「シオン」は、イスラエルのエルサレム地方の地名で、ダビデ王の支配下に入った町として登場する歴史的な地名だが、「神殿の丘」の別名となり、後にエルサレム全体、さらにイスラエルの地全体を象徴する言葉ともなった。
ソロモン王により紀元前10世紀頃、エルサレム神殿(第1神殿)が建てられた場所が「神殿の丘」で、バビロニアにより破壊された後、第2神殿が再建され、現在もその城壁の一部が”嘆きの壁”として残っている。
神との約束のイスラエルの地、パレスチナに自分たちの国を建てよう・・というユダヤ人の運動―シオニズムの語源となった地名でもある。
ちなみに「シオン」の綴りは「Zion」で、英語読みだと「ザイオン」―映画、「マトリックス」でコンピューターの支配から逃れた人間たちの住む街の名で、「機動戦士ガンダム」で、地球連邦に独立戦争を挑んだジオン公国も「Zion」である。
スペースノイド(宇宙移民)による国を建てようというジオニズム(Zionism)は、綴りもまったくシオニズムと同じで、そりゃまずかろう・・と、後に「Zion」から「Zeon」に変更されたという経緯もあるそう・・。
さて、エルサレムの別名でもあるこの「シオン」、原語のヘブライ語では「ツィオン」となり、日本に来て「ギオン」になったのではないか?・・という説があるのだ。
「あなたがたを苦しめた者の子らは、かがんで、あなたのもとに来、あなたをさげすんだ者は、ことごとくあなたの足もとに伏し、あなたの主の都、イスラエルの聖者のシオンととなえる。」(イザヤ書60:14)
「あなたの民はことごとく正しい者となって、とこしえに地を所有する。彼らはわたしの植えた若枝、わが手のわざ、わが栄光をあらわすものとなる。その最も小さい者は氏族となり、その最も弱い者は強い国となる。わたしは主である。その時がくるならば、すみやかにこの事をなす。」(イザヤ書60:21~22)
―旧約聖書のイザヤ書の1節である。
イザヤはユダ王国後期の預言者で、国を失い、離散の憂き目にあったユダヤ民族にとって、「シオン」への帰還は神との約束であり、聖書に記された預言であり、二千年来の悲願であった。
イスラエルのエルサレムでは、様々な祭りが行われ、それらを総称して「シオン祭」と言っていたそうだが、はるかシルクロードを旅して、日本にたどり着いた”失われた十部族”の末裔が、かの地を偲んで、そこで行われていた祭りを行っていたとしても、不思議なコトではない。
「シオン祭」=「祇園祭」・・とゆーコトである。
『祇園祭の大いなる秘密』の著者、久慈力はその共通点を指摘している。
祇園祭は、7月から1ヶ月という長い期間にわたって開催され、7月17日の山鉾巡行で祭りのクライマックスを迎える。(カテゴリー/歴史・民俗:「祇園祭」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/6049ec424c880a47cec8d1a61e283310)
「箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。」(創世記8:4)
・・と聖書にあるように、この7月17日はノアの箱舟が洪水を逃れ、山の頂上に漂着した日で、イスラエルでは祝日としてその前後、計3週間という期間をかけて、毎年、新年祭が行われていたそうだが、その原点こそ「シオン祭」で、複数の祭りを祝い、国をあげて催されるイスラエルの壮大な宗教行事であった。
ちなみに山鉾はノアの箱舟?とも言われているとか・・。
箱舟が漂着したアララテ山は、現在のアルメニア近郊にあるタガーマ州のハラン(=タガーマハラ)にあり、高天原(タカマガハラ)に通じる。
