喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

アートでまちづくりをする道後の魅力 

2016-01-31 | 地域づくり
 昨夜、所属する地域実践交流集会の慰労会があったので松山に泊まった。
いつもになく2次会まで早く終わり、道後の宿に帰ることにした。

 こんな早い時間に帰るのはもったいないので、
人通りがほとんどない道後界隈をぶらりと歩いた。

 オンセナートの時期だろうか。
アートによるまちづくりが見られた。

まずは、道後アーケード入口




足湯もうれしいからくり時計


焼き鳥屋へとつながる路地裏


道後温泉本館








道後温泉広場


椿の湯


アーケード



 まちが美術館のよう。
こんな取組はふるさとの岬でもできないだろうか?
アートによる郷づくり。

 別にそうしなくても、
郷の景観自体がおもしろく、美しいものだと思うが。

 早く終わった飲み会だったが、ちょっと得した気分の道後ひとり歩きだった。

            岬人(はなんちゅう)


台湾の友だちが平礒に残してくれたもの

2016-01-30 | 地域づくり
 1週間前に、ふるさと平礒には、台湾の人が3人いた。
そのうち、2週間活動してくれた2人の女性(駱ちゃん、李ちゃん)は1週間前の22日に出発。
今は、呉さん一人。

 最後の夜、駱ちゃんと李ちゃんは、私たちに感謝のメッセージを残してくれた。
平礒の田舎がどれほどすばらしいところか、
そしてそこに暮らす人たちがどれほど心豊かな人たちか。
そんなことを色紙に書いて残してくれた。
 写真は台湾の3人。


 駱ちゃんが、流ちょうな日本語で感謝の言葉を伝えてくれた。
 

「物があふれている都会。
物が少ない田舎。
でも大切なものだけが残っている。
 生き方として、田舎のシンプルさがとてもいいと思う。
自分が何を大切にして生きていけばいいか、よくわかる。
 太陽とともに目覚め、太陽とともに休む。
こんな自然のリズムが、健康にとてもいい。」


 そんなメッセージを残してくれた。

 そんなメッセージを、将来田舎に残り農業を継ぎたいと考えている息子は、
どう思っただろう。


 また、こんな疑問も投げかけてくれた。
「平礒のお年寄りは、しんどい思いをしてまで、どうしてこんなに一生懸命に働くのですか?
それなのに、どうしてこんなに笑顔が多いのですか?」


 実際にそうだ。
 私の父も10年ほど前、脳こうそくの大病をし、
懸命なリハビリで、少し不自由ながら、心配ながら、毎日柑橘作業をしている。
夏の暑い日も、冬の寒い日も。

 また母も糖尿病で十分な食事がとれないなか、膝の痛みが激しいなか、
毎日作業をしている。
 2人とも休まないのだ。

 駱ちゃんの疑問のようなことをまじめに考えたこともなかった。それがあたりまえと思っていたから。
平礒の若きホープである幸君がこたえた。

「それはまさにうちのじいちゃんやばあちゃんにあてはまること。」

 幸君のじいちゃんは、働き者が多い平礒のなかでも一番朝が早い。
働いて、働いて、その大切さを言葉というよりも背中で示してくれている。

 一生、働けるうちは働くことが、平礒の人の生き方。
おかげで、ふるさとの景観や農村の文化は残されてきた。
だから生きていくために最も大切な農業が受け継がれてきた。


 駱ちゃんの疑問を通して、平礒の人たちのすばらしさを改めて感じることができた。

 一方、経験も環境も違う駱ちゃんにとっては、理解しにくいことかもしれない。
でもそんな考え方や生き方もあるということを感じる大きなきっかけになったと思う。

 お互いの違いが、それぞれの豊かさにつながった。

 彼女たちが出発して1週間。
彼女たちが残してくれたものは生きている。

「また、帰ってきます。」
その言葉が、未来を楽しみにさせてくれている。



           岬人(はなんちゅう)

 

