖書の世界を描いたフレスコ画で埋め尽くされています。 激動の16世紀初頭にモルドヴァ公国を治めたシュテファン大公とペトル・ラレシュ。ヨーロッパを席巻したオスマン・トルコは当時最大の敵国。教会の絵画は、戦争に立ち向かう人民の心をひとつにするイコンでした。
フモール修道院~赤い色が特徴のフレスコ画の小さな修道院で城壁と見張り塔が残っています。コンスタンチノーブル包囲のフレスコが有名です。壁画はかなり色褪せています。正教の本山であるコンスタンチノーブル(現イスタンブール)を占拠したトルコ軍を囲む壁画が有名です。日曜礼拝に向かう村人ヴォロネツィ修道院~4つの修道院の中で一番有名です。『最後の審判』は、モルドヴァ芸術の最高傑作です。 最後の審 判の壁画で知られる円錐の塔があるかなり小さい教会でモルドバの伝統的なスタイルの建物です。外壁は青が特徴的で有名、激しい青いバックグラウンドの色の調和と構成の厳しさを映し出します。モルドヴィツァ修道院~1532年に建てられた要塞のような塔のある城砦に囲まれた女子修道院です。この修道院に有名なフレスコのテーマに「エッサイの樹」と「 コンスタンティノープルの包囲戦」があります。赤いペイント、高い壁と大きな塔が印象的な建物です。 スチェビツァ修道院~統治者以外が建設した外壁画のある唯一の修道院です。周囲を囲む砦は高く頑丈に造られています。
修道院の城壁修道院内の井戸スチェヴィッツァ修道院~大きな城壁に囲まれています。緑色が特徴的です。 壁画の保存状態が最もよく、見ごたえ十分です。壁画「天国のはしご」は善人はこのはしごで天国へ行けて、悪人ははしごから落ちて地獄へ堕ちるという定番です。修道院内部の主礼拝堂にはバロックスタイルの絢爛な装飾が施されていて、これも見事です。ランチは地元ツアー推薦のスープが旨いレストランにてブルーベリーのリキュールルーマニアのデザートの定番パパナッシ 。揚げドーナツに、ジャムとサワークリームをのせたもので、あっさりしていて美味しいです。モルドヴァ地方の門構え、これでも通常作り。門の豪華さは家の格式、金持ちであることを誇りにした造り。すでに冬の家畜の餌となる牧草を大きく丸めた物をそのまま乾燥する作業風景が見られます。電柱の巣でひなを育てるコウノトリウクライナ境にあるモルドヴァから スチェヴィッツア修道院へ向かう途中にあるチウムルナ峠(1,100m)にて、ピックニック中の若い夫婦から自家製チーズいただきました。 チウムルナ峠道路開通記念像陶器工場宿泊ホテルは「デイリープラザ ホテル (Daily Plaza Hotel)」5階です。スチャバ駅から約1.5キロ離れた場所に位置しているので、観光の拠点にするには最適な滞在先です。 ここからは市内へのアクセスも簡単で大変便利で12月22日広場に面しています。宿泊ホテル1Fレストランにて夕食

ルーマニア夫婦旅12日目:6/8(月) 晴

2015年06月09日 13時14分00秒 | 海外旅行
【スチャヴァ観光】
スチャヴァは、ルーマニアの北東部、ウクライナとモルドヴァ共和国との隣接地接に位置します。
自炊の朝食です~スチャヴァ市場を覗く~スチャバの町の離れにある 難攻不落の「大城塞」。壁の厚さは2~4m。1476年のオスマン朝のメフメト2世の攻撃にも、陥落しなかったという。聖ゲオルゲ教会~ブコヴィナ地方を代表する教会のひとつとして世界遺産に登録されています。ボグダン3世がセルビア・ハンガリー軍を退けた記念に、1521年に建てられた、清楚で美しい教会です。外壁には、フレスコ画が描かれていますが、今は風化が進み、本当に僅かしか残っていません。内部は、見事なフレスコ画が描かれています。夕食は、12月22日広場(革命記念)前のレストランにてビッグなピザ&ミックスサラダに挑戦昼間は灼熱の太陽が降り注ぎ日焼けで顔ヒリヒリ、しかし朝晩は涼しい風が吹き過ごしやすいです。
修道院巡りを担したジィジィさんスチャヴァ駅まで送り届け。駅では日本ではありえない光景が・・ホーム上と線路上の二ヶ所で列車を待つ乗客、なんと到着した列車の両側ドアーから乗り込んだのです。ホーム上に野犬ウロウロ。狂犬病の注射などもちろん受けていない。あちこちにタムロしている。日本の犬のようにのほほんと生きてはゆけない。常に神経をはりめぐらしておくのが野犬の生き方らしい。発車OKの合図をする駅長さんスチャヴァ駅22:28(発)寝台列車でブカレストへ!
寝台車(1等車)には、車両専用の車掌がいます。部屋は二人、二段ベッド、簡易な洗面所が設備され、大正ロマンのような雰囲気ある車両です。小さな棚には、アメニティーグッズ(歯ブラシやせっけん)などが置かれています。明日の終着駅ブカレストまでお休み態勢に入ります(-_-)zzz





