喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

エルバート・ハバート

2017-12-18 | ブログ
「明日、良い仕事をするための最高の準備とは、
今日、良い仕事をすることだ。」

         エルバート・ハバート(著述家、アメリカ)



 最近、ブログの更新ができていない。
書くことがないわけではなく、たくさんある。

 上の言葉を胸に、今日できる良い仕事をがんばっているところ。

 落ち着いたら、感じたこと、思ったことをつづっていきたい。
それまであと少し。


          岬人(はなんちゅう)
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猛烈な‥

2017-07-06 | ブログ
 田舎暮らしなのに、忙しい。

もうしばらくブログ更新をしていない。

 書くことは、たくさんあるのに。

この忙しさが、一息ついたら。


 今回の台風、梅雨前線で各地に被害が出ている。

こちら佐田岬、平礒は大したことはなかった。

 被害にあわれた方々の1日も早い復旧を祈る。


            岬人(はなんちゅう)
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喜久家ブログで最多訪問者

2016-10-03 | ブログ
 先週の喜久家ブログの訪問者が、9月25日での記録をさらに更新した。

 昨日10月1日(土)の訪問者数が、341人。
先週の総訪問者数が、1,920人で過去最多となった。
1日平均275人。

 おもしろい現象だ。

 私の知り合いだけでは、到底それほどの人数はいない。
名前も顔も知らない人たちが見てくれている。



 田舎やふるさとを愛する人、農業に興味ある人、教育を大切に思われている人、
ボランティア活動をはじめ地域づくりを実践されている人、
そして何より国境を越えた、地域を越えた、世代を超えた人と人とのつながりを大切に思われている人。
 



 娘たちも新たな出会いや交流が大好き。

 こんな思いをもった人とつながっていけることがうれしい。
ぜひ一方通行的なものではなく、みなさんからの思いも感じたい。

 未来は明るく、楽しい。


           岬人(はなんちゅう)

 


 
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ロッキー・マウンテン・ハイ (Rocky Mountain High) からふるさと佐田岬を思う

2016-09-20 | ブログ
 平成15年、3ヶ月間の「日米国民交流若手教員のアメリカ派遣」
13年前の9月20日、研修スタートの前にロッキー山脈国立公園に行ってみた。

 公園を東西にぬけるトレール・リッジ・ロード (US-34 / Trail Ridge Road) は、
山頂の大陸分水嶺を通りぬけるが、分水嶺近くのアルパイン・ビジター・センター (Alpine Visitor Center) や
前後のビュー・ポイントからは、壮大なロッキー山脈の山々の眺望が楽しめる。

 まさに、ジョン・デンバー (John Denver) のロッキー・マウンテン・ハイ (Rocky Mountain High) の世界。

ジョンは、1970年代前半から1990年代にかけて活躍したアメリカのカントリー・ポップス・シンガー。

「ロッキー・マウンテン・ハイ」は、数あるジョン・デンバーの曲の中でも代表曲の1つ。
カントリー・ミュージックをベースにした、素朴でアコースティックな味わいの曲で、
ギルドのアコースティック・ギターを弾きながら軽やかに歌い上げている。

 歌詞は、「彼は27歳の年に生まれた。そして、今までやって来たこともない場所に戻ってきた…」
というおもしろい表現で始まっている。
 都会生活に見切りをつけた若者が、ロッキー山脈の自然の中で暮らし始めて、
その生活に新たな意味を見出していく姿が描かれている。

 この曲が作られた1970年代前半の日本は、右肩上がりの高度成長時代が終わりを迎えた頃。
それまでの日本社会は、戦後の復興から目覚ましい発展をとげ、
GDPではアメリカ合衆国に次ぐ世界第2位の大国にまで上りつめた。

 一方で、経済の停滞や公害問題が深刻になってきた。
それまでの猛烈な生き方への反省として、人間性の回復などがクローズアップされた時でもあったようだ。
自然(nature)に帰ることが求められてきた時代と言えるだろう。』



 

