喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

第62回全国人権同和教育研究大会 佐賀

2010-11-21 | ブログ
土日にわたり、佐賀において全国からおおぜいの人が集まり、
人権同和教育について学びました。

昨日よりは、少しでも人らしい生き方をしたい
今日よりは、明日すてきな生き方をしたい
終わりのない学びです

忘れないよう、書きとめていきたいと思います。

佐賀出身のシンガーソングライター、弓削田健介さんの語りと唄に感動しました。

ひすいこたろうの思い

2010-11-21 | ブログ
 佐賀出身のシンガーソングライター弓削田健介さんが、
ひすいこたろうさんの詩を紹介されました

『あなたがくだらないと思っている今日は
昨日亡くなった人が
なんとかして生きたかった
なんとしてでも生きたかった
今日なんです
今日は、そんな日なんです
今日、あなたとこうして出会えたことに感謝します

自分らしく、精一杯生きていきたいです

日系パラグアイ人

2010-11-18 | ブログ
 最近、日系アメリカン人に関心を持っていますが、
他の国の日系人はどうなんだろう?
 かなりの日本人が渡った南米は?

 そこで、パラグアイにいるもと喜久家ボランティア、市前寛子ちゃんに
聞いてみました。
すると初めて聞く事実が。

 『喜久家ブログ、見ました。
ちょっと恥ずかしいですが、コメント下さった方もいて嬉しく感じました。


11月のパラグアイは夏に向かっているはずですが、
異常気象でまだまだ朝晩は寒いです。
でも、昼間は35℃近く上がるので1日の温度差が10℃以上あって体調管理が大変です。
日本は、どんどん冬に近づいているそうですね。

 日系人のドラマのこと知ってました。
実は、インターネットで今日本でやっているドラマが見れるんです。
Yahooのトピックで見て、日系人に関してはもちろん興味があるのでドラマのHPは見ました。

 横浜での研修時にパラグアイだけでなく、
日系人の移住に関しての勉強もします。
ブラジルに関しては、「ハルとナツ」で、ああ、聞いたことがあると言う人も多いですが、
アメリカやブラジル以外の南米、東南アジアの日系人のことを知っている人は、本当に僅かだと思います。

 私も、応募するまでブラジル以外は知りませんでした。
パラグアイは戦前に移住した方もいますが、
親日国なので特に迫害はなかったそうですが、
アメリカやブラジルは、大変だったそうです。

 愛媛からも、大勢の方が移住しています。
ピラポにも宇和島の方がみえます。
ここに来る前に、平磯にいたんだよと言うと「ああ!!」と言ってくれます。

 移住に関してはお年寄りはもちろん、
2世の方からも普段から色んな話を聞くことが出来ます。
 任地ピラポは、今年移住50周年だったので、
1世の方がまだまだ現役で活躍されているので、
今回、移住資料館を作りました。

 日本から持ってきたものがほとんどそのまま残っていたり、
移住当時開拓に使った斧などが展示してあります。

 私も1年5ヶ月近く活動していて、
パラグアイで日本人よりも日本の心を持った人たちがどのように生活しているのか、
日本に紹介したいと思っていました。

 色々と情報は提供できますが、例えばどのようなことが知りたいですか??
 
 あと、私は青年海外協力隊員ではなくて、日系社会青年ボランティアと言います。
現地の方の支援するのが、協力隊員(もっちゃん)で、
対象が日系人なのが、日系社会青年ボランティアです。

