本書のテーマは『ユダヤ人と日本の古代における文化交流』である。
いきなり遠い国の話をするが、評者(宮崎)が南太平洋の島嶼国家、トンガに行ったのは劇甚な台風被害の前だったから4年ほどは前だろうか、二階建ての建物が少なく農地はサトウキビ、唯一の三階建てビルは中国大使館だった。
静かな波打ち際のホテルにはプールもあった。フィジーで乗り換えたと記憶する。名勝の岩石絶壁があって高い浪が大きく寄せ、鯨が目視出来る場所を案内して貰った。
ガイドは肥満体の大男だった。 なにしろトンガは横綱・曙の生家があるほどの大柄な人が多い。この島は対馬ほどの面積に人口僅か10万、しかし古代人の遺跡がある。
さて大男のガイドと話しこむと彼の御先祖はノルウェイの漁労船乗りで、鯨を追ってトンガへやってきて住み着いたのだという。
なぜこの話を冒頭にするかと言えば、古代に夥しいユダヤ人が中国を経由して日本に入り、スサノオも猿田彦もユダヤ人であり、しかも蘇我氏、秦の始皇帝の末裔の秦氏もユダヤ系で京都を設計した。土器を造った技能集団の土師氏もユダヤ系の帰化人。またネストリウス派(景教)が日本に入り、蘇我氏が信仰したと、田中英道氏が唱えているからだ。
しかしスサノオも猿田彦も「天つ神」だからユダヤとは無縁だろう。
もとより古事記と聖書では天孫降臨の逸話の組みたて方などパターンが類型しているし、京都の祇園祭は「シオン」からきたとか、戦後の歴史家の視点にはない論議が縦横無尽に展開される。奇想天外、牽強付会と捉える向きも多いだろう。
しかし、評者は奇怪な説とは思わない。
そもそも渡来人というけれど、原日本人はすべて渡来人である。
マンモスを追ってシベリアから南下した縄文人の先達も南方の島々からやってきた海洋民族も日本で定住し、彼らが縄文文明を築いた。
ユダヤ王国は紀元前30年頃に滅び(その時代のコインがイスラエルの古代遺跡で出土した)、多くのユダヤ人は国を追われ、流れ着いた先で融合し、その国の住民になりきってしまう特性があるから、秦始皇帝も蘇我馬子も源流は渡来したユダヤ人だった可能性は全否定できない。蘇我氏は古代豪族の葛城氏を乗っ取ったとする説もあるが、どうみても帰化人である。
議論のなかでニギハヤヒが、瓊瓊杵尊より先に天孫降臨し、その女婿だったナガスネヒコが神武東征に逆らったので「悪役」にされた場面がでてくる。ところが大阪の石切神社はいつ行っても参拝客に溢れる有名な神社だが、主神はニギハヤヒである。
物部氏の怨念がこもった史書『先代旧事本紀』によればニギハヤヒが兄で、瓊瓊杵尊は弟になっている。
本書ではふたりの天孫降臨の出発は紀元前660年で出航は鹿島だったとする見立てである。鹿島神宮はタケミカツチを、となりの香取神宮はフツヌシを祭り、この二神が出雲へでかけて大国主命からの國譲りを実現したことは古事記と日本書記でおなじみである。
歴代天皇を唐風に改めたのは八世紀の淡海三船だが、「神」のつく天皇は神武、崇神、応神の三天皇だけである。つまり特別の意味がある。
縄文時代の遺跡では墓は集団墓地を形成しており、儀式場のそばにあるが、弥生時代には古墳となる。そして古墳は仏教の本格的普及とともに、突如つくられなくなった。替わって寺院と仏像がブームとなった。
▼吉野ヶ里遺跡からユダヤ的な石棺がでてきた
さてここまで書いてきたら、吉野ヶ里遺跡で石棺が発見されたニュースに接した。
「佐賀県の吉野ヶ里遺跡で見つかった弥生時代後期の有力者のものとみられる墓について、内部調査が始まりました。石棺墓のふたが開けられました。この石棺墓は、これまで神社があり発掘調査が行われていなかった、いわゆる「謎のエリア」で今年4月に発見されました。ふたの重さは最大200キロで、表面には「線刻」と呼ばれる記号が数多く刻まれています。また、一般的なものよりも大きく、見晴らしの良い場所にあったことから、邪馬台国が存在したとされる弥生時代後期に作られた有力者の墓とみられています」(佐賀県文化財保護・活用室 白木原宜室長)。
「非常にわずかなんですけど赤色顔料、朱なんでしょうけど、赤色顔料が少々見えました。石棺の中が赤く塗られている可能性がある」(TBSニュース、6月5日)。
ここで二人の会話を聞こう。
田中英道 「古墳においてはがっちりとして石棺をつくり、遺体を保存する。これは肉体が甦ることを意図しているわけで縄文的な死生観ではないと思われます。秦氏、あるいは外からきた人たち、特にユダヤ系の人たちがそうとうな組織力と資金力を持ってやらなければ出来るものではありません。それが『ヤマト王朝』のはじまりの姿と言ってもいいだろう」
茂木誠 「遺体を保存するのは確かに中東の文化ですね。古代エジプト人は輪廻転生を信じ、乾燥気候を利用してミイラをつくるわけですが、高温多湿の日本では難しい。そこで真っ赤な辰沙(しんしゃ=硫化水銀朱の原料となる鉱物)で遺体を包み、保存しようとしました」
田中 「古墳のあの高い場所、円の部分の上の方に石棺を置いて、故人が天に上って甦るという信仰でつくられているわけです。そういう信仰と技術が、わが国に同時に外から入ってきて、それを見た日本人が驚嘆し、積極的に協力・採用した。あの時代にあれだけの数の古墳がつくられたということは、つまりそういうことなのです」(170p)
ユダヤ人説もかつての「日ユ同祖論」と思い起こすが、歴史学界はいつものように本書には沈黙を決め込むだろう。だからこそ貴重な発言が並ぶのである。
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あなたの歴史観が変わる!謎解き!歴史物語!
教科書にも載らない、縄文・神話の時代から続く、日本とユダヤの壮大なストーリー!
ヤハウェ→ヤハタ→八幡神? ユダヤ人埴輪? エデンの園は日本だった!?
なぜユダヤ人たちは世界を流浪するのか?
なぜ彼らは日本に同化したのか?
天孫降臨にも、巨大古墳にも、神社やお祭りにも、彼らの痕跡が!?
ミステリー小説の謎解きのような、画期的に面白い歴史対談!
★日ユ同祖論を超える「日ユ同化論」!
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田中英道(たなかひでみち)
1942年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒業。ストラスブール大学に留学シドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する側、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。著者に『日本美術全史』(ローソン)、『日本国史上・下』(扶桑社)、『日本神話と同化ユダヤ人』(勉誠出版)『京都はユダヤ人秦氏作った』『日本
茂木誠(もぎまこと)
東京都出身。駿台予備学校、ネット配信のN予備校で大学司法世界史を担当。東大・一橋大世界史の受験参考書のほかに、一般向けの専門家として、『世界史とつなげて学べ超日本史』(KADOKAWA)、『経済は世界史から学べ! 』(ダイヤモンド社)、『「戦争と平和」の世界史』(TAC出版)、『テレビが伝えない国際ニュースの真実』(SB新書)、『バトルマンガで歴史が超わかる本』(飛鳥新社) )、『ジオ・ヒストリア』(笠間書院)、その他多数。YouTube「もぎせかチャンネル」でも発信中。
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