では、ロッキー・マウンテン・ハイの歌詞をかみしめながら。



『ロッキーマウンテンハイ 作詞作曲 ジョン・デンバー&マイク・テイラー 訳詞 マーヤ
 
彼は27歳の夏に生まれた
未だかつて住んだことのないふるさとに戻ってきた
彼は過去に別れを告げ生まれ変わったと、あなたは言うかもしれない
彼はどんな扉をも開ける鍵を見つけたんだと

彼が初めてその山に来た時、
人生について迷っていたんだ
道すがら歌いながら
でも、弦が切れても彼は気にしなかった
変化というものは素早く変わるし、いつまでも同じままじゃないから

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
星灯かりの影は子守唄よりも柔らかく優しい
ロッキーマウンテンよ

彼は大聖堂のような山に登り、銀色に輝く雲を足元に見た
彼には何もかも彼方に見えた
みんなは彼のことを気ちがい呼ばわりした
太陽に触ろうとしたと
彼はとある友人を失ってしまったけれど、思い出だけは失うことはなかった

今や彼は森や小川の中を一人静かに歩いている
一歩一歩あるきながら美しいものを探し求めていた
彼は内なる心に向けられ、その思いを理解しようとしていた
青く澄みきった山の湖の穏やかさも

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
神に話しかけ気さくな返事に耳を傾けよう
ロッキーマウンテンハイ

彼の人生は不思議なことだらけで心は怖れに満ちている
簡単なことすら理解できなくなっている
なぜ彼らは山を引き裂こうとしているのか
人々が増え、地には傷跡が残ろうとしているのに

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
鷲が空高く飛ぶのを見なかったら
彼はもっと貧しい男になっていただろう
ロッキーマウンテンハイ

ああ、コロラド、ロッキー山脈よ
大空に炎が雨のように降るのを見た
友よキャンプファイヤーを囲んでみんなで楽しくやろう
ロッキーマウンテンハイ
ロッキーマウンテンハイ
ロッキーマウンテンハイ』


 都会生活に見切りをつけた若者が、ロッキー山脈の自然の中で暮らし始めて、
その生活に新たな意味を見出していく姿が描かれている。

 ふるさと佐田岬にもたくさんの魅力がある。


                       岬人(はなんちゅう)
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福岡大学テニスサークル ストレンジャーカンパニー同窓会 

2016-01-04 | ブログ
 福岡大学テニスサークル ストレンジャーカンパニー同窓会
 


 昨年暮れ12月30日、福岡大学テニスサークル ストレンジャーカンパニーの同窓会があった。
参加するために朝7時に家を出る。
 佐賀関への九四フェリーに乗る。豊予海峡の海はおだやか。
到着後、1時間JR神崎駅へのバスを待つ。
ようやくバスが来て、神崎駅へ。
 神崎駅で列車を待つことまた1時間、乗りこみ大分駅へ。
 大分から高速バスに乗り、福岡に着いたのが午後2時。
7時間の旅だった。

 その間、昔のいろいろなことをふり返りながら、なつかしい風景を見ながらの時間を過ごした。

 夜の会までに会いたい大切な人がいた。
感動の再会をし、午後5時30分に会場へ向かう。

 久しぶりの中洲でキョロキョロして看板を探していたところへ、後から声をかけられた。
哲ちゃんだ。
20年ぶりくらいの再会なのにそんな気がしない。

 2人そろって会場の店に入ると、なつかしい伊原さんのお出迎えの声。
そして部屋には今回の同窓会をするにあたりたいへんお世話になった林田さん。
27年という時間が一気に巻き戻る。

 その後続々とお世話になった人、初めて会う先輩方が到着。
みなさんとの出会いがあったからこそ、自分の大学生活が豊かなものになった。
ぬきにしては考えられない。
再会のうれしさと感謝がどんどんこみあげてきた。

 

  

 夜7時から始まった同窓会は時間が経つのも忘れるくらい盛り上がり、夜は更けていった。
親友の中野と2人で4次会、5次会を過ごし、ホテルをキャンセルし、そのまま帰りの高速バスを待つ。
徹夜の飲み会もなつかしい。

