東アジア歴史文化研究会

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香港財閥の番付が入れ替わっていた。李嘉誠がトップから退場 万年二位だった李兆基が香港財閥一位になっていた(宮崎正弘国際情勢解題)

2020-02-22 | 中国の歴史・中国情勢
共産党の血の弾圧、殺戮と圧政を懼れ、李嘉誠は学校をやめ、広東省の北端にある潮州から、家族とともに香港へ脱出した。父親がすぐに死んだため、わずか十二歳で一家の大黒柱となって働き続けてきた。香港に潮州料理が多いのは、その所為かもしれないが、ともかく李嘉誠は、92歳のいままで、まっしぐらに走ってきた。

プラスティック事業の成功から不動産デベロッパーになって、おりからの香港の不動産需要の大波に乗ってビジネスは大成功の連続だった。すでに四十年近く、李嘉誠が率いる長江実業とハッチソンワンポア集団は、香港株式市場時価総額の三分の一を占めるまでにいたり、李嘉誠は、過去21年間にわたって、香港財閥トップの座を守り続けた。

江沢民時代には改革開放が本物と判断し、北京へ進出して「香港モデル」と呼ばれるビジネスでさらに財を拡げてきた。

その香港トップが習近平時代になるや、本能的な危険を感じたのだろう、中国大陸のビジネスを次々とたたみ始め、北京の銀座=王府井のビル売却を皮切りに、およそ110億ドルの大陸内の資産を処分した。2019年の中国投資は他者との共同出資分が8億ドルだけだった。理由は習近平とまったくそりが合わなかったからで、仙頭大学の名誉学長として卒業式列席も19年から欠席。

対照的に英国を中心に李嘉誠は欧米に投資の矛先を変え、およそ700億ドルをエネルギー、運送などに企業に投資し、さらにはロンドンに不動産デベロッパーとして手をひろげた。外国へ700億ドル、かたや中国へは8億ドル。 

李嘉誠が何を考えているか、この投資比較をみても明々白々であろう。

李嘉誠は本丸の香港でも不動産投資には興味を失っていた。競合他社がまだまだ強気でマンションの建設、ショッピンモール建設を展開中というのに、香港における不動産部門への投資を劇的に減らし、社会還元や慈善団体への寄付をつづけるものの、究極的には中国共産党の支配と監視を受けない国々への移転を急いできた。

かくして李嘉誠にかわって香港トップの座に就いたのはヘンダーソンランドの李兆基である。彼も92歳。李嘉誠の個人資産は294億ドル、李兆基は304億ドルだった(資産の推計は恒例『フォーブス』の長者番付、2020年2月6日)。

蛇足ながら、筆者が李兆基にインタビューしたのは、三十年前になるだろうか。端然として真摯で、当方の質問に正面から答えてくれたのが印象的だった。鮮烈な記憶は「日本に進出しないのですか?」と尋ねると、「あのように税金の高い国でまともなビジネスが成り立つとは思えません」と答えたことだった。

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