喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

26年ぶりの大学時代のストレンジャー・カンパニー同窓会

2015-12-29 | ブログ
 明日12月30日夜、26年ぶりの大学時代のストレンジャー・カンパニー同窓会がある。
そのため福岡へ向かう。

 中には30年ぶりの先輩もいたり。
 
 このサークルにいたことが、自分の青春時代を豊かなものにしてくれた。
そんなかけがえのない人たちとの再会。

 忘れられない場所がある。
忘れられない人がいる。



        岬人(はなんちゅう)

 

 

お正月 ~引き継がれてきた日本のすばらしい文化~

2015-12-25 | ふるさと
冬至を過ぎたというのに暖かい日が続いています。
出勤の時間、ちょうど宇和島のあたりから朝日が昇り、宇和海を照らし清々しい気持ちになります。
これが私の毎日のルーティーン。
佐田岬の豊かな山には、オレンジ色の柑橘と真っ赤なハゼが彩りをあたえています。
 
 日本のすばらしい文化について見てみます。その前に今日はクリスマス。
クリスマスとは、Christ(キリスト)の 誕生を祝うmass(ミサ=祈り)のこと。
したがってメリー・クリスマスとは、「おめでとう!イエスの誕生。」ということになります。
 日本では、クリスチャン以外も違った意味で盛り上がっていますが、それもまた日本人らしさ。
仏教徒が多い日本では、4月8日に灌仏会(かんぶつえ)(花祭り)という釈迦の誕生を祝う行事があり、
甘茶がふるまわれます。
大切にしたい行事です。

 クリスマスから1週間後の正月には、「明けまして、おめでとうございます」となりますが、
どうしておめでたいのでしょうか。
 NHK教育教材「どきどきこどもふどき」がわかりやすく説明しています。

 年の初めは、初詣(はつもうで)。
正月は神社もお寺も混雑します。
ふだん行かない人も、このときとばかりに願いごとをします。
手を大きくたたいたり、鈴を大きく鳴らしたりして神様にふり向いてもらえるようにします。
お賽銭(さいせん)などもして。

 お金と言えば、お年玉。
お年玉は正月のお祝いで、今はお金を渡しますが、昔はえらい人が目下の人に、もちや刀、扇などの品物をあげていました。
 
 そして正月と言えば、おせち料理。正月を祝う特別な食べ物です。
これには、めでたい“いわれ”のある料理がつまっています。
 例えば、黒豆。
食べると、「黒く」日やけして「まめ」に働けると言われています。


 数の子は、ニシンという魚の卵。
食べると、子どもが大ぜい生まれると言われています。


 栗きんとんは、「お金持ちになれるように」と、金色の食べ物を入れたもの。
 おせち料理にはめでたい食べ物がいっぱいです。

 でも、正月っていったい何が、めでたいのでしょうか? 

 今から2000年以上前、米作りといっしょに日本にやって来た神様が「年神(としがみ)」。
年神の「年」は、今と少し意味が違い、「イネの実り」のことでした。
 年神は、毎年作物を育ててくれる神様。
ふだんは田んぼや畑で働いています。
そこで、正月は家に招いてくつろいでもらう。
するとその年も豊作にしてくれるのです。
 でも年神様はそう簡単には家に来てくれません。
だから人間は、必ず神様に来てもらえるよう、必死に準備します。

 神様は汚いものが大嫌いなので、まずは建物をきれいにします。
寺社では、年末になると真っ黒になりながらすすやほこりを落とします。
それぞれの家庭でも大掃除が行われると思います。

                        「掃除する息子」

 人間もきれいにするために大みそかに冷たい水で身を浄(きよ)める人もいます。
新しい服に着替えたり。
 秋田県では大みそかに「なまはげ」という鬼がやって来て、神様を迎えるために悪いものを追いはらう風習があります。

 神様を家に呼びこむのが、米のわらで編んだ「しめ縄」や「門松(かどまつ)」。
神様は先のとがったものが好きなので、松の葉を飾ることで神様に来てもらおうとしています。