 朝6時の始発に乗りこみ福岡を後にする。
最後まで見送ってくれた親友。本当にありがたい。


 今回、改めて思った。
忘れられない場所、福岡。
そこには忘れられない人たちがいる。



 今年も出逢いを、人を大切にしていきたい。


           岬人(はなんちゅう)

 


 



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26年ぶりの大学時代のストレンジャー・カンパニー同窓会

2015-12-29 | ブログ
 明日12月30日夜、26年ぶりの大学時代のストレンジャー・カンパニー同窓会がある。
そのため福岡へ向かう。

 中には30年ぶりの先輩もいたり。
 
 このサークルにいたことが、自分の青春時代を豊かなものにしてくれた。
そんなかけがえのない人たちとの再会。

 忘れられない場所がある。
忘れられない人がいる。



        岬人(はなんちゅう)

 

 
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さようなら「谷口桂」さん (登山家・アルパインクライマー)

2015-12-22 | ブログ
 昨日12月21日、驚くニュースが入ってきた。
知り合いの谷口桂さん(43歳:登山家・アルパインクライマー)が北海道の大雪山系黒岳(1984m)から滑落し行方不明というニュース。
昨夜は、心配で寝つかれず、今朝からの捜索で無事見つかることを祈っていた。

 ところが今日昼前のニュースで、今朝心肺停止の状態で見つかり、病院で死亡が確認されたとのこと。
悲しくて、やるせない気持ちでいっぱいだった。

 桂さんが挑戦する登山は危険も多いが、いつもニコニコと平然と帰って来るような雰囲気がある人だった。
それだけに…

 桂さんと出会ったのはもう11年ほど前になる。
以前の職場、国立大洲青年の家での仕事つながりで紹介してもらった。
 その後、大洲青年の家にも来てもらい、不登校や引きこもり青年たちにマナスル登頂の話や挑戦することの大切さを語ってもらったこともある。

 3年前のブログに次のように記していた。
  
「2012年1月27日
 知り合いに谷口桂さんという登山家・アルパインクライマーがいます。
私にとっては、住む世界が違う想像を絶する女性。

 テレビでよく見かけるアルピニストの野口健さんとも大親友。



 ひょんなことから出会い、飲み、メールなどのやりとりをさせてもらっています。



 小さくきゃしゃな体にどうしてエベレストやマナスルに登る力があるのだろう、
といつも驚きと憧れの目で見ています。



 写真は、日本人初のピオレドール賞の”金のピッケル”
をかかえる谷口さん。
 ピオドール賞と言えば、登山界のノーベル賞のようなもの。
 何ともすごい女性です。



 そんな谷口さんがアフリカケニアのキリマンジャロから帰ってきたという
連絡がありました。
 そして今夜はパタゴニア横浜店でトークがあるということでした。

 そのパタゴニア横浜店は、谷口さんを次のように紹介していました。


 『子供の頃から冒険家に憧れていた。
本の中で、世界中を冒険した。
いつか自分も未知の領域を冒険したい ― そうやって初めて出かけたアラスカの山。
その山の頂上からもっと広い世界が見えて、自分の冒険の旅は始まったかもしれない。

 でもふと気付けばすぐ近くにも冒険はあったりして。
ルールはない。
でも自分で決めたことを達成する。
それって楽しい人生だ。

 子供の頃から皆と同じことをやらされるのが嫌で、
本の中でいつも未知の世界への冒険を夢見ていた。

 本の中の世界だと思っていた槍ヶ岳に登ったことから山の魅力のとりことなり、冒険の世界が広がった。
難しいことというよりも誰もやったことのないことに惹かれる。』




 特に心ひかれるのが、
 
ふと気付けばすぐ近くにも冒険はあったりして。
ルールはない。
 でも自分で決めたことを達成する。
それって楽しい人生だ。


という考え方。」

 
 桂さんといると周りはいつも明るい雰囲気に包まれた。
それは、桂さん自身が人生を思いきり楽しめる人だったからだと思う。



 もうあの笑顔が見られないと思うと残念でならない。
安らかなご冥福を祈るばかり。

 さようなら 桂さん

            岬人(はなんちゅう)


