喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

日本の伝統芸能 ~安芸高田神楽~

2011-11-30 | ブログ


 最近、「猿まわし」もふくめ、
日本の伝統芸能にとても興味がある。

「安芸高田神楽」を見てそんな気持ちをさらに強く持った。
衣装も舞台も音楽もシンプルななかに、
その繊細な動きにより想像力をかき立てられる。

 神楽について少し。
神楽の起源は、平安時代にまで行き着く。
いや一説によると、神話の中の「天の岩戸伝説」にまでさかのぼるとも言われている。
 
 太陽の女神、天照大神は天の岩戸に引きこもってしまった。
なんとか出てもらいたいと、岩戸の前で「天のうずめのみこと」が舞を演じた。
この乱舞こそ神楽の起源と言われている。
 
 1年のうちで一番太陽の力が弱まる時期に、
その太陽の再来と生命の再生を願って神様を招き迎え、
生命力の強化を祈願した鎮魂の儀式が、神楽の始まりと言えよう。

 それが今なお引き継がれているのだから、
日本という国はすごい。
日本人はすごい。

 ちなみに天のうずめのみことは、天孫降臨の後に
その先導役をした猿田彦神と結婚する。
「猿田彦神」に由来しているという、我がふるさと「佐田岬」にとっても
「天のうずめのみこと」はとても親近感が持てる。

 歴史をひもとき、ふるさとに秘められた縁をさぐっていきたい。

猿まわし復活!

2011-11-29 | ブログ
 千年の歴史がある猿まわしが、差別が大きな原因でなくなってしまいました。



 いったん途絶えた芸能を復活させるというのはなみたいていの努力でできるものではありません。
山口県の村崎さんたちは、日本の子どもたちのために復活させようという姿勢を持ち、
そして「差別されてもいいから復活を」ではなく、
「絶対に差別されない」という確信を持って猿まわし復活に挑戦されました。

 多くの苦難を乗り越え昭和53年、幻の芸能がベールを脱いで再び姿をあらわしたのです。
 ソニーのCMで、ウォークマンを聞いていた猿。
「笑っていいとも」で大人気だった「反省!」のポーズをとる猿。
これらはすべて復活を果たした猿まわしの猿です。



 参観日当日、全校でそのような学習をした後、猿まわしを見ることになったので、
子どもたちの意識も高く、楽しみで目が輝いていました。
 猿にムチを与えない、人間との信頼関係を大切にした教えこみ方「本仕込み」。
それは全く子育てにもあてはまるものでした。
子どもたちは、そのすばらしさにさまざまな感想を持ったようです。

『○授業では、昔猿まわしをする人たちは差別を受けていた、と言っていたけれど、
村崎さんは悲しいことなんてなかった、と言っていたのに感動しました。
私も前向きにがんばっていきたいです。(1年生)
 
 ○見ている人に元気や幸せを与えるために、猿まわしを復活させ、活動されているのを見て、
私も誰かに元気や幸せを与えられるようになりたいなと思った。
 また差別をなくすためには、まず自分の身の回りから見なおしていきたい。(2年生)
 
 ○受け継がれてきた猿まわしを大事にしているところを見て、
僕もふるさと三崎を大事にしていきたいなー、と思いました。(3年生)』



 佐田岬の田舎の子どもたちのこんな心が明るい未来をつくっていくのだと思いました。
若者には、夢がつまっています。
すてきなふるさとを一緒につくっていこう。

「猿まわし」から見えるもの

2011-11-29 | ブログ
 

 先日24日、四国最西端の三崎小中学校におそらく初めて「猿まわし」がやってきました。
10倍楽しむために、少し調べて見ました。

 インドの歩く聖人、マザーテレサが、「愛の反対は憎しみではなく、無関心です。」と言われています。
無関心であること、苦しむ者に関わりを持たずに傍観者であることが、愛の対極にあるということです。
人権問題や同和問題においても同じことが言えると思います。
 
