喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

二名津小学校 閉校記念式典

2013-03-29 | ブログ


 平成25年3月25日(月)。
二名津小学校、閉校記念式典が13:30より開かれた。
135年の歴史。卒業総数3480人。閉校時在籍児童数9人。勤務経験者総数393人。 
 この日は、愛媛県内ほとんどの小中学校で3学期終業式。

 会場は、今まで見たことがないくらい多くの人がつめかけていた。
200名を超えていたと思う。
中には、日頃お世話になっている方も、本当に久しぶりに会った恩師もいた。
みんなこの学校が大好き。

 いよいよ閉校式が始まり、
さまざまなあいさつがあった後、校旗返納。
二名津小学校最後の校長となった中井校長から、伊方町森教育委員長へ校旗が返納された。



 そして、みんなで歌う最後の校歌。
元気のいい歌となったが、私は途中歌えなくなった場面があった。



 閉校式終了後、記念碑の除幕式が行われた。
校歌と小学校の歩みが彫りこまれた、りっぱな記念碑。





 明治10年に開校。
 大正5年、明神分校を本校に統合。
 昭和22年、二名津小学校となる。
 昭和31年、現在地に校舎新築。
 昭和51年、創立100周年記念式典。
 昭和52年、松・釜木小学校と統合。
  この時、私も釜木小学校から通うことになった。小学校4年生。
 昭和57年、新校舎落成。
 平成15年、名取小学校と統合。

 その後、二名津小学校とのお別れ会が開かれた。
二名津小学校の歩みを校長と児童が紹介してくれた。
思い出を語るコーナーでは、喜久家プロジェクトでもお世話になっている村市忠君が当時の思い出を感慨深く語ってくれた。



 その後は、お菓子やお茶、オードブルをいただきながら、
子ども大人をふくめたおおぜいで交流した。

 一つの時代が終わった気がするが、
新たな幕開けとしてとらえ、地域を盛り上げていきたいと強く思った。
 




 


二名津小学校最後の卒業生

2013-03-27 | ブログ


 先日3月22日(金)、娘たち8名の卒業式がありました。
全校児童17名の小さな小さな学校。

 私も小学校4年生から通った二名津小学校。
親子そろって通った思い出の学舎。

 今年度、閉校することになり、これが最後の卒業式。
最後の卒業生。



 今、佐田岬では小学校の統合があいついでいる。
来年度は、四国最西端の佐田岬小学校が。
 小学校は、歩いて通える範囲がいい。



 人数が少なくなったので、統合するという考え方が多い。
他に選択の道はないのだろうか?
 例えば、大人数がそろった方がいいときに、すべての小さな小学校が集まってくるとか。
定期的な合同授業日とか。
刺激的で、わくわくする。
そんな柔軟な運営やしくみがあってもいいと思う。

 地域の核である小学校を残しつつ、他との交流を盛んにすすめる。



 同じようなことが市町村合併にも言えるのではないだろうか。

 小さいことを大切にする。
小さいことから何かを生みだす。

 Small is beautiful. 

 

 

初彼岸

2013-03-24 | ブログ


 例年よりも桜の開花が早い。
佐田岬半島は、風があるためか、今月末まで見ごろだろう。

 昨日3月23日は、彼岸の最終日。
妻の父が亡くなり、初彼岸。
お参りに行った。

 鹿野川沿いは、ずいぶんと桜が咲いていた。
城川の実家も5分咲きといったところ。
 山里の桜もとてもきれい。



 そんな桜を見上げる木立の中に、父は眠っている。
面倒見のいい、誰からも好かれた父だった。

 手を合わせ、ありし日のことを思い出していた。



 昨夜のこと。
お好み焼きを食べさせてもらった。
 釣り好きの父が釣ったイカを冷凍させておいたらしい。
そのイカがたくさん入っていた。

 母は、思い出つまるそのイカを切りながら涙が止まらなかったという。
父は、こんなかたちで私たちの心の中に生きている。
 
 本当、おいしいお好み焼きだった。

 

 

喜久家国際ワークキャンプ 交流会2

2013-03-19 | ブログ


 二名津の増田さんや愛媛朝日テレビの吉良さん、山根さんも参加してくれ盛り上がりました。



 6年前に喜久家国際ワークキャンプに参加した韓国のヘミも
韓国の留学生や今治のALTの男性を誘ってくれて参加。
 韓国のスイーツを作ってくれました。

 それに対して、子どもたちも焼きそばのおもてなし。



 本当に楽しい交流会となりました。



 