 家の神棚に迎え入れ、大好物のもちをお供えします。
もちは、もともと神様へのお供え物でした。
だからそれをいただくことを「お下がり」と言います。


 こうして、やっと年神様に来てもらえたということで、正月はおめでたいとされてきました。

 そして、神様を田んぼや畑にもどす儀式もあります。
毎年1月15日ごろ、全国で行われる「どんど焼き」という行事です。
門松やお供え等、神様を迎えた飾りを積み上げ、火をつけます。
燃やすことで、炎と一緒に神様を田んぼや畑にお見送りして、仕事に戻っていただく。
そうすることでその年の豊かな実りが始まるのです。
これもまた「これでお正月はおしまい」という大事な儀式。

 
 私たち日本人が長い間引き継いできたすばらしい文化であるお正月。
そのいわれを子どもたちに話しながら、家族や地域の絆を深めていきたいものです。

 家族や地域に見守られている子どもは、そのことを誇りに感じ、伸び伸びと育っていくことでしょう。

            「昨年、家族みんなでのトランプ大会」

 日本という国は、すばらしい。

             岬人(はなんちゅう)
 

さようなら「谷口桂」さん (登山家・アルパインクライマー)

2015-12-22 | ブログ
 昨日12月21日、驚くニュースが入ってきた。
知り合いの谷口桂さん(43歳:登山家・アルパインクライマー)が北海道の大雪山系黒岳(1984m)から滑落し行方不明というニュース。
昨夜は、心配で寝つかれず、今朝からの捜索で無事見つかることを祈っていた。

 ところが今日昼前のニュースで、今朝心肺停止の状態で見つかり、病院で死亡が確認されたとのこと。
悲しくて、やるせない気持ちでいっぱいだった。

 桂さんが挑戦する登山は危険も多いが、いつもニコニコと平然と帰って来るような雰囲気がある人だった。
それだけに…

 桂さんと出会ったのはもう11年ほど前になる。
以前の職場、国立大洲青年の家での仕事つながりで紹介してもらった。
 その後、大洲青年の家にも来てもらい、不登校や引きこもり青年たちにマナスル登頂の話や挑戦することの大切さを語ってもらったこともある。

 3年前のブログに次のように記していた。
  
「2012年1月27日
 知り合いに谷口桂さんという登山家・アルパインクライマーがいます。
私にとっては、住む世界が違う想像を絶する女性。

 テレビでよく見かけるアルピニストの野口健さんとも大親友。



 ひょんなことから出会い、飲み、メールなどのやりとりをさせてもらっています。



 小さくきゃしゃな体にどうしてエベレストやマナスルに登る力があるのだろう、
といつも驚きと憧れの目で見ています。



 写真は、日本人初のピオレドール賞の”金のピッケル”
をかかえる谷口さん。
 ピオドール賞と言えば、登山界のノーベル賞のようなもの。
 何ともすごい女性です。



 そんな谷口さんがアフリカケニアのキリマンジャロから帰ってきたという
連絡がありました。
 そして今夜はパタゴニア横浜店でトークがあるということでした。

 そのパタゴニア横浜店は、谷口さんを次のように紹介していました。


 『子供の頃から冒険家に憧れていた。
本の中で、世界中を冒険した。
いつか自分も未知の領域を冒険したい ― そうやって初めて出かけたアラスカの山。
その山の頂上からもっと広い世界が見えて、自分の冒険の旅は始まったかもしれない。