ルーマニア夫婦旅13日目:6/9(火)晴

2015年06月07日 18時15分00秒 | 海外旅行
【ブカレスト市内観光】
05:53寝台列車はブカレスト駅に到着。二週間ぶりにブカレストに戻り、前回の宿泊ホテルに一旦荷物を置き、市内観光へ。お得なルーマニア地下鉄1日フリーチケット(8レイ:約250円)購入。その乗車の都度購入するチケット(5レイ:155円)ですので大変お得です。凱旋門~ 第一次世界大戦に勝利して、建てられました。凱旋門に通じる通りはマロニエの木が植えられています。パリの凱旋門への通りと同じです。現在は補修工事の為、シートカバーで覆われています。国民の館~首都のブカレストは、1989年12月、独裁者だったチャウシェスク大統領の悪政に苦しめられていた民衆が立ち上がり、大統領に反旗を翻したのです。革命は大統領夫妻の処刑という形で終わり、民衆は自由を手に入れました。今でも街のあちらこちらに革命の傷跡や独裁政権の名残があります。街の中心にそびえ立っている国民の館もそのひとつです。国民の館テラスからの展望です。故チャウシェスク大統領が1500億円という大金をつぎ込んで作らせたという巨大な宮殿です。アメリカの国防総省ペンタゴンに次ぐ世界2位の敷地面積があり、部屋数は3100を超えます。ルーマニア入国の日に夕食に出掛けたブカレスト旧王朝前にある風情ある隊商宿跡「ハーヌル・マヌク」で食べた料理が美味しかったので再び昼食に出掛けた。(地ビール・サラダ・豚の首肉のステーキ)こういう場所で昼間から飲むのも楽しい。スタヴロボレオス教会~ルーマニア独特のブルンコヴェアヌ様式の教会です。旧市街にひっそりとあり、建物の外観がとてもおしゃれです。教会内部のイコンはとても美しかったです。民芸品店にてお土産購入革命広場に建つルーマニア独自の建築様式「クレッレスク教会」~何百年もの歴史を感じさせる教会、内部の装飾画が素晴らしく、蝋燭と白熱灯を使用した薄暗い照明が雰囲気をいっそう引き立てています。旧共産党本部(現在は労働省)、故チャウシェスク大統領は、この建物のテラスで最後の演説を行い、その直後、屋上からヘリコプターで逃亡した。旧共産党本部から路地を挟んだ北側にブカレスト大学図書館とその前にカロル1世騎馬像ルーマニア国営テレビ局、ここで革命のときの攻防戦があった。共産党本部からこんなに離れているとは思わなかった。




ルーマニア夫婦旅14日目:6/10(水)

2015年06月07日 12時32分00秒 | 海外旅行
いよいよ帰国の途に・・
早いもので二週間の旅も最後の日となり、いよいよアンリ・コアンダ国際空港からウィーン経由で日本へ・・・
ホテル出発06:45、ホテル前のバス停
でバス待ち中に見た現役で活躍中のトロリーバス街頭でホウキを売るオジサン!日本では見かけないのでスマホでパチリコアンダ国際空港へ。朝食はホテルで作ったサンドウィッチです。 搭乗手続き、セキュリティチェックは厳しい(金属製品装着ないのに感知?)。定刻通り11:15アンリ・コアンダ国際空港からOS790便でフライト!
ラ レベデーレ(さようなら)ルーマニア約1時間で港にウィーン国際空港到着、乗り継ぎ時間は約1時間40分です。軽機関銃携帯の軍隊?による警戒警備13:20ウィーン国際空港(発)
OS51便に搭乗、空路日本(成田)へ・・・3席独占のリラックス
(約10時間50分のフライト)ドリンクサービスはビールとツマミ(なんと缶ビール3本飲んだ)機内食メニューは、ズッキーニのパスタ&豚肉の角煮です。機中泊(-_-)zzz機内暗闇の中、ビスケット&コーラがで出ました!(01:30)



ルーマニア夫婦旅15日目:6/11晴

2015年06月07日 08時25分00秒 | 海外旅行
~帰国~
到着1時間前に出た機内食(朝)のメニューは、温かい玉子焼きと&トマトです。07:16成田空港到着ウィーン&ルーマニア15日間の旅から無事帰国しました。ウィーンは街並みが美しく、それでいて近代的。いわゆる“日本人の思い描くヨーロッパの都市”をイメージ通りに体験させてくれる街です。特にウィーンは音楽の都としての名が高く、観光客への配慮も高いレベルで整っています。一方ルーマニアは、日本の本州とほぼ同じ面積。かっては共産主義の独裁者・チェアウシェスク大統領の悪政が続いていたが民主革命によって崩壊したことは記憶に新しい。日本からの直行便はなく、観光的にはまだまだマイナーな国ですが、美しい自然や世界遺産など沢山あり、郊外の素朴な牧歌的風景や人々の質素な生活風景などには癒されました。今回もまた新しい発見、新しい感動があり、これで海外旅行は29ヶ国目になりました。やはり旅は楽しいです。