喜久家国際ワークキャンプ 交流会1

2013-03-17 | ブログ
 昨日、午後6時から喜久家国際ワークキャンプ交流会を我が家でおこなった。
 この地域では、ひな飾りを3月いっぱい飾ってもいいので、日本の文化を見てほしいと思った。

 ドラマでは、見たことがあるけれど、本物を見たのは初めてということで、
喜んでもらえた。
日本の豊かな文化だと感じた。

 贈ってもらった妻の両親の思いがつまったひな飾り。
大切にしていきたい。

 韓国のウンギョンは、興味しんしん。
「何のためにおひなさまをかざるんですか?」
と聞かれたので、娘が説明していた。
 


 ひな飾りの前で、かわいい姫たちがせいぞろい。
とてもよくにあう。

 

 ひな飾りもこんなに喜んでもらえてうれしそう。
今年のひな飾りの一番の思い出となった。

 
 
 


四国最西端の三崎中学校卒業式

2013-03-17 | ブログ


 3月15日(金)、晴れわたる青空。
四国最西端の中学校、三崎中学校の卒業式。
息子も思い出がいっぱいつまった学舎を巣立っていった。



 普段、あまり感情をおもてに出さない息子の涙にうれしくなった。


 

喜久家国際ワークキャンプの若者たち

2013-03-11 | ブログ
 昨日は、柑橘作業をしながら、台湾のペイともしたしく話をすることができた。
話をすればするほど、距離が縮まっていく。

 今日は、ワーク先をチェンジするとのこと。
より多くのみなさんとの交流をとおして、お互いに手に入れるものも増えていく。
 朝、出勤にあわせてキルギスのベグを田村菓子舗、台湾のペイを村市くん、
そして中国のリカを大佐田の木野本さんに受け入れてもらった。



 車の中で、リカと話をした。
生まれは、中国の四川省。
日本語の勉強で国士舘大学に2年間の留学。
「日本のどんなことに興味がありますか?」
「日本のドラマをよく見ていました。」
「どんなドラマですか?」
「木村拓哉のプライドとか古いけど東京ラブストーリーとか。今でも通用するドラマですね。
ロケが愛媛県にもあるみたいですね。」

 など、日本のことをよく知ろうとしてくれている。
うれしくなる。
 国際交流の1歩目は、相手に興味を示すこと。


 喜久家には、先日高校を卒業したおいの慶悟も参加している。



 韓国のウンギョンとの楽しそうなツーショット。
写真は、先日1泊2日で来てくれた愛媛大学のふっさが撮ってくれたもの。

 さまざまな違いをもった人とのふれあい。
こんなとびっきりの本物の出会いとふれあいが、今後の考え方に大きく影響するのはまちがいない。

 小さな小さな田舎にバーチャルではない、本物の時間が刻まれている。






喜久家国際ワークキャンプ ~若者と共に郷づくり~

2013-03-11 | ブログ
 喜久家国際ワークキャンプ2013が始まって4日目。
みなさん本当によくやってくれる。
その明るさと誠実さに元気をもらっている。

 今日は、午前中で仕事が終わったので、娘たちと手伝いに行った。
我が家には、キルギスのベグザットと台湾のペイが来てくれていた。

 細い体ながら、2段重ねのコンテナをひょいとかかえるベグ。
そして気が利いて、よく動く。
この体のどこからこんなパワーが生まれてくるのだろう。
 収穫されたサンフルーツをすべて畑からモノレールに乗せ、トラックまで運んでくれた。



 台湾のペイは、今までにもフィリピンで同じようなワークをした経験があるらしい。
高い木にもするすると登って収穫。
ここまでできる女性は、なかなかいない。
 フィリピンでのボランティアがきっかけで、NPOナイスを知り、
この喜久家ワークキャンプを選んでくれたとのこと。
 台湾では、日本語を学んでいて、現在慶応義塾大学で留学中。
とても日本語が上手。

 