 でもふと気付けばすぐ近くにも冒険はあったりして。
ルールはない。
でも自分で決めたことを達成する。
それって楽しい人生だ。

 子供の頃から皆と同じことをやらされるのが嫌で、
本の中でいつも未知の世界への冒険を夢見ていた。

 本の中の世界だと思っていた槍ヶ岳に登ったことから山の魅力のとりことなり、冒険の世界が広がった。
難しいことというよりも誰もやったことのないことに惹かれる。』




 特に心ひかれるのが、
 
ふと気付けばすぐ近くにも冒険はあったりして。
ルールはない。
 でも自分で決めたことを達成する。
それって楽しい人生だ。


という考え方。」

 
 桂さんといると周りはいつも明るい雰囲気に包まれた。
それは、桂さん自身が人生を思いきり楽しめる人だったからだと思う。



 もうあの笑顔が見られないと思うと残念でならない。
安らかなご冥福を祈るばかり。

 さようなら 桂さん

            岬人(はなんちゅう)


 

沖縄日記6 ~郷土料理と泡盛~

2015-12-19 | 地域づくり
 11月下旬の沖縄研修をふり返る。
日中は、しっかり研修し、夜も沖縄を感じる。

 與座さんが、これぞ沖縄という場所を案内してくれた。
1次会が終わり、まずは、この店。



 何と店の中に船が突っこんでいる?
船が店になっている?
こんな店は初めて。



 北見さんも感動。豪快な與座さん。



 付け出しは、初めて食べる味。


 雰囲気に酔った2次会。

 次に行ったのが、沖縄音楽を生演奏で聞かせてくれる有名な店。


 この付け出しが絶品。


 そして、これもまた絶品。


 この料理に合うのがやはり泡盛。
與座さんオリジナルの「萬座」という泡盛。 
飲み始めはきついと感じるが、甘さが口の中に広がる。
 これが泡盛か。

 これで終わりかと思いきや、最後に寄ったのが、まためずらしい店。


 なつかしい映画の看板が目印。
中に入るとカウンターに5人座るのがやっと。
奥にはちょっとした畳の間。
狭い空間が、お客の一体感を高める。

 芸術家の風貌をした店の主人は、映画の看板を描いてきた人。
裏話をいっぱい聞かせてくれた。

 飲み物は、やはり泡盛。


 このグラスが、有名な作家のものらしい。
しかも有名になる前の下積み生活をしていたころ、収入が少ないので、作品をお代に飲ませてあげたようだ。
何と粋なご主人。
 それが今やプレミアもの。

 與座さんのおかげで、沖縄の夜を満喫。
 
 沖縄の海人は、懐が深い。
また行きたい店。
そしてまた会いたい人だ。

 魅力的な地域には、まちがいなくとびっきりの魅力的な人がいる。


          岬人(はなんちゅう)

 

 

佐田岬の夜明け前  ~亀ヶ池から女子岬を望む~

2015-12-19 | ふるさと
 今朝は、家を6時に出て出勤。
メロディーランを車で走っていると、宇和海の向こうに朝焼けが広がり始める。

 太陽が昇るこの瞬間がとても神秘的。
全てが、日の出を待ち望んでいる。

 どのタイミングで、どこから写真を撮るか迷いながら進む。
そして車を停めたのが、亀ヶ池の上。
ここから女子岬を望む景色が大好き。



 同じ景色は人生で二度と見られない。
そんな瞬間を見ている。

 でも私には特別な景色、時間だが、自然にとってはごくあたりまえなこと。
悠久の時が流れていく。

 何とちっぽけなことか。

 大いなる自然に感謝。


          岬人(はなんちゅう)

 

沖縄日記5 ~ オリオンビールを味わう ~

2015-12-16 | 地域づくり
 11月下旬の沖縄研修をふり返る。
沖縄の楽しみの一つ。
それは、沖縄ならではの食べ物や飲み物を味わうこと。

 ライトアップされる時間まで首里城を散策した後、モノレールの駅まで歩いていた。
沖縄県立芸術大学を通り過ぎたあたりで、沖縄の雰囲気をかもしだす店があった。
そして迷わず入った。

 