 
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男の隠れ家  ~もにこど2~

2015-09-21 | ブログ
 昨日21日、シルバーウィーク唯一の休日。
前日松山で研修があり宿泊していた。

 家族もそれぞれ用事があったので、久しぶりに自分だけの時間を過ごせる。
岬への帰り道にどこかおもしろいところはないものか。
 もう10年以上も前だろうか、伊予市に大谷池というダム湖があり、
その周辺が県立森林公園になっていた所に行ったことがあった。
 自然を暮らしの中にどう生かすかに興味があるので、久しぶりに行ってみたくなった。

 その途中、おもしろいカフェがあるということで立ち寄ってみた。
カーナビで車を走らせるが、くねくね道でどうみても人家の中。
こんな所に店があるのだろうか?

 そしてついに目的地に到着。
その家は少しおもしろいデザインなものの、どうみても普通の民家にしか見えない。



入口さえよくわからないくらい。
しばらく家の回りをぐるぐると。
そしてようやく見つけ、入口の戸を開けるとおしゃれな玄関ホール。
正面にほどよい古さの調度品が置かれていて、部屋へ入る気持ちを誘ってくれる。



 入ってみるとビックリ。
何段か下がった所に、フロアがあり、カウンターと椅子テーブル、そして和風な板間。
ちょっとおしゃれなリビングといった感じ。
お客さんが結構いて、にぎやかにおしゃべりをしている。

 空いている席が板間しかなかったので、窓際の席に座る。
そこから見える景色にまたビックリ。



 すぐそばにみかん畑があり、何軒か民家がすぐそばにある。
遠くには、刈り取り前の稲穂がゆれる田んぼが広がっている。
さらに遠くには瀬戸内海とそこに浮かぶ島々。
 見晴らしがよい所に建っている我が家感覚。

 メニューを見るが、聞きなれないメニューは注文できず。
せめて普通のコーヒーではなく、香りがよさそうな炭火コーヒーをたのんだ。



 待つこと10分。
個性的なカップに入ったコーヒーが運ばれてきた。
そしておもしろい入れ物に入った砂糖。
味は、炭火のちょっとした苦さが、ほどよかった。

 これだけでも十分だったのだが、普段はあまり食べないケーキを注文した。
最近、自然食に興味があるので、よもぎ入りのシフォンケーキとラズベリーのケーキセット。
イチジクが入ったヨーグルトのようなものも。
実に柑橘農家らしい選択。



 味は、実にむつこくなくあっさりの甘さでおいしい。
うちのデコポンや清見タンゴール、伊予柑、サンフルーツなどもこんなアレンジはできないものだろうか。

 運んできてくれた店のご主人と話を少しすることができた。
「感激です。もちろん飲み物やケーキはこだわりが感じられます。
それ以上に交通の便があまりよくないこの場所にお店を開いたということがすごいですね。」

 するとおもしろい返事が返ってきた。
「店のメニューのよさはもちろんですが、店までの道を楽しんでもらいたいという気持ちがありました。
 便利ではありますが、大きな道路のそばのにぎやかな場所ではなく、
民家をすり抜けるような道を、その季節の自然を楽しみながら。
そんな非日常を感じていただきたいと思っています。

 これは、地元生まれではない私たちだからこそ魅力に感じたことかもしれないですし、
でもそんなふうに感じてもらえるお客様は多いと思います。
 地元の方は、ずっと暮らしてきてこれがあたりまえになり、
そのすばらしさに気づきにくいのではないでしょうか。」


 すごくいい話だった。
そう考えると、私の超田舎のふるさと平礒は、とびっきりのすてきな場所なのかもしれない。
確かに少しずつではあるけれど、そう感じている。

 男の隠れ家 「もにこど2」。
またぜひこっそり来てみたい家だ。

                    岬人(はなんちゅう)