 すいません。説明不足で。お手数ですが訂正していただけたら有難いです。

それでは、またメールしますね。
ピラポ 市前寛子』

 何ともすごい話です。
人がつながるって、本当すばらしいですね。

 こうなったら直接、パラグアイの日系人とつなげてもらいましょうかね。
何か行ってみたくなりました。

                      岬人

パラグアイからの返信

2010-11-18 | ブログ
 おぎさんのコメントに対して、
パラグアイにいる寛子ちゃんから返信がありました。

 これって、地球の反対側で今つながっているんですね。
驚きです。感動です。

 紹介します。

『おぎさんへ
 コメントありがとうございます。
パラグアイにいる市前寛子です。

 W杯はパラグアイ人と一緒に見てましたが、
PKで勝利が決まった瞬間、部屋の中でいっせいにダイブして全身で喜んでいました。

 バルデス、とても良いこと言っていたんですね。
私は監督同士が抱き合っていたのが感動しました。

 私はずっと施設で働いていましたが、今は在宅をやっています。
もちろん不安もありますが、お年寄りの笑顔を見ると頑張ろうと思います。

 体が資本の仕事なので、自分も大切にしながらお互いがんばりましょうね。』

 ぜひ帰国して、喜久家で出会ってほしい2人です。

 私にとって、見知らぬ国パラグアイが、
身近に感じる国になってきました。

                   岬人

親日的なパラグアイ

2010-11-18 | 感動
 先日、パラグアイにいる市前寛子ちゃんの話を書きましたが、
それに対しておぎさんからコメントがありました。

 新しく知った驚きとコメントのあたたかさ。
紹介します。

『パラグアイは昔、開拓のため多くの日本人が渡ったと
うちの近所の人でもパラグアイに行った人もいるみたいで…

 南アフリカワールドカップ日本vsパラグアイ戦見てて、
親がそんなこと言ってました。

 PK戦で敗れてましたが…
試合後、バルデスが泣いている駒野に近づいて
声をかける様子がTVカメラに収められていました。
 その内容は「頭を上げよう。(負けたのは)君のせいじゃない。」「気落ちするな。」
ってこと言ってたシーンに、パラグアイにはすばらしい選手がいるんだなと思い感動しました。

 そのパラグアイで頑張っている人がいらっしゃるんですね。
おいらも介護の仕事やってますが…
言葉も通じない所で福祉の仕事をするのはホント大変だと思います。
不安もあると思いますが、がんばってくださいp(^o^)q 』

 おぎさんは、おだやかでまじめな好青年。
野村で介護の仕事を生きがいを持ってやっています。

                            岬人

未来に残したいふるさと・みさきの風景プロジェクト

2010-11-17 | ブログ
「未来に残したいふるさと・みさきの風景プロジェクト」
これは、三崎中学校が昨年から取り組んでいる活動。
この三崎地域の貴重なモノを写真におさめています。

 見る気になって見れば、すばらしいものの宝庫。
大自然、貴重な文化財、伝統行事など。
写真で撮るとまたちがって良いものです。

 今年が昨年と違った点は、
中学生の思いと目線で残していきたいと考え、
その名も昨年の「三崎百景」から
「未来に残したいふるさと・みさきの風景」に変えました。

 中学生たちは、実におもしろいモノを撮りました。
簡単にまとめると、
私たち大人がとても「貴重なモノ」を多く撮るのに対して、
「日常のモノ」を撮っています。
家の近所の夕日・朝日・路地・石垣・空・雲・集落・港など
とても身近なモノばかり。

 子どもたちの「未来に残したいふるさと・みさきの風景」とは、
ふだんからよく目にするあたりまえの風景が多いようです。
このことは、新たな発見でした。
地域づくりにおいて、未来を担う子どもたちの
こんな思いをくみとっていきたいものです。

 そして、子どもたち自身が、
「自分でやってみよう」「自分がやったんだ」という
思いが持てるような活動を創っていきたいと思います。

 写真は、今日11月17日の愛媛新聞に
大きく取り上げられたものです。
 地域は、しばらくこの話題で盛りあがりそうです。
 
 愛媛新聞の阪和記者はじめ編集長さんには、
中学生のふるさとへの思いを取り上げていただき、
とてもうれしく思っています。

「子どもが地域を創る・変える」
そんな力を子どもたちは持っています。

                岬人(はなんちゅう)
 
 
 

棟上げへの思い

2010-11-16 | ブログ
 この家は、たくさんの人の思い出がつまっています。
改築の鉄筋コンクリートの部分は、亡くなった祖母がずっと使っていたところです。
もうしわけない気持ちもたくさんありましたが、
ずいぶんと手直しすることになりました。

 思い出のふすまや欄間・壁などをのけていくときには、
胸が苦しくなりました。
ただ鉄筋コンクリートの骨格はそのまま使うようにしました。

 また、増築部分の基礎には、大きな貯水タンクがありました。
畳6畳、深さが2m50㎝ほどあります。
これは、40年近くも前に、水の大切さを嫌というほどわかっていた父が、
作ったものです。
 その工事は、今のような重機もなくすべて手で掘られました。
私の父・母・祖母以外に、みつこおばちゃん・おハルおばちゃん・ハルコおばちゃん・フジ子ばあちゃん。
たくさんの人の協力でできあがりました。