 古い建物もさることながら、庭もまた美しい。
沖縄の曲が流れており、旅情をかきたてる。

 肌寒い夜だったが、庭を間近に見える軒下の席を選んだ。
座ってみると、ホットカーペットが敷かれており、心地よかった。



 注文を取りに来られた。
まずは迷わず、オリオンビールの生をお願いした。



 食べ物は、豚肉ともやしと豆腐のチャンプル。
オリオンビールとの相性がピッタリ。



 わずかな時間だったが、沖縄を十分に感じることができた。 

 まだまだ飲み足りず、食べ足りず。
国際通りの居酒屋に入った。
まずは、ここでもオリオンビール生。
そして沖縄風鍋を注文した。



 何とオリオンビール生が200円という安さ。
一人で飲むことは、寂しかったが、オリオンビールのうまさが寂しさを和らげてくれた。

 日本とは、何とすばらしい国だろう。
地域の数だけ、うまい料理と酒がある。

 体は単純で正直。
うまいものには勝てない。

 これからの地域づくりのポイントだ。

「うまい・楽しい・めずらしい」


 沖縄の夜を十分に楽しんだ。

              岬人(はなんちゅう)
 

 

イルミナーレ二名津 2015 ~地域の未来を輝かせる~ 

2015-12-12 | 地域づくり
 この季節、全国津々浦々、様々なイルミネーションがある。
私は、隣の地区二名津のものが大好き。



 それは、思いがつまっているから。
輝かせるのは夜の闇だけではなく、地域の未来を輝かせようという思いがこもっている。



 増田さんを中心に今年はさらにおもしろい取組があった。
「まちカフェ」を開店したのだ。



 仕事帰りに寄ってみた。
すでに地域の子どもや大人たちが大勢いた。

 サンタが作るあったかいコーヒー。
平礒から幸君も応援にかけつけている。


 学校帰りの息子も手伝っている。
おかげで息子は、二名津を愛し、二名津の人から愛されている。


 さらに佐田岬ツーリズムの水本さんの焼き芋。
行列ができていた。
塩成産の紅はるか。他の物よりもはるかにおいしいと宣伝しながら焼いていた。

 ウォーキング帰りのおばちゃんたちが買って帰った。
お腹も心も満たされる。


 地域を思う人たちの取組が、地域をどんどんいいものにしていく。


 2日前に降った大雨で増水した川にも映っている。


 本当にすごい。
イルミナーレ二名津 2015 

            岬人(はなんちゅう)




イルミナーレ二名津 2015 ダイジェスト

2015-12-12 | 地域づくり
イルミナーレ二名津 2015



 
 勝手にこのネーミングをつけた。
イルミナーレとは、イタリア語で、「照らす、輝かせる」という意味がある。

 厳選の写真をダイジェストでお届けしたい。


               岬人(はなんちゅう)

    




沖縄日記4 ~様々な木々~

2015-12-12 | 地域づくり
 11月下旬の沖縄研修のふり返り。

 南の島特有のめずらしい木々。
歌にもよく出てくるデイゴ。




 大地にしっかりと根を張り、太陽に向かって大きく枝を広げている。




 亜熱帯のガジュマルやアコウ。






 首里城にある神聖な御嶽の森。


 ほかの生き物なら移動することもできるが、植物は移動はできない。
ずっとそこに立ち続けるのだ。

 そんな生き方もすごい。
その土地に根を張り、生きていく。

 沖縄やふるさとのお年寄りたちのことが頭に浮かんだ。

               岬人(はなんちゅう)