 三崎中学校の人権・同和教育では、正しく知ること、楽しく知ること(関心を高めること)を進めています。
昔習った江戸時代の身分制度「士農工商」は、今はどの学校でも全く習いません。
新しい資料の発見があったり、研究が進んだりしたためです。


 
 今年度の人権強調月間では、「猿まわし」について学び、実演を見ることができました。
子どもたちはとても楽しく、深い学びをしたようです。

 「猿」は、日本人にとって身近な動物で、昔話やことわざ・熟語に多く出てきます。
 私たちのふるさと佐田岬の語源が、猿田彦神(さるたひこのかみ)に由来していたり、
馬や牛の守り神とされていたり、または福を呼びこむものとして猿まわしが大切にされていたことを知りました。
世界遺産の日光東照宮の神馬の馬小屋に「見ざる・言わざる・聞かざる」の猿の彫り物がされているのもそのためです。
猿まわしには、1000年もの古い歴史があります。
 
 そんな神がかりなことができるということで、
猿まわしは人々から別な人という目で見られ差別されました。
 それが大きな原因として、昭和30年代の終わりには全国から消えてしまいました。
貴重な伝統芸能が、差別によって消されてしまったのです。



 

佐田岬、宇和海の朝

2011-11-28 | ブログ
 一昨日、職場の旅行に行くため
神崎口前でバス待ちをしていた。

 ちょうど朝日が昇り、
オレンジ色に照らされた名取。
 あまりの神々しさにカメラのシャッターをきった。

 朝日をみると、力が湧いてくる。
そんな不思議な力がある。

 ふるさと佐田岬半島は、
朝は朝日を浴び、
夕方は夕日を見送ることができる。

 そんなところにも楽しさを感じている。
 


見聞を広める

2011-11-27 | ブログ
田舎住まいが気に入っている。
「都会から遠いので、不便でしょう。」
「見る所が少ないでしょう。」
など思われる人もいる。

 でも今の時代、行こうと思えばどこにでも行ける。
 松山から東京まで飛行機に乗れば、
2時間もかからない。

 田舎に住んで、楽しみのために
どこかに出かけるスタイルがちょうどいい。

 昨日から、職場の職員旅行で見聞を広めるために旅行した。
行き先は、中国地方。
たくさんの楽しさと気づきがあった。

帝釈峡、山賊、岩国錦帯橋、安芸高田神楽、神楽門前湯治村

岩国 錦帯橋

2011-11-27 | ブログ
 昨日から職場旅行をしている。
ただ今、山口県岩国市。
岩国といえば、日本三名橋の一つ、錦帯橋。

 山は富士、滝は那智、橋は錦帯橋とうたわれた。
美しい形と巧みな構造。
60トンの重さに耐えられ、橋げたの間が35メートルもある。
科学的根拠のある職人技と先人の英知の結晶。
最初の錦帯橋は、江戸時代の1673年に造られている。

 やはり、日本人のもの作りの技はすごい。
我がふるさとの石垣づくりにおいても同じことが言える。
または、田舎料理においても。

 もっと見直したい。
お年寄りにもっと耳をかたむけたい。

 錦帯橋、美しいものを見て感動した。

石鎚山、初冠雪

2011-11-25 | ブログ

 
 今日の新聞に、石鎚山に初雪が降ったという記事があった。
その写真として、石鎚神社が掲載されていた。
その場所は、ちょうど1週間前に父母を合わせた7人でお参りしたところ。
あの日は、風はあったもののさわやかに晴れわたった気持ちのよい日だった。



 月末で石鎚山への道路はすべて来年の春まで閉鎖となる。
いよいよ本格的な冬の始まりを感じる。
 冬には冬の良さがある。
いつか冬の石鎚山にも登ってみたいものだ。

 日本は、美しい!

