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喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

伊方町音楽発表会

2010-11-30 | ブログ
今日は、伊方町内の全小学校、中学校の音楽発表会がありました

それぞれの学校の特徴が出たとてもすばらしいものでした

写真の緞帳は、伊方の素朴さを描いたゆかいなものです
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佐田岬の夕日

2010-11-29 | ブログ
 先週末、八幡浜方面から岬へ向けて帰っていました。

 するとメロディーライン頂上付近が、
みかん色に染まっていました。

 この夕日でした。

 アルプスの少女ハイジが、
おじいさんにたずねました。
「おじいさん、どうして夕日はあんなにきれいなの?」

 おじいさんはどうこたえたでしょう。

 そんな気分で、
見とれて、写真を撮りました。

                  岬人
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『大切な人に贈りたい24の物語』~本では紹介されなかった感動ストーリー~

2010-11-29 | ブログ
 南国愛媛、佐田岬も寒くなってきました。
こんな時には、暖かい飲み物をクイッと。
または、温かい話であたたまりましょう。

 中山和義さんのメールマガジンから
温かいものが送られてきました。

『先日、京都の比叡山、延暦寺に体験修行に行ってきました。
座禅や写経などを行ったのですが
いろいろと気づかせられることが多くあって、いい経験になりました。

 初めて長時間の座禅をしたのですが、体が硬い私はとても辛かったです。
でも、真っ暗な本堂で自分について長い時間ゆっくり考えることができました。

 延暦寺では食事の時間も修行になります。
食事の最中は一切音を立ててはいけないのです。
たくわんをバリバリと食べて「音を立てるな」と怒られてしまいました。

 もちろん、出された食事はご飯粒のかけらすら残してはいけません。
お茶碗にお茶を注いでたくわんを使ってご飯のぬめりを綺麗にして、
それを飲み干します。

 食後に指導員の方が
「どうして、ここまで綺麗に食事をしないといけないと思いますか?」
と質問しました。
食べ物を作った人に申し訳ないからだと思ったのですが、指導員の方は

「皆さんがこの食事を食べることができるまでには、
 どれだけ多くの人の助けが必要だったのでしょうか?

 お米を作る人、野菜を作る人、野菜を運ぶ人、野菜を売る人、
 料理を作る人、料理の道具を作る人、水を供給する人、ガスを供給する人など
 もしも誰か一人が欠けても食事は出来ないのです。

 感謝して残さず食べる理由がわかりますね。」

と話してくれました。

私もそうなのですが、当たり前に好きなものがいつでも食べられるので
食べ物に対するありがたさを忘れているような気がしました。

***********************************

 この後、食べ物について調べたのですが、
世界では毎日3万人以上の人が餓死しています。
1分間に20人が亡くなっている状況です。

 その多くが子ども達です。
世界の5人に1人が栄養失調の状態です。
居酒屋などで飲食をすると食べないで残すものが多いのに気がつきます。

 どんなに自分が気をつけても、
今の日本で食べ物の無駄を減らすのは難しいです。
 ほとんどの食べ物を輸入していることや
戦後の貧しかった頃の状況を忘れてしまっていると思います。

 世界には食べ物が無くて餓死する人がたくさんいるという現実を
いつも考えることが大切だと思います。』

 背筋がシャキッと伸びそうなお話でした。
でも食べ物を大切にする気持ちは、よくわかります。
私は、それを大正生まれの亡きばあちゃんからしつけられました。

 食べるときの「いただきます。」
という感謝の気持ち。
そんなちょっとした気持ちが、
自分をあたたかい人へと変えていくのではないでしょうか。

             岬人


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国立大洲青少年交流の家「大洲会」

2010-11-28 | ブログ
 教育を行う場所により、
家庭教育、学校教育、社会教育と3つに分けることができます。
 それぞれに特徴があり、大切なものばかり。
中でも社会教育は、その期間も長く、場所もさまざま。
家庭と学校以外はすべて。
それだけに学びも多いのです。