沖縄日記3 ~ 花のある風景 ~

2015-12-09 | 地域づくり
 11月下旬、沖縄での研修をふり返る。

 四国の佐田岬も温暖な地域だが、やはり沖縄は暖かかった。
およそ1か月の違いがありそうなくらい。

 まちを歩いていると、岬ではあまり見かけない花がまちを彩っている。



 花のある風景は、本当いいものだ。



 なければないで、問題はない。
でもあれば、大きな存在感。
心に潤いを与えてくれる。
 それが、花というもの。



 沖縄には、赤い花がよく似合う。



 そして沖縄といえば、ハイビスカス。
以下、ラピスマリンスポーツのブログより。



 「沖縄の人々から親しまれ、一年中あちこちに咲いているまさに沖縄を象徴するようなハイビスカスですが、
原産地はハワイやマスカリン諸島です。

 沖縄も亜熱帯気候で一年中咲きやすい環境です。
 人の手で植えられながら、長い年月をかけて少しずつ数を増やし、
今では沖縄県内の様々な場所で美しく咲いています。
 ハイビスカスの枝はとても丈夫で5mくらいまで伸びるものもあり、
台風などで風が強い日が多い沖縄では畑を守る防風林代わりとして植えられていることもあります。

 綺麗な花として親しまれているだけでなく、天災から人々の生活を守っているんですよ。

 ハイビスカスと言えば、鮮やかな赤い花びらを連想される方が多いと思います。
しかし、品種系統は大きく3系統に分かれ、更にそこからなんと7000種類以上の品種が登録されているんですよ。

 花びらが何層にもなっていたり、花びらが大きいセミダブルと呼ばれるものもあります。

 色も赤だけでなく、白、黄色、橙色、ピンク、紫、シルバー、茶色などがあり、
複数の色が混ざって咲くハイビスカスもあるんです。


 暑い沖縄で太陽に向かって元気に咲いているイメージが強いハイビスカスですが、
実は以外にも暑さに弱いという一面も。
35度を超えるような猛暑の日には弱ってしまいます。
 また、「花を咲かせてくれた!」と思うと、たった一日でしぼんでしまう一日花だったりします。

 
 種類も色も形も様々なものがあるハイビスカスですが、もちろん花言葉にも色々ありますよ!

 赤いハイビスカス・・・「常に新しい美」「勇ましさ」「勇敢」「新しい恋」
 ピンクのハイビスカス・・・「華やか」
 白のハイビスカス・・・「艶美」「繊細な美」
 黄色のハイビスカス・・・「輝き」


 また、よく女性が髪飾りとして耳の横などにハイビスカスを付けている姿を見たことがあるかと思いますが、
付ける位置によって意味が異なることも現地では有名です。

 右に付ける・・・未婚
 左に付ける・・・既婚 」


 そうそう。
沖縄にも伊方町の花である、「つわぶき」の花が咲いていた。

 花のある風景。
いいものだ。

           岬人(はなんちゅう)

沖縄日記2 ~守り神 シーサー ~

2015-12-03 | 地域づくり
 11月27日那覇空港に降り立った。
新婚旅行以来20年ぶりの沖縄。
 当時は感じられなかった様々な沖縄を五感で感じたいと思った。

 まず那覇空港でお出迎えしてくれたのが、シーサー。



 以下、シーサーについて、シーサー職人工房のブログを引用させてもらう。


「沖縄では、獅子のことをシーサーとよびます。方言では「しーし」とも呼びます。
シルクロードの時代、西域ではライオンのことを「シ(SHE)」と読んでいました。

 中国から獅子文化が沖縄へ伝来して500年以上たっております。
 作者は不明ですが1470年ごろに首里城の瑞専門に石獅子が対で設置したと記録にあります。







 その頃はまだ、中国式にならって王宮やごく一部の貴族にしか獅子を設置していませんが、
首里王府時代の歴史書「球陽」に1689年、東風平(こちんだ)の冨盛村でたびたび火災があり、
こまった冨盛村の人たちは、蔡王瑞(さいおんずい)という風水師に見せたところ、
「富盛村を見下ろす八重瀬岳がフィーザン(火山)だ」というので、
その山にむけて獅子を設置したら火災はおこらなくなったと 記録にあります。

 ちなみにこの東風平の冨盛の獅子は村落獅子の起源といわれておりますが、実際に今でも設置されています。
当時このように村落獅子を設置すれば、災難を防ぐと強く信じられ各地に村落獅子が広まります。