 そんなタンクでしたから、残して何かに使えないかとかなり考えました。
そして出したこたえが、「地下室」。
タンクの外側を少し掘りこみ地下室コートにし、
光りや風が入るようにしました。

 そんな思いや歴史があり、
この家は新しい時代をむかえようとしています。

 そしてまちがいなくこの家に風を吹きこむのは、
私たち家族だと思っています。

                         岬人(はなんちゅう)

我が家の棟上げ

2010-11-16 | ブログ
 11月14日は、あれこれとありました。

 文化祭がされている同じ時間、
平礒に増改築されている我が家の「棟上げ」が行われていました。

「棟上げ」
つまり家の骨組みができること。

 私は、その場にいあわせることができませんでしたが、
次々とクレーンでつり上げられ、つなぎ合わされ、
組み立てられたとのこと。

 また、一番気にしていたのは、
無事・安全に終わることでしたが、事故もなく夕方に終了しました。
地元の濱本建設のみなさまには、お世話になりました。

 家というのは、関係する多くの方々の力をいただきながらできていくものだと
改めて感じました。

                    岬人

四国最西端の文化祭

2010-11-16 | ブログ
 11月14日(日)四国最西端、三崎中学校の文化祭がありました。
その名も「橘岬祭(きっこうさい)」

 今年度テーマは、
「開花 ~ 一人一人のcolor ~」

 一人一人が、自分を表現し、
それが集まって、おもしろいものができあがります。
 
 これからの季節、鍋がおいしいですが、
さまざまな食材が、それぞれの味をだし、
また他を引き立て、よりいっそうおいしいものになるのと同じです。

 今年は、昨年よりもさらにいい文化祭だった気がします。
発表や展示では、「ふるさと」という視点が色濃くあり、
アピールする力がまとまっていました。

 写真は、子どもたちが制作した巨大アートです。
岬にピッタリ。

                  岬人

平礒の裏側 南米パラグアイより(続き)

2010-11-15 | 喜久家の情報
 地球の裏側パラグアイで、
青年海外協力隊員として活躍されている、
もと喜久家ボランティア市前寛子さんからのメッセージの続きです。


『私はパラグアイ南部の日系移住地ピラポに住んでいます。
ここは、8箇所ある国内の移住地の中でも
日本気質が、色濃く残っています。
 NHKも見られるし、インターネットも見られて日本の状況はリアルタイムで把握できますが、
昔の日本がそのまま存在しているところと言われています。
 おやつには手つくりのかりんとうが出てきます。

 私の仕事で言うと、
高齢者のほとんどの人が家族と同居していて年相応の体の不調や物忘れはあるけど、
自分のペースで元気に生活しています。

 家族それぞれ事情はあれど、
家族が面倒をみるのは当たり前とい考えの人が多いところです。
 130人くらいいる70歳以上の高齢者に対して、
50歳以上の主婦のおばちゃんたちがボランティアグループを結成してデイサービスをしたり、
家庭訪問をしています。
 私は、そのおばちゃんたちにデイサービスの運営の仕方や介護に必要なことの情報提供しながら、
一緒に活動しています。

 移住地の人たちは、助け合いながら生きてきたので絆がとても強いです。
私は、どっちかっていたら都会育ちなので横のつながりを知らないで育ちました。
 
 平磯も、年齢が違っても意見を言い合って、1つ1つのことを決めていたことを見ていたので、
こっちにきて戸惑うことも多かったけど、
毎日が勉強になることばかりです。
 正直、自分の無力さに落ち込んだり、
地元の人たちが理解してくれなかったら怒れることが多々ありますが、
最近、私は高齢者福祉活動を通して町づくりをしているなと感じてます。
 全然程遠いですが。