 

三崎に猿まわしがやって来る

2011-11-23 | ブログ
 明日11月24日(木)は、四国最西端の伊方町三崎にとって歴史的な日になる。
猿まわしがやって来る。
昔なつかしい人もいるだろうし、初めて見る人もいるだろう。

 時間は、午後2時15分~3時30分。
場所は、三崎小中学校体育館
入場料は、無料。

 これは伊方町主催、三崎小中学校共催で実現するもの。
「三崎人権の集い」の公演そして講演。

 猿まわしの歴史は古く、千年の歴史がある。
ただ、今から40年ほど前には日本の中から消えてしまった。
猿まわしは、被差別の伝統芸能だった。
猿まわしそのものがきびしい差別にさらされていた。

 その伝統芸能を復活させた人たちがいた。
その一人が村崎修二さん。
今から30年ほど前に幻の芸能が、ベールを脱いで
再び姿をあらわしたのだ。

 その復活の道を
同じ山口県出身の民俗学者で旅する巨人と言われた故「宮本常一」がともに支援しながら歩いた。
そのことがノンフィクション作家佐野眞一さんの「宮本常一が見た日本」の
「地域芸能への思い」という章で書いている。(P256)
これは、とても興味深い。

 宮本常一といえば、
私が所属している「年輪塾」(塾長 若松進一)のテーマとして、
2年前、2年間にわたり学んできた人物である。
 日本という国を見つめ直す、ふるさとを見つめ直す、地方の田舎を見つめ直すために
とても大きなヒントを与えてくれる。
 宮本常一ととても親交のあった村崎さんから、
常一についての話も聞けるだろう。

 都合のつく方は、ぜひ足を運んでみてはどうだろう。
楽しい猿まわしからいろいろな世界が見えてくる。
 

 
 

家族でお参り ~岩屋寺、石鎚山~

2011-11-20 | ブログ
家族でお参り ~岩屋寺、石鎚山~


 日頃何の親孝行もできず、実家に引っ越して帰ってからも
お世話になりっぱなしの父母。

 若い頃からみかん一筋で、働きずくめの人生を送ってきた。
田舎の人にはこんな人は少なくない。
勤勉・実直でまるで二宮尊徳の生き方を求めてきたような。

 私に子どもができてから、日帰りや旅行に誘うようにしている。
父母は、年に1回のことをとても楽しみにしているようだ。

 年末まで唯一時間が空いた今日。
紅葉を見に出かけた。
 行き先は、四国八十八ヶ寺の1つ、岩屋寺と
西日本一高い、霊峰石鎚山の石鎚神社と瓶ガ森。
まるで信仰の旅。祈りの旅。

 子どもたちのおかげもあり、
普段は見られないような笑顔を見ることができた。

 あと10日もすれば、石鎚山への道路は冬季閉鎖となる。
山から冬が下りてくる。
そんな合間をぬったとてもすばらしい時間だった。

年輪塾公開セミナー

2011-11-19 | ブログ


 今日は、所属している年輪塾公開セミナー(塾長 若松進一)でした。

 2年間にわたる二宮尊徳(金次郎)の調査・研究。
これからを生きるためのヒントを得ようとした2年間の集大成。

 会場は、愛媛県内で現存する木造校舎で最も古い双海町翠小学校。
講演は、二宮金次郎から7代目の子孫にあたる中桐万里子さんのお話し。
特別講師に、東京学芸大学第10代学長を務められた鷲山恭彦さん。

 受付を済ませ、期待を胸にセミナーが始まりました。

 報告をご期待してください。

                   岬人


竹筒の灯  国立大洲青少年交流の家にて

2011-11-17 | ブログ


 私は、灯が大好き。
炎のやさしいゆらめきを見ていると、心が癒される。

 遠い過去の思い出がよみがえる。
我が家の母屋が、まだ昔の古い建物だったころ。
土間の台所の脇には、2つのかまどがあった。
一段高くなった板張りの床に座って、薪をくべられるようになっている。