高天原は、古事記の冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所とされ、イザナギ、イザナミの国生みの二柱の神が、矛を下ろして島を作るくだりがあり、その場所が海の上の雲?の中に存在した・・とされていたと考えると、洪水で山頂に漂着した箱舟を彷彿させ、非常に興味深い。
―紀元前8世紀、イスラエルが滅亡した際、シオン祭は首都エルサレムの崩壊とともに消滅し、その後、過越しの祭や収穫祭、仮庵祭、宮清めの祭・・など、旧約聖書に記されている各種の祭りにその名残りを残すのみとなったが、現在にまで伝わるイスラエルの新年祭と、祇園祭の暦との類似点の多さには驚かされる。http://ckphoto.exblog.jp/4191751/
まず、イスラエルでは、7月1日よりロシュ・ハシャナと呼ばれる新年礼拝があり、同じ日に祇園祭では吉符入りと呼ばれる祈願式からはじまる。
それからイスラエルでは、7月10日のヨム・キプールと呼ばれる贖罪日まで断食をしながら神の御前で悔い改めをする神聖な日となるが、祇園祭では同じ時期に清祓いと呼ばれる祈願式をもって、山鉾ごとのお祓いと清めが行われる。
また中旬の15日から7日間、イスラエルでは旧約聖書のネヘミア書に基いて、テントで寝泊りをし、エジプトでの奴隷生活からの脱出を祝う仮庵祭が催される。
同様に祇園祭では山鉾を造るが、この山鉾とその装飾方法がイスラエルの仮庵に酷似しているという。
仮庵祭の終盤では、会堂の祭壇に水を注ぐ清めの儀式と、律法の集会であるホザナ・ラバと呼ばれる祝福の儀式が行われ、神の救いに預かったことを祝して祈りつつ、草木を振りかざしながら、祭壇の周りを7回巡り歩き、神に感謝を捧げる。
7月17日より始まる神幸祭では、神輿が八坂神社から巡行して四条御旅所にて7日間留まり、御輿を神事用水で清める「御輿洗」と呼ばれる儀式が執り行われ、神主が祈りを捧げた後、祭壇に玉串を捧げ、周囲の人々がお神輿の周りを3回巡り歩き、山鉾に草木が添えられるという・・。
さらに牛頭天王と蘇民将来の説話に基づく祇園信仰は、イスラエルの過越の祭とそっくりなのである。
シオン祭は、日本の地にたどり着いたユダヤ民族の末裔たちに継承され、土着化する過程において、様々なイスラエルの祭りの要素が吸収・集約されていきながら、今日の祇園祭になっていったのではないか?・・というのがその説だ。
なんで京都に・・?
・・と思ってしまうが、長い歴史を誇る古都・京都にはユダヤ人に由来するものと見られる痕跡が多く、枚挙に暇がない。
エルサレムはへブライ語では、「エル・シャローム」で、都をイミする「エル」と、平和をイミする「シャローム」が合わさって出来た言葉である。
すなわち、エルサレム=エル・シャローム=平和の都=「平安京」(!)となる。
平安京のあった京都の近くには琵琶湖があるが、エルサレムから少し北上するとキネレットという湖がある。
これは、ガリラヤ湖とも呼ばれる、イエス・キリストが福音を伝えた場所であるが、「キネレット」とは琵琶や竪琴をイミし、要するにキネレット湖=琵琶湖・・なのである。
いやー・・キリがないのでこの辺で・・。
そうですか。そんな奥深い内容が。。。
知らずに祇園祭を見ておりました。
(一回しか見にいった事無いけど)
京都に住みながら祇園祭の時期は
暑すぎてさらさら
いく気にはなりませんでした。
あの祇園祭の様子を見て
なにがおもろいんやろ?
と思っていましたが
すこしまた見に行きたくなりました。
今年はお盆に実家に帰るかな~
五山の送り火でもみるかな
俺なんか大阪出身なのに、ほとんど京都は行ったコトないんよねー・・。
いろいろ歴史なんか勉強して行ったら、面白いと思うよ・・。
俺の友達にも何度も京都に行ってる”京都好き”がいるけど、京都は奥が深い・・。
知らずに行ったら、気付かずに過ぎてしまう史跡だらけなんだろーなー・・。
いいところです。