「戦後70年 国家の岐路」  櫻井よしこ講演会

2016-01-26 | 地域づくり
 松山のひめぎんホールで、愛媛銀行主催で櫻井よしこさんの講演会があった。

著書のはじめに

「戦後70年、私たちは日本周辺の国際情勢を見てとって、日本の次の世代、そのまた次の世代のために、
日本国の行く末を確かなものにしなくてはならない。

 これまでのように、現実には存在しない国際社会の善意を信じて、それにすがる国であってはならない。
 
 日本らしい穏やかさと雄々しさをもとに、自主独立の精神に満ち溢れた国家として再生することが、
私たちに課せられた使命である。」


とある。

 「日本」や「国家」という言葉を
「地方」「ふるさと」や「自分」という言葉に置きかえてみた。

「戦後70年、私たちは各地方の情勢を見てとって、ふるさとの次の世代、そのまた次の世代のために、
ふるさとの行く末を確かなものにしなくてはならない。

 これまでのように、現実には存在しない社会や政府の善意を信じて、それにすがる地方であってはならない。
 
 地方らしい穏やかさと雄々しさをもとに、自主独立の精神に満ち溢れたふるさととして再生することが、
私たちに課せられた使命である。」


 
 この置きかえた考え方から何が見えてくるか。
そして何よりも、自分には何ができるかが大切なこと。

                岬人(はなんちゅう) 



 
 

大雪によるふるさとの柑橘の危機

2016-01-25 | 農業
 23日土曜から降り続いた大雪。
しかも気温も低く、佐田岬ではめずらしく氷点下となり、水道も凍った。

 ここまでになると柑橘農家にとって
「雪景色がきれい」
などと悠長なことを言っている場合ではない。



 年を明け、収穫が本格的に始まったばかりで、
みかんの木にはまだたくさんの柑橘がなっている。
サンフルーツ、デコポン、そして清見タンゴールなど。

 

 雪が柑橘に積もり、長い時間が経ったり、凍ってしまうと、
柑橘の皮や中身の細胞が壊され、腐ってしまったり、味が苦くなってしまう。

 昨日、弟が表面の皮が雪にやられ、凍ったものをサンプルとして取って帰っていた。
どこまででくい止められるか、そして回復できるかが非常に気になっていた。
1年かけて育てた柑橘がたった1日の雪でだいなしになることさえある。



 あとは天(自然)にまかせるしかない。
今朝もまだ雪が積もり、伊方や瀬戸では臨時休校となった。
 その後昼にかけて日差しも見え始め、夕方には柑橘に積もった雪はほとんど溶けたようだ。
これにより、最悪の事態はまぬがれた。



 自然には勝てない。
ただ受け止めるだけ。
 それでも悪い事態をさけるため、農家の工夫は続く。 
農家のねばり強さは、ここにある。

 そんな物語があり、農家の逸品は消費者に届けられる。
ぜひ知ってほしい物語だ。


              岬人(はなんちゅう)


 

 

 

2016(平成28)年1月24日から 南国愛媛、佐田岬も大雪

2016-01-24 | ふるさと
2016(平成28)年1月24日 大雪


 昨夜から降り続いた雪は、今朝にはかなり積もっていた。
近年ではめずらしい大雪となった。

 今日は、愛媛県バレーボール協会中学校新人大会があるため、
朝6時30分に家を出て八幡浜市へ向かった。
 降り積もった雪が強風で巻き上がり、目の前が真っ白。

 ゆっくり、ゆっくりと車を走らせたので、いつもなら50分くらいに着くところが、
1時間30分ほどかかった。

 午後2時頃大会が終わり、帰路についた。
途中、ゆっくりと雪景色を楽しみながら。





柑橘も白い帽子をかぶっているようだ。
ただし、この低温で大きな被害をうけないことを望む。


ふるさと平礒もめずらしい景色。






我が家の周りもいつもとは違った景色。






帰り着くと母家の屋根にめずらしいものが乗っかっていた。


娘のしわざ


 昔はこんな雪が年に1度は降っていた。
娘のうきうきした気持ちがわかる。
 幼き頃をなつかしく思った雪景色だった。

                 岬人(はなんちゅう)







岬に集う若者たち

2016-01-21 | 地域づくり
 1月16日(土)、17(日)をふり返る。
愛媛大学農学部に在籍する智里ちゃんが友だちを連れて1年ぶりに平礒にやって来た。
4回生で卒業間近ということで、もう1回来ておきたかったということらしい。

 そんな言葉を聞くとうれしくなる。
何が魅力なのだろう。

 夜は、今いる台湾出身の若者3人と地元の幸徳くんも集まり、
いつものように懇談会。



 成人式を迎えた農家の幸徳くんが、お酒も少し入り農業に対する思いを熱く語る。
「あー、また僕の悪いくせ。熱くなりすぎて、説教じみてきた。」
と言えば、
聞いていた大学生が、
「いやそんなことはないです。とってもすごいと思います。刺激になります。」
とこたえる。