 そのかまどをいつも守っていたのは、今はなき祖母ミチエばあちゃんだった。
4歳くらいの幼い私は、その場所が大好きで、
いつもばあちゃんの横に座って、一緒に火の番をしていた。

 あかあかと燃える炎がまぶしかった。
そして炎が熱く顔に照りつける。

 火加減を弱めると、
その炎は何とも言えないやさしい色となり、
ちょうどいい熱さを伝える。
 そのうち私は、ばあちゃんの膝枕でうとうとと眠ってしまう。
 不思議なもので、このときの光景をよく覚えている。

 写真は、先日国立大洲青少年交流の家を会場に開かれた、
地域教育実践交流集会の夕方に職員のみなさんが玄関アプローチにセッティングしてくれた
竹筒の灯り。
 思わずしばらく眺め、遠い過去の記憶を思い出し懐かしんだ。

 灯のある生活って、いいものだ。

 

特集:第4回地域教育実践交流集会 にいどんの実況中継

2011-11-15 | ブログ
 第4回地域教育実践交流集会について、
私は懇親会だけにしか参加していないので、大切なその内容について大まかにしか分かっていません。
 
 その内容を知るには、とてもすばらしい報告がアップされていました。
紹介します。

「社会教育連携案内サイト 大洲青少年交流の家PHOTO FILE にいどんの実況中継」  

http://ozu.niye.go.jp/renkei/index.shtml


 本当、すばらしい地域教育実践交流集会だったようです。

               
             岬人

愛媛地域教育実践交流集会 大洲

2011-11-14 | ブログ


 昨日、1昨日に、大洲では愛媛県内で地域教育に関わる人・団体の
実践交流集会がありました。

 私は、文化祭があったので昼間は出席できませんでしたが、
夕方に大切な用事を済ませた後、
例年のごとく夜の懇親会だけに参加しました。

 私が会場に着いたときには、
みなさんお酒も入りすごい盛り上がりで、その中に素面で入っていくことは
かなりはずかしいものがありました。

 若松さんの進行でチャリティーオークションが開かれていて、
県内外からの数多くのめずらしい品々が、
若松さんの名調子により競りおとされていました。

 時には、なかば押し売りのようなときもありました。
隣に座っていた大洲青少年交流の家職員の大藤さんにビールをついでもらい、
グイッと2杯くらい飲んだときでした。

「さあ、このワイン。おいしいそうな、高そうなワイン。
こんなものは浅野さんが好きそうです。
では浅野さんに買ってもらいましょう。」
 こんな若松さんの名調子に会場は
「ワハッハッハッハ」
の大きな笑い。

 私もこののりにまかせ、買ってしまいました。
でもいい買い物だったと思います。
 そしてオークションも終わりにさしかかったころ、
「はい。これは、東京上野動物園で有名な『ゴリラの鼻くそ』お菓子。
ちょうど2個あるので、浅野さん、双子の娘さんのおみやげにどうぞ。」
と言われ、これまたのりにまかせ買ってしまいました。
 でもこれを土産に持って帰ると、娘たちは
おいしい・おもしろいと言って大満足。
これまた、いい買い物でした。



 こんな雰囲気なので、懇親会は1次会で終わるわけもなく、
2次会へと突入。

 みなさんの生き生きとした顔。
こんな人だから地域を元気にしていこうとする力があるんだと思いました。

 いただいた力で、ふるさとをさらに活気ある地域にしていきたいと思いました。

四国最西端の文化祭

2011-11-12 | ブログ


 いよいよ明日は、
四国最西端の三崎中学校の文化祭「橘岬祭」(きっこうさい)。

 田舎の子どもならではのまじめさとアイディアあふれるもの。
中には、被災地支援の取組もあったり、
なかなか見ごたえのあるものです。

 子どもたちもやる気満々。

 午前9:30から始まります。
お昼には、バザーもありますので
佐田岬へのドライブがてらお気軽にお立ち寄りください。