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北朝鮮の女帝・金与正氏 夫は? 学歴は? 後継者なのか?(暴走!?“爆破女”金与正氏)

2020-07-03 | 北朝鮮関係
2020.7.2
端正な顔立ちと言葉の苛烈さのギャップがスゴい(時事通信フォト)

端正な顔立ちに似合わぬ言葉の激烈さで各国の度肝を抜く北朝鮮の女帝・金与正氏。いったい彼女は何者なのか。新著『金正恩の機密ファイル』(小学館新書)が話題を呼ぶ東京新聞編集委員の城内康伸氏がそのベールを暴く。(敬称略)

2年前の和解・交流ムードがウソだったかのように、北朝鮮が最近、韓国への敵対姿勢をエスカレートさせている。その急先鋒に立つのが、金正恩朝鮮労働党委員長を補佐する実妹の金与正党第1副部長だ。南北融和の象徴だった北朝鮮南西部・開城にある共同連絡事務所の爆破(6月16日)を予告し、文在寅政権を罵倒するなど、「強面の女」としてにわかに存在感を増している。

与正は兄の正恩と同じく、金正日総書記と在日朝鮮人帰国者の高ヨンヒとの間に生まれた。米政府が2017年に人権侵害に関与したとして制裁対象に指定した際に作成したリストによれば、生年月日は1989年9月26日。ただ、韓国統一部は1988年生まれとしている。いずれにせよ、30歳を過ぎたばかりだ。

北朝鮮事情に詳しい消息筋によると既婚のようだ。しかし、韓国メディアがかつて報じた、「夫は正恩の側近である崔竜海最高人民会議常任委員長の次男」という説は誤りらしい。「部隊長クラスの軍人」という未確認情報もある。

与正は父親の寵愛を受けたという。脱北した元北朝鮮高官は「公主班というのがあり、与正の世話を焼いていた」と振り返る。金王朝のプリンセスとして、何不足なく育ったに違いない。1996年から2000年末ごろまでは、正恩と一緒にスイス・ベルンに留学した。

北朝鮮メディアに最初に姿を現わしたのは金正日が2011年12月に死亡した直後のこと。葬儀で正恩の後ろに喪服を着て立っている写真が公開された。翌2012年11月には、正恩、叔母の金慶喜と白馬に乗った写真を朝鮮中央テレビが放映。王朝の一員であることを内外に印象づけたが、いずれも名前は明らかにされなかった。

実名が初めて登場したのは2014年3月。国会にあたる最高人民会議代議員選挙で「党中央委員会責任幹部」の肩書きで登場。同年11月には党副部長の職位で、2018年2月には「党第1副部長」と報じられ、権力中枢の階段を着実に上っていく。

正恩が2018年に入って首脳外交を活発化させると、シンガポール、北京、ハノイに同行。儀典から実務まで取り仕切り、甲斐甲斐しく立ち回る様子がテレビに映し出された。

先の北朝鮮消息筋は「判断力が優れていると聞く。実の兄妹とあって正恩の信頼は格別に厚く、分身のような存在だ」と評する。

2018年2月には平昌冬季五輪開会式に出席するために訪韓し、文在寅大統領らと会談した。「微笑み外交」と国際社会の注目を浴び、韓国では一気に、好感度をアップさせた。

◆正恩ジュニアの摂政

それが最近、文在寅政権を批判する談話を自らの名で相次いで発表した。脱北者を「クズ」呼ばわり。北朝鮮に対話を呼び掛けた文在寅について「むかつく」「鉄面皮」と言い放つ。ソフトイメージから驚くほどの豹変を遂げた。

北朝鮮は共同事務所の爆破について、韓国の脱北者団体が5月に正恩を冒涜するビラを散布したことへの報復だと説く。しかし、ビラ散布は今に始まったことではなく、専門家の多くは「口実に過ぎない」と口を揃える。

南北首脳は2018年9月の平壌会談で、中断している開城工業団地と金剛山観光事業の再開で合意した。両事業は北朝鮮にとって貴重な外貨獲得手段となるはずだったが、合意は具体化しておらず、文在寅政権に対する北朝鮮の不満は大きい。

「韓国に対する厳しい姿勢は、韓国が約束を守らないからだ」とは、北朝鮮消息筋の解説だ。北朝鮮が「口先番長」の文在寅に業を煮やしたというのだ。

なぜ、強硬姿勢の先頭に与正が立つのか。彼女のイメージチェンジは、対韓国政策の劇的な転換を内外に強く印象づけるからだ。韓国にとっての衝撃は、いっそう大きい。南北関係の改善を最大の政治目標に据える文政権に対して、揺さぶり効果は絶大だ。

「何よりも重要なのは、与正が事実上のナンバー2としての地位を固めるための実績づくりだろう」

韓国政府当局者はこのように読み解く。

ベトナム・ハノイで昨年2月に行なわれた正恩とトランプ米大統領による2度目の首脳会談は事実上、決裂した。間もなく、与正は党重要ポストの政治局員候補から外れた。会談失敗の責任の一部を負う辞任だったようだが、今年4月には復活している。

米朝交渉失敗には軍部など強硬派の批判が強いとされる。汚名を返上して国内強硬派の支持を確実にするには、挑発的な対韓国政策を指揮するのが最善の策と判断した面があるに違いない。

正恩の健康不安説と相まって、与正の急浮上については、「後継者」説も一部に指摘される。しかし、韓国政府当局者は「垂簾聴政を念頭に置いている」と推し量る。

垂簾聴政とは、皇帝が幼い時など直接政治が行なえない場合に、権力を握る女性が摂政政治を行なうことをいう。朝鮮王朝の歴史ではたびたび見られた現象だ。

正恩には男児がいるが、10歳前後とまだ幼い。正恩が近い将来に死亡したり、執務不能になったりした場合、与正が代行役として政を行なう。これこそ、正恩が描く危機管理のシナリオだという。

●城内康伸(しろうち・やすのぶ)/1962年、京都市生まれ。東京新聞(中日新聞)編集委員。ソウル支局長、北京特派員などを歴任し、海外勤務は計14年に及ぶ。著書『昭和二十五年 最後の戦死者』(第20回小学館ノンフィクション大賞優秀賞)など。最新刊は『金正恩の機密ファイル』(小学館新書)。

※週刊ポスト2020年7月10・17日号

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