 このライブ感がすごくいい。
面と向かって、思いを語り合う。
バーチャルでもなく、デジタルでもない。

 そしてその語り場は、一歩外に出れば、真っ暗で星がキラキラと輝く岬の超田舎。




 隣にいた台湾の駱ちゃんに聞いてみた。
「駱ちゃん、こちらに来て10日が経つけどどうですか?」

 すると目を輝かせながらこたえてくれた。
「ここは、とってもいい場所。 シンプルな生活がいいと思います。
都会は選ぶものがたくさんあって、便利なこともありますけど、実はそんなにたくさんいらないです。
ここには、本当に必要なものだけしかありません。
だからすごくシンプルです。

 そしてここに生活している人、特にお年寄りはみんなよく働き、元気です。
しかもみんな笑顔です。

 台湾や都会では、歳を取るとそんなにしんどいことはしません。
平礒のお年寄りは、どうしてこんなによく働くのですか?
しんどいのに笑顔でいられることは、すごいことです。」


 実にすごい話。
田舎暮らしの大切な部分。

 若者が集まること、違いをもった者があつまることは、
実におもしろい。
 
             岬人(はなんちゅう)

申年の年男 間もなく誕生日

2016-01-18 | ふるさと
 1月19日、間もなくあと2時間で48回目の誕生日を迎える。
今年は申年で年男。



 もちろんかつては想像していなかった今を生きている部分もある。

・ 自分がこれほどふるさとや田舎を大切に思うようになったこと。

・ 喜久家プロジェクトという地域おこしを行っていること。

・ 家族や仲間に恵まれていること。

・ まだまだ新たな夢を持ち続けていること。

 
 まずは、自分を生み、育ててくれた両親に感謝をしたい。

               
                 岬人(はなんちゅう)


佐田岬の若者たちのカラフルな暮らし

2016-01-13 | 喜久家の情報
 先日1月11日にサンフルーツの手伝いをした。
正月に帰省できなかった親戚のヒロが帰ってきているというので、いっぱいすることになった。
もちろん若きエースの幸も。
台湾の仲間も交えて情報交換と未来を語る。

 ところが残念なことに李が風邪ぎみで参加できなかった。

 まじめな話あり、くだらない話あり。
「駱ちゃん、橋本環奈に似ちょるなー。眼鏡をかけたら、なお似ちょる。」
「俺は、台湾のリン・チーリンが好きやなー。」

 でもそれがいい。
まちがいなくお互いの距離は、縮まった。 



 明るい未来はこんなところから生まれる。

 ぐちを語らず、夢を語る。

 みんな昼間は、畑に汗し、夜は夢をみる。

 佐田岬の若者たちのカラフルな暮らしがここにある。


          岬人(はなんちゅう)

ヘルシーでカラフルな佐田岬の田舎、平礒

2016-01-13 | 喜久家の情報
 1月11日、三連休の最終日、成人の日。
久しぶりに休みがとれたので、実家の柑橘収穫を手伝った。

 母と妻と台湾の呉といっしょにワラビチと清水のサンフルーツの収穫。

 体は疲れるが、自然の中でリラックスして作業するのも気持ちがいい。
昼前にお待ちかねのコーヒータイム。

 カフェのようにおしゃれではない。
柑橘を入れるコンテナが、テーブルや椅子になる。
持ってきたコーヒーとお菓子が広げられる。
それらをいただきながら、海や山を眺めながらくつろぐ。


 台湾の呉は、日本のお菓子が大好きなようだ。


 午後からは、2人だけで色々な話をしながら作業をした。
この日の収穫をトラックに積む。




 ヘルシーな暮らし。
そして異文化が交流するカラフルな暮らし。

 そんな暮らしが、佐田岬の田舎、平礒にはある。


           岬人(はなんちゅう)

ただ今、喜久家は台湾色

2016-01-13 | 喜久家の情報
 昨年末から平礒喜久家に来てくれている台湾、高雄出身の呉(ご)。

 加えて年明け6日に、同じく台湾の台中に住んでいる2人の女性が来てくれている。
駱(らく)ちゃんと李(り)というとてもすてきな2人。

 きっかけは、一昨年の秋、姫路に出張したときに泊まったゲストハウスでだった。
そこで手伝いをしていた日本が大好きな駱ちゃんと盛り上がり、
「いつかまた日本に来る機会があったら、愛媛にもおいで。」
と言って別れた。

 その後フェイスブックでのつながりが続いて、友だちの李を誘って来てくれた。
出逢いというのは、何て不思議でおもしろいのだろう。

 喜久家での初日の写真。


 ただ今、喜久家は台湾色。

              岬人(はなんちゅう)