 高齢者をいきいきさせることで、
若い人たちが将来のことを考えてくれるようなイベントを開催してみたいなと思うようになりました。

 平磯にいたのはたった3ヶ月でしたが、
まちづくりや人と繋がるということを考えるきっかけになりました。
 そして、いまは本格的に勉強してみたいと思っています。

 この長文のなかで伝えたっかたのは、
このきっかけを作ってくれた平磯に行って本当によかったということです。

 そして、アンちゃんと知り合えたことも。

 来年の6月に日本に帰国します。
帰ったら、平磯に行きたいと思っています。
その時にたくさん話が出来たらなと楽しみにしてます。
 突然の長文読んで下さってありがとうございました。

 それでは、みなさまによろしくお伝えください。
くれぐれもお体にご留意下さいませ。

 平磯の裏側 パラグアイより 市前寛子』


 感激です。
 私たち平礒の人たちは、また喜久家の仲間は、
いつも心のどこかに、
「来てくれた若者たちに何か残してあげれたものはあるだろうか?」
と自問自答しています。

 私たちの不安や悩みをよそに、
若者たちは、多くのことを感じとってくれているのかもしれません。
 それが、岬の宝物なのでしょう。

 寛子ちゃんの帰国を楽しみに待っています。

「reaching home」

                 岬人(はなんちゅう)  



平礒の裏側 南米パラグアイより

2010-11-15 | 喜久家の情報
 喜久家には、さまざまな若者が
国内外から来てくれます。
 そして、とびっきりの経験をして、
また旅だって行くのです。

 ツバメのように、またいつか帰って来てくれることを
願いながら見送ります。

 そんな中、喜久家を旅だって行った一人の女性から
メールが届きました。

 その人の名は、市前寛子さん。
まるで女優のような名前。
 もの静かですが、芯の強い心を持った女性でした。
高校卒業後、希望だった介護の仕事をしてきました。
そんな中、もう一つの夢がしだいに大きくなっていきます。
 それは、「青年海外協力隊」

「今だからできる経験をしておきたい。」
そんな強い想いで、長年勤めた職場も辞め、
青年海外協力隊実現への経験を積むために、喜久家プロジェクトに参加してくれたのです。

 
 では、そんな寛子ちゃんからのメッセージをどうぞ。

『こんにちは。

 ご無沙汰しています。
パラグアイにいる市前寛子です。
浅野家の皆様、平磯の皆様、お元気ですか?
覚えてくださっていたら嬉しいです。

 少し前に、インターネットを見ていたら、
喜久家のブログを見つけてみてたら1年ぶりに
アンちゃんからメールが来てびっくりしました。
それから、時々のぞかせてもらっています。

 早いもので、こっちに来てから1年3ヶ月が過ぎました。
南米に1年以上いると、
 さすがに日焼けしてこっちの人らしくなってきたなと言われてます。
日系移住地にいるので、ちっともスペイン語は話せませんが・・・。

 W杯で日本と対戦したので、
パラグアイの知名度が上がったと聞きました。
 
 日系移住地でみたサッカーは、めったに出来ない経験が出来ました。
パラグアイはサッカーが国技なので、
当日日本のユニホーム(偽物)を来て歩くと身の危険を感じました。』


 続く

四国最西端の文化祭

2010-11-13 | ブログ
 明日は、四国最西端、三崎中学校の文化祭。

 三崎中学校の文化祭は、橘岬祭。
みかんの岬の祭り。

 テーマは、開花 ~ 一人一人のcolor ~
小さな学校には、一人一人に役割があります。

 朝9:30~午後3:00まで。
のぞいてみませんか。

                岬人
        

日系アメリカ人 422部隊

2010-11-12 | ブログ
 これが、有名な日系アメリカ人「422部隊」です。

 7年前に、ワシントンのスミソニアン博物館で何気なく撮った写真が、
先日の5夜連続スペシャルドラマ「ジャパニーズ・アメリカンズ」
に出てきたのです。

 この不思議なつながり。

 422部隊については、のちほど書きとめたいと思います。

               岬人

日系アメリカ人

2010-11-12 | ブログ
 アメリカワシントンのスミソニアン博物館で撮った写真。
日系アメリカ人が、強制収容所に入れられている様子です。

 さて、どうしてアメリカ国籍を持っている日系2世までもが、
強制収容所に入れられたのでしょうか?

 ちなみに、アメリカは、日本と同盟条約を結びヨーロッパ戦線で戦った
ドイツ、イタリア系アメリカ人に対しては、
強制収容所に入れていません。
 日系人だけでした。


                     岬人