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ふるさとのお彼岸

2015-09-19 | ブログ
 夕闇が近づくにつれ、鈴虫やコオロギなどの虫たちの声が、あたりに鳴り響き、秋の深まりを肌で感じます。
 
 連休最後の9月23日は、秋分の日で秋のお彼岸の中日。
この日の前後3日間を含めお彼岸なので、家族でお墓参りを予定している。



 『春分と秋分は太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日ですが、
お彼岸にお墓参りに行く風習は、この太陽に関係しています。
 仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を彼岸(ひがん)といい、
その反対側の私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を此岸(しがん)といいます。

 そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、
彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになりました。
西の方角に悟りの世界(彼岸)・極楽浄土があるので、お墓は西の方角に向けて建てられています。



 お彼岸はインドなど他の仏教国にはない日本だけの行事です。
日本では、正月など神道にまつわる行事を行う一方、仏教を説いた釈迦の教えも受け入れてきました。

 また、春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながって、
お彼岸は大切な行事となりました。
                      (all about 暮らしの歳時記より)』




 自分の先祖の数について考えてみます。
父母が2人、祖父母が4人、曾祖父母は8人、その上の4代前は16人、5代前は32人…と倍々で増えてゆき、
10代前は1024人と千人を超え、14代前は1万6384人と1万人を超えてしまいます。
17代前は13万1072人と、10万人を突破、そして20代前になると、なんと104万8576人になるのです。
これを続けてゆくと28代目で1億人を超えます。

 この人たちはすべて自分にとって先祖であり、どこかで1人でも亡くなっていたり、
子どもが生まれなかったとしたら、今の自分は存在していないわけです。
そこには神秘的で奇跡的な命のリレーがあったのです。
そしてこれから将来さらに生まれるであろう子どもや孫へと続いていかなければならないと思うのです。

 このように先祖や未来について、我が子と話し合うことがあります。
 お墓の前に立ち、先祖に対して手を合わせる。
私や子どもたちが顔を知っているのは、私の祖母、ミチエだけですが、
その他多くの先祖がおられたから今の自分がここにいます。
  



 写真は、我が家に集まった女子会。
この子たちの未来もずっと続いていきますように

 お墓参りは、あわただしい日常を心おだやかにふり返ることができる時間となっています。

                           岬人(はなんちゅう)
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バリバリ言わない整体さんからの教え

2015-09-19 | ブログ
 首や背中、肩の痛みが出て、もう3週間になる。
特に9月に入ってからの痛みは普通ではなかった。
夜早く寝て、治そうと思うが、痛みで寝つかれない。
せっかく寝ついても夜中に目が覚めてしまう。
 ようやく1週間前から夜中に目が覚めなくはなった。

 初めて経験するこんな苦痛。
いろいろな治療院を、藁をもつかむ思いで訪ねて治療してもらった。
今は、八幡浜市の「バリバリいわない整体」に通っている。

 そこの木下さんの話が実にいい。
患者の痛みに寄りそってもらうようなおおらかさと、的確な指摘。

「これだけ痛むまで我慢できたのは、強い筋肉と骨格と我慢強さです。
夏の疲れだけではなく、それ以前の疲れもたまって出てきたと考えられます。
出てきた痛みの場所が首や背中・肩だということです。
このままにしていたらもっとたいへんなことになっていたかもしれません。
 よかったんですよ。
自分をふり返るきっかけになって。
 今後の考え方が変わってきますから、健康を大切にしたさらにいい仕事や生き方ができると思いますよ。」


 自分の体、本当よくがんばってくれているんだな、と思う。
大切にしながら、これからもがんばってもらわなければ。

 完治までもう少し。

               岬人(はなんちゅう)
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首と肩の痛み

2015-09-08 | ブログ
 8月下旬から首と肩の痛みがひどい。

 バレーボールを打ちすぎると、今までもよく同じ症状があったが、
今回はその痛みがいっこうにひかない。

 9月に入り、その痛みはますますひどくなり、
夕ご飯も十分にとれず、ひたすらベッドに横になる毎日。

 ところが横になっていてもその痛みでなかなか寝つけず、
寝ていても痛みで目が覚める日も続いた。

 保内の接骨院に連続で通ったが、いっこうによくならない。
そこで昨日は、伊方の接骨院に行ってみた。
するとようやく、