田舎暮らしの長男として

2016-01-10 | ふるさと
 今日、久しぶりに電話で話した人がいる。
もう25年ほどのつきあいになる。

 様々な話に、なつかしんだり、盛り上がったり、深く考えたり。
途中、いい話のときにちょうど携帯電話の電源が切れてしまった。


 その後、話をふり返ってみて、長男としての自分について思うところがあった。
 私は、世帯数16軒、人口50人ほどの平礒という田舎に生まれた。
7代目の跡取り。

 両親は70歳をこえたが、長男らしいことはまだまだできていない。
長男としてやらなければならないことは、多い。

 先祖を大切にしていくこと。
両親をお世話すること。
兄弟姉妹をまとめること。
親戚づきあいをすること。
わが子や妻にそういったことを伝えていくこと。
地域の一人として尽くすこと。
などなど。

 当然、うまくいかないことも出てくる。
でも投げ出すことはできない。

 自分の名前をいただいたときに、長男としての役割もいただいたようなもの。
それは、名前と同じように自然なものと思っている。



 新年が明けたときに、一人でお墓参りをした。
急な道のり。




きれいな水仙が咲いていた。


先祖のお墓


先祖の命が、自分につながってきた


先祖や先人たちは、ここから平礒の集落を見守っている。



 先祖のお墓参りをしながら、自分と向き合うことができた。
つながってきた自分の命。
先祖の願い。
自分の役割。

 今日の電話でもまた同じような思いを深めた。
すてきな未来へつないでいくことが長男ならば、長男には夢があると思った。

 そう、長男には夢がある。


              岬人(はなんちゅう)

 




 

福岡大学テニスサークル ストレンジャーカンパニー同窓会 

2016-01-04 | ブログ
 福岡大学テニスサークル ストレンジャーカンパニー同窓会
 


 昨年暮れ12月30日、福岡大学テニスサークル ストレンジャーカンパニーの同窓会があった。
参加するために朝7時に家を出る。
 佐賀関への九四フェリーに乗る。豊予海峡の海はおだやか。
到着後、1時間JR神崎駅へのバスを待つ。
ようやくバスが来て、神崎駅へ。
 神崎駅で列車を待つことまた1時間、乗りこみ大分駅へ。
 大分から高速バスに乗り、福岡に着いたのが午後2時。
7時間の旅だった。

 その間、昔のいろいろなことをふり返りながら、なつかしい風景を見ながらの時間を過ごした。

 夜の会までに会いたい大切な人がいた。
感動の再会をし、午後5時30分に会場へ向かう。

 久しぶりの中洲でキョロキョロして看板を探していたところへ、後から声をかけられた。
哲ちゃんだ。
20年ぶりくらいの再会なのにそんな気がしない。

 2人そろって会場の店に入ると、なつかしい伊原さんのお出迎えの声。
そして部屋には今回の同窓会をするにあたりたいへんお世話になった林田さん。
27年という時間が一気に巻き戻る。

 その後続々とお世話になった人、初めて会う先輩方が到着。
みなさんとの出会いがあったからこそ、自分の大学生活が豊かなものになった。
ぬきにしては考えられない。
再会のうれしさと感謝がどんどんこみあげてきた。

 

  

 夜7時から始まった同窓会は時間が経つのも忘れるくらい盛り上がり、夜は更けていった。
親友の中野と2人で4次会、5次会を過ごし、ホテルをキャンセルし、そのまま帰りの高速バスを待つ。
徹夜の飲み会もなつかしい。

 朝6時の始発に乗りこみ福岡を後にする。
最後まで見送ってくれた親友。本当にありがたい。


 今回、改めて思った。
忘れられない場所、福岡。
そこには忘れられない人たちがいる。



 今年も出逢いを、人を大切にしていきたい。


           岬人(はなんちゅう)

 


 




平成27年、平礒の大晦日

2016-01-01 | ふるさと
平成28年、平礒の大晦日



 年神様を迎えるために家族総出で準備する。
最後にお光をあげて、家の様々な神様を拝む。

 年神様と屋敷の神様



 恵比須様


 お荒神様


 地神様と鐘馗様



 夕方6時頃から年取り。
みんなで食事をしながら、いろいろあった1年をふり返る。

 喜久家ボランティアのゴーもいっしょに。
平礒を盛り上げてくれている。



 昨年もすばらしい1年だった。

              岬人(はなんちゅう)