 大洲にある国立大洲青少年交流の家(もと国立大洲青年の家と呼ばれていました)は、
社会教育施設の中心的な役割をになっています。
 自然体験や生活体験・社会体験など、
体験を通して青少年のひとりだちを応援していくところです。
 
 利用料も格安で、1泊3食で2000円におつりがきます。
2名以上なら、学校関係に限らず、どんな集まりでも利用できます。
 ちなみに私も家族でよく利用し、
全国にある関係施設をめぐっています。
 
 私たち元職員と現職員で「大洲会」という組織をつくっています。 
 目的は、会員の親睦を図るとともに、
青少年交流の家の事業への協力などで支援していくものです。

 昨日28日に大洲会の第6回総会と懇親会が開かれました。
 これは2年に1回開かれるもので、大分・高知・香川・徳島・東京など
全国各地から集まって来られます。
なつかしい顔ぶれがせいぞろい。

 私が勤務した時の所長である北野所長の顔もありました。
当時と変わらぬ、はつらつとしたものでした。
今は、東京にある日本ガールスカウト連盟本部の事務局長として活躍されています。
 愛媛県にも新居浜に支部があります。

 さまざまな方たちとの話はつきず、
大いに笑い・大いに語り、
夜は更けていきました。

 自分にできることでいい。
若者たちのために、地域のために
できることをしていこうと改めて感じた時間でした。

国立大洲青少年交流の家ホームページは、
 http://ozu.niye.go.jp/
              
          岬人(はなんちゅう)
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ボジョレー・ヌヴォー パーティー

2010-11-27 | ブログ
 写真は、すべてボジョレー・ヌヴォー 。

 いろいろな種類があるんです。
ペットボトルに入ったものもあったり、
値段も2000円~3000円までのお手頃価格。

 私の住宅にワインが好きな谷口さんがいて、
ボジョレー・ヌヴォー パーティーを開いてくれました。
 ふだんなかなかワインを飲まない人にとっては、
すてきなワインとの出会いでした。
甘かったり、酸味がきいていたり、まろやかだったり。

 まちのお店に行っても、これほどボジョレー・ヌヴォーの種類を置いていないでしょう。
そして、値段も高いでしょうし。
 田舎のすてきな楽しみ方だと思いました。

 同じ住宅に住んでいて、その輪をとりもっていただく、
こんな飲み会はとても大切に感じます。
 集まったのは、12人。
 ほかのメンバーもおいしいワインと
さまざまなおしゃべりに、
心も体もリフレッシュ。

 翌日、少し頭が重く、
「やはり飲み過ぎました。」

               岬人(岬人)
 
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ボジョレー・ヌヴォー

2010-11-27 | ブログ
 写真は、ボジョレー・ヌヴォー(Beaujolais Nouveau)。
ボジョレー・ヌヴォーとは、フランスのブルゴーニュ地方南部に隣接する丘陵地帯・ボジョレーで生産される
ヌヴォー(試飲むけの新酒)の赤ワイン。
 つまり、ヌヴォーとは、その年に収穫されたブドウのできぐあいを確認するための試飲酒のこと。
だから、軽いしあがりで、値段もおてごろなのです。
 
 今、喜久家に来てくれているフランス出身のフィリップのふるさとである世界遺産の街リヨン
に近いそうです。
フィリップが言っていました。
「とってもきれいなぶどう畑が広がっています」と。
 8月までいたトニーは、ボルドーに住んでいて
「ボルドーワイン」のことを聞きました。
フランスって、農業がさかんなんです。

 このヌヴォーは、そもそも当地の農民が収穫を祝ったのが始まりとされます。
本格的な輸出が始まったのは1968年。
解禁日は11月15日でしたが、1984年から11月の第3木曜日に改められました。