 こんな若者たちと共に汗を流し、話をしていると、
とても元気がわいてくる。
 心から感謝している。
 

                                    
                                        【家路につく2人】

喜久家国際ワークキャンプ 始まる

2013-03-09 | ブログ
 3月7日(木)、毎年恒例の「喜久家国際ワークキャンプ2013」が始まった。
中長期ボランティアのキルギス出身ベクザットとアメリカシカゴ出身のミックを含め、
韓国、中国、台湾、日本2名、計7名。
 男性2名、女性5名。

 みんな、と~っても明るくて、素直な人ばかり。
若者たちの目はキラキラ輝いていて、話をしているとわくわくする。
「どうして全国の中から、ここ伊方町平礒の喜久家国際ワークキャンプを選んだの?」
の質問に東京の慶應義塾大学に留学している台湾の若者が
「都会なら、台湾の都市とあまり違いがありません。日本独自の文化や自然、生活を知りたかったんです。」
というこたえが返ってきた。

 まさにその通りだと思った。
そんな意味では、平礒はスペシャルな場所。
そこにしかないカラーを出していく郷づくり。



 この日の歓迎会に集まったのは、
受け入れの大佐田の木野本さん、二名津の田村よっくん、永井かくちゃん、
そして村市忠志君と二人の息子。
平礒の恒あんちゃん、代表の弟洋海。
 愛媛大学の白松さんと知り合いの先生と2人の学生さん。
松山大学の2人の先生。

 とても盛り上がった。
普段は静かな郷の夜が熱く、にぎやかに。



 昨日、昨年11月のインドネシア留学生を受け入れたときにつながりができた、
愛媛大学のふっさと智里ちゃんも訪ねてくれて、
早速作業の手伝いをしてくれ、交流を深めている。

 若者が集まるところ、よそ者が集まるところ。
そこから何か生まれる気がする。

浅草 そぞろ歩き

2013-03-02 | ブログ


 2月17日(日)東京出張のため前泊。
東京スカイツリーを見た後、9年ぶりの浅草をそぞろ歩き。
 田舎者なので、人が多い所や狭いところは苦手。
 故きよき江戸の香りがする下町浅草は、心ひかれる所。

 東京スカイツリーから、隅田川にかかる橋をわたり、浅草寺のシンボル雷門へ到着。
夕方6時過ぎだったが、すごい人の波。
 年間3000万人もの参詣者が訪れるらしい。
老若男女、海外からもたくさんの人が訪れるほどの魅力が、ここにはある。

 松下電器の創始者、故松下幸之助が寄進したという雷門。
両側から風神と雷神からにらまれながら、門を入ると仲見世通り。
夕闇せまる頃、まだまだたくさんの人通り。
 そこには、古い日本の香りがあった。
英語とカタカナの看板がひしめく現在の多くの都会にあって、和名の店や商品があふれていた。



 温故知新。
 古きよきものは、やはり大切に残し、ひきついでいかなければならないと感じた。
今は、それがなかなかできにくい。
 故郷の田舎なら、まだまだできる気がする。
双海町の若松進一さんがよく言われる、「1周遅れのトップランナー」だ。

 浅草といえば、江戸歌舞伎発祥の地。
境内には、市川團十郎の像が建てられていたり、
故中村勘三郎さん親子の「浅草寺お練り」などでもにぎわった。

 浅草寺は、正式には聖観音宗金龍山浅草寺といい、その本尊は飛鳥時代の推古天皇の時代からの観世音菩薩であるらしい。

 そんないにしえを想像しながら、脇道を歩いた。
スピーカーから歌舞伎に似た声が聞こえくる。
浅草公会堂や芝居小屋がちらほら。
何ともいいものだ。

 そして、寒さをよけるためにビニールで囲った屋台が軒を連ねる。
多くの人でにぎわっていた。
何ともいいものだ。
ホッピーを一杯ひっかけたくなったが、待ち合わせの時間がせまっていたので、
後ろ髪を引かれながらも後にした。

 浅草をそぞろ歩きして、いくつかのことを考えた。
 故郷の郷づくりのポイント。
① 故きよきものを大切にする。
② 郷の歴史を掘りおこし、物語をつくる。
③ 独特の文化や伝統、慣習を大切にする。
④ おいしい郷土料理を大切にする。
⑤ 外国人など違いのある風をとりこむ。

 魅了ある郷づくりをしていきたい。

               岬人(はなんちゅう)