 ここから権威の象徴や王宮での守護神であった獅子が村落へ普及し、
また当時禁止されていた民家の赤瓦使用が、1889(明治22)年に解禁されると共に、
屋根獅子として守り神シーサーが、全県へ赤瓦と共に普及しました。



 昔のしまんちゅは、頑張って働いて稼いだら赤瓦屋根にしーし(シーサー)を載せる。
これが男の美学でした。
なぜなら、明治22年までは、それまで士族階級にしか許されなかった赤瓦屋根があるからです。

 そんな歴史がある昨今ですが、若者を中心に赤瓦離れが急速に訪れています。
沖縄本島で現在確認できる村落獅子は、じつに30体。
 長い年月であるいは戦争で獅子は風化していますが、 
300年から400年もの間その村を見守ってきた石獅子をみると畏怖さえ感じます。

 赤瓦が民家への開放と共に一般のお家にも屋根獅子としてシーサーがのります。
村落獅子として村に伝わり、いつしか民家へも守り神として、沖縄ではシーサーを乗せる風習が出来上がりました。

 瓦屋根の普及と共に素焼きのシーサーが多く製作されています。
 壷屋焼きを中心に数多くの シーサーが製作され「島常賀」(しまじょうが)
などシーサー作りの名人も生み出しました。

 最近では瓦屋根も少なくなり門柱が出来始め、シーサーを対として門の上に設置。
またシーサーの顔を形どり面として壁に設置など、沖縄のシーサーも多種多様に変化しています。







 中国から沖縄に伝来して500年以上、獅子文化は世界に類を見ないほど地域に根ざしていくのです。
がそれは、沖縄独自の文化と信仰、ノロやユタのようにシャーマン文化やもともとある魔除けと一緒に、
獅子文化が守り神として魔除けとして沖縄の人々に愛されてきたからではないでしょうか。

 沖縄にとってシーサーとはゆるぎのない守り神であり、家族を想う大黒柱の象徴でもあります。」



 なるほど。
シーサーという守り神が、沖縄の景観をつくっているのはまちがいない。
 それほど人々に敬われ、愛され続けてきた。
その時の経過を思うと、感動のため息が出る。

 故いもののすばらしさ。
思い返せば、佐田岬のふるさとにもある。
 そんな歴史のカケラを大切にしていきたい。


                 岬人(はなんちゅう)


 



波の楽園、波の記憶

2015-12-01 | ふるさと
 充実した沖縄での仕事を終え、30日帰路に就く。
那覇空港から渡嘉敷の島々が見える。



 青い海と青い空。

 沖縄は島なので海に囲まれているが、
ふるさと佐田岬も3方を海に囲まれている。
どこか似ている。

 機内に置いていた本におもしろい記事が載っていた。




「波の楽園、波の記憶。

 海は、文化のハイウェーとも形容されるほど、各地に多様な文物を運び、育んできた。

海女が日本沿岸に広まったように、

民謡が漁師町に伝播したように、

古来、海は文化や芸能のゆりかご。

ならば、打ち寄せる波はスパイスのようなものかもしれない。」



 岬の海は、沖縄の海とつながっている。
またいつかこの島に戻ってきたい。

 忘れられない波の記憶となった。





         岬人(はなんちゅう)

佐田岬の海と沖縄の海

2015-12-01 | ふるさと
 久しぶりのブログ。
先週の27日金曜日から昨日30日まで沖縄に仕事で行っていた。

 午前10:50分、松山発。

 途中楽しみにしていたことがある。
それは、ふるさと佐田岬上空を飛ぶということで、
ふるさとを上空から見られるということ。

 伊方原発が雲の切れ間から見えた。
と言うことは、間もなくふるさと上空。

 そしてついに見えた。
釜木湾と平礒の集落。


 さらに、佐田岬灯台。


 鳥になった気分。

 それから1時間半後。
沖縄の島々が見え始めた。





 青い、青い海。


               岬人(はなんちゅう)