 解禁日が設けられた理由として、
各メーカーがどこよりも早くヌヴォーを出荷し、
セールスを稼ごうと競い合っていたものがだんだんエスカレートしていき、
ついにはワインとして十分でき上がっていないにもかかわらず出回るようになってしまったからだそうです。

 日本への航空便での輸入は1976年に開始。
1980年代後半のバブル期に大きなブームになり、
解禁日未明に成田空港に行って飲む人まで現れるなどの状況でしたが、
バブルの崩壊でブームが終わりました。

 しかし1997年頃からの赤ワインブームに乗って再び人気が高まり、
バブル時代を上回るほどです。
 2004年ものは過去最大の販売数量を記録したようです。

 ちなみに、今年のものもおいしく、手に入りにくいようです。

 ふるさとのみかんも、何か注目を集めるようなネタはないですかね。

                岬人(はなんちゅう)

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国道九四フェリーの中のできごと

2010-11-25 | ブログ
 先日20日、佐賀で開かれた全国人権・同和教育の帰り。
我がふるさと伊方町三崎港と大分佐賀関を結ぶ、
国道九四フェリーの中のできごとです。

 その便は、多くのお客様でいっぱいでした。
そんなガヤガヤした中、
2歳くらいの坊やがチョコチョコと通路を動いていました。

 見ると、私たち大人たちの脱ぎそろえられていない靴を
きれいに並べてくれていたのです。
これには、周りにいた大人は、感心の気持ちと苦笑いとの様子。

 この坊やは、きっとすばらしいしつけを家庭でされているのでしょう。
清らかな心を持った子どもたちに、
私たち大人が、何を、どんな気持ちで伝えていくかによって、
子どもたちの将来を大きく左右します。

 恥ずかしくない背中を見せたいものです。

               岬人(はなんちゅう)
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寄ってみよう!田村菓子舗

2010-11-24 | ブログ
 先日、愛媛新聞にも掲載された
三崎中学校の「未来に残したいふるさと・岬の風景プロジェクト」。

 ぜひ、子どもたちのこの感性を
地域の人たちにも伝えたいと考え、
写真を貸し出す取組を始めました。

 まずは、いつもお世話になっている二名津の田村菓子舗さん。
ひろ君といっしょに、二名津地区に関係するような写真を
見つくろい、「二名津バージョン」のパネルを作りました。

 そうして、田村菓子舗さんを訪ね、
さっそくかざってもらったのです。
お礼にふるさと写真で作ったしおりをプレゼント。
 その田村菓子舗三代目から連絡がありましたので紹介します。

『 仲間を作ろう (三代目)

 毎日楽しく読ませていただいています。
 岬人さんのブログ、私の目指す大切なコミュニティのひとつです。
先日は、写真ボードと「ひろくん」の手作りのしおりありがとうございます。
 写真は来客されたお客様とのコミュニケーションツールとして活躍しています。
ありがとうございます。
また、ブログにて紹介させていただきます。

 大好きな・大切なふるさとを語ることは、
自分の根っこを語ること。

 故郷を語れること、すばらしいことですね。
三代目も故郷を語ることなしには、自分の行動を語れません。
まさに原点。
どこにいても、誰に対しても語れるような佐田岬を作っていきたいですね。』

 三代目のような仲間がいることが、とても心強いです。
まずは地元の人たちが、自分たちのふるさとを、
改めてすばらしいと思えるようなことをしていきたいです。

                 岬人(はなんちゅう)
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出発(たびだち)  「ほのおより」

