米豪日印のクアッドに「死角」がある。
中国とラオスのビエンチャンを結ぶ新幹線が開通した(中老鉄路=「老」は中国語でラオスの意味。正式開通式は12月2日)。ラオス北部のボーデンからビエンチャンまで414キロ。途中古都で王宮跡のある観光地=ルアンパバンなど33駅を通過し、時速120キロで、橋梁箇所が167,トンネルは75という難工事、総工費70億ドルは中国が融資した。
将来は、ビエンチャンからタイへ延長し(ビエンチャンの対岸はタイのノンカイだ)、バンコクまで繋がると、雲南省のシーサンパンナから直通特急が走ることになり、東南アジアの裏通りが中国主導「一帯一路」の目玉となる。タイもいまや「中国経済圏」で人民元が流通している。
三年前、ラオス北端のボーテン(磨丁)まで取材にいった。すでにマンションが林立し、大型トラックが渋滞し、カジノホテルと免税ショップのビルができていた。中国鉄道建設の現場は活況に満ちていた。マンションの販売広告は、なんと売値が人民元建てだった。
しかも渋滞の長距離トラックのナンバープレートをみると遼寧省、黒竜江省、吉林省からはるばるラオスへ出稼ぎに来ていることが分かった。現地の食堂でも、中国人労働者が混じり、昼からビールを飲んでいた。ボーデンの地元はアカ族、モン族が多い。
中国はラオスとカンボジアを事実上の「植民地」とした。カンボジアのシアヌークビルには中国資本のカジノホテルが50棟、ホテルは殆どが華僑経営、高層マンションが林立している。ここは何故か重慶からの出稼ぎ、もしくは移民だ。
首都プノンペンのマンションも90%は華僑資本、なかには華僑の子弟が通う「インタナショナルスクール」もある。
イオンが大きなショッピングモールを繁華街に店開き、近くには高層の東横インもあるが、その高さを遙かに凌ぐ中国系タワマンが周囲を埋め尽くしていた。レストランに入っても、飛び交うのは中国語である。
なぜこうなったか?
華僑研究の第一人者、樋泉克夫(愛知県立大学名誉教授)が次の分析をしている。
「天安門事件の後遺症に苦慮した共産党政権は、南方に広がる国境関門を開放し、雲南省を橋頭堡に東南アジア内陸部へ進出──歴史的に表現するなら『漢族の熱帯への進軍』を再始動することで、苦境からの脱出をはかった」(『週刊新潮、21年11月25日号)。
そのうえ、ラオスは雲南省華僑が早くから進出していてチャイナタウンがあった。
カンボジアは国民感情として、中国よりベトナムが嫌いなので、早くから華僑の移住が目立ち、キリングフィールドでは夥しい華僑が血の犠牲になったあとでさえ、中国は寧ろ積極進出を繰り返していたのだ。このような過去の経緯と華僑の強い地盤があって、中国は影響力拡大に力を集中してきたのである。
この東南アジアにおける中国の事実上の経済植民地化という現実が、欧米の安全保障議論では軽視されている。
「クアッドの死角」と言えるだろう。
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