2010-11-23 | ブログ
 同和教育についていろいろと思っています。
それは、「ふるさとについての思い」
と重なることがあります。

 新川譲さんが書かれた
「出発(たびだち)」を紹介します。

『「おまえは、二度とここへ帰ってくるなよ。」
父は、ふるさとの山を見上げてつぶやいた。

今まで一度も耳にしたことのない
凜とした厳しい口調で言いきった。

父に聞きかえすまでもなく、
父が何を語ろうとしているのかが
並んで立っている私に伝わってきた。

へき地の学校へ教師として赴任する
「出発(たびだち)」の朝である。

ふるさとの古い駅舎、
8年間、この駅から
父の、母の、兄のそして妹たちの
苦労という糧をいただいて
学校に通った思い出多き駅である。

見上げると、
冬から春に模様を変えた山肌に
山桜が紅の花を咲かせて
点在していた。

母なる山 ふるさとの山。
頂上までかけ登り、
大切なシャツを破り、その度に
母に叱られた ふるさとの山。

小学生時代、友が操るタコを
横目で見ながら、
母とならんで麦ふみをし
じっと くちびるをかんで見上げた
ふるさとの山。

その山を、
その麓の生家を、
いとおしいふるさとを、
父は捨てろという。
その時ほど
差別をにくみ、怒り、涙したことはなかった。

その時
私の気持ちは決した。
「父を裏切ろう。
堂々と胸を張って、ふるさとが語れる
人間になろう。
そして、再び帰ってこよう。
尊敬する父の、母の、兄の、
そして妹たちの意思に
そむこうとも悔いはない。」

ふと、並んで汽車を待つ父の頬に
一筋の涙が伝わり落ちた。

春盛りの「出発(たびだち)」の朝であった。』


 大好きな・大切なふるさとを語ることは、
自分の根っこを語ること。
語ることをとまどわせる世の中は、まちがっています。

 写真は、井野浦から伽藍山を見たもの。
「未来に残したいふるさと・岬の風景」として
井野浦生まれの中学3年生男子が撮ったものです。

            岬人(はなんちゅう)
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西洋酒場 kio

2010-11-22 | ブログ
 あんみつ姫を出ても興奮さめやらぬまま、次の店へ。
めざすは、西中州。

 大学時代の旧姓松尾さんに電話し、店の場所を聞きました。
目的の店は、松尾さんのご主人の店なのです
向かっていると、西日本一の繁華街、中州とは思えないくらいの静かな路地
右へ曲がり、今度は左に。

 うす闇の中に、ぽつんとあたたかいオレンジ色の明かりが見えました
ここだ~
西洋酒場kio
 約10年ぶりに開けるドア、そしてマスターの木尾さんとの再会、楽しい話。

 とってもゆったりと流れる時間を感じました。
すっかり先ほどの興奮がクールダウンされ、良い眠りにつけました

 また、来たいお店です
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あんみつ姫

2010-11-22 | ブログ
 写真は、あんみつ姫での1枚。
さて、このあんみつ姫は、男性でしょうか、女性でしょうか

 今回の人権同和教育の視点から言うと性同一性障害に関係します。
 講演で大阪の大学教授が言われていましたが、
大阪の多くの高校では、性同一性障害をもっている高校生がいるというのです。

 体と心のちがいに悩む人がいます。
まだまだ日本社会では、認められにくいようですが、その理解は広がっているとのこと

 写真の方は、声はまったく高い女性の声。
力をいれると首筋には、筋がたち、背中は、筋肉のかたまりが浮き上がります。

 本当にどちらなのでしょうね。
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出会い 福岡編

2010-11-22 | ブログ
福岡で行ってみたい店がありました。
その名は、あんみつ姫
姫と言ってもそこにいるのは、ほとんど男性。
 もう少し細かくいうと、女性になりたい男性もいます。
そう、昔風に言うとおかまバー。
でも、今この店をおかまバーと言わないのは、
飲むというよりもエンターテイメントショーを見せることが中心だから。

 ゆかいな仲間2人とドアを開けました。
そこは、別な空気が流れていました。
強烈なトークで私たちの心をつかみ、そしてこれから一時間にわたるお腹がねじれるショーの始まり

 写真は、幕間のひと時。
機関銃のようなトーク。しゃべるはしゃべる。
 会場のお客様をうまく引きこみながら、上げたり下げたり
悪気はないので、大盛り上がり
 
 かと思えば、幕間の後は、宝塚を思わせる華やかなダンスショー
これを男性が、いや女性のような男性が演じているから、
お客様の女性ちからは、驚きのため息がもれます

 最後のカーテンコールでは、会場からのおひねりも飛び出し、
和風演劇のようでもあり。

 私たち3人は、大満足し
、興奮さめやらぬまま、次の店へと足を運びました
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博多のもつ鍋〓

2010-11-22 | ブログ
佐賀での全国人権同和教育で、実りある学びをたくさん手にして、最後の夜は福岡
私が、大学4年間を精一杯過ごした街。

とりあえず、今回の反省会と慰労のために夕食選び。
もつ鍋が食べたいという熱烈なリクエストがあり、
市尾さん、徳田さん、藤田さんという、ゆかいな仲間たちと出かけました

使い慣れない携帯をなんとか使い、めざすは老舗である天神の楽天地
場所がなかなかわかりにくく、路地をぬい歩き、ようやく見つけました。
ドアを開けると、いかにも四半世紀25年を感じさせる古いたたづまい。
もつとニラの匂いが部屋中に湯気とともに立ちこめていました
では、五階まで上がり、60番のお席へどうぞ。
えっ、びっくり、このビルの二階から五階までが全部、もつ鍋のみ。

生ビールで元気いっぱいに乾杯〓
長らく待ち、そして、ついに名物のおでまし。
だし汁をひとくちすすり、ニラともつをパクリ。
とっても濃厚なおいしさ。
キャベツに豆腐、輪切りのニンニク。
最後は、チャンポン麺でお腹いっぱい。

ご当地のB級グルメがあるって、親しみやすいですね。
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自宅レストラン 帝国

2010-11-22 | ブログ
午前中の研修を終え、佐賀市民会館近くで昼食をとるため、店をさがしていました
するとグッドタイミングで、ランチの旗が。
つられて曲がってみると、レストランらしきものはなく、洋風のあきらかに個人の家があるだけ。

そろそろっとドアを開けてみると、そこがレストランだったのです。
リビングに置かれたテーブル、作りつけられたカウンター、肉を焼くレンガ作りのグリル。

ハンバーグ、チキン焼きの味も抜群
藤田君曰く、こんなおいしいハンバーグは、初めて食べました

アイデア一つで、自宅がこんなにも居心地のいい店になるようです
最近、コミュニティーレストランや農家レストランがひそかにブームですが、
私のふるさと佐田岬でも、可能性のある一つに思えました
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出会い〓 唐津編

2010-11-22 | ブログ
全国人権同和教育、佐賀大会
人権を大切にする人づくりの分科会に参加するために佐賀から一時間かけて、
唐津会場に行きました

虹ノ松原がある20年ぶりに訪れる唐津
その横には唐津城があり、自然と歴史を大切にしたまちづくりがされていました

研修が終わり、私より20歳年下の藤田君と駅したの焼鳥屋に入り、生ビールで乾杯〓
一日を振り返り、自分の感想や思いを語りあいました。
大学を卒業した一年目でこの大会に参加したことは、
藤田君の同和教育に対する立ち位置を決める上でとても意味のあることだと思います。

話は、飲むほどに酔うほどに盛り上がっていきました
ビールや焼き鳥を次々と注文するなか、
とびっきりの明るい笑顔で対応してくれた吉田さんという定員さんがいました。
笑顔って、こんなにも人を楽しく、幸せな気持ちにさせるものなんだと久しぶりに感じました

お金を払ってるのだからサービスを受けてあたりまえ、
という一方通行の関係ではなく、おいしいです、お忙しいですね、ありがとうございます、
といった言葉のキャッチボールがされました
まさに一期一会、そんなすばらしい唐津での出会いでした

ほろ酔い気分で店を出ると、虹ノ松原の上には、きれいな満月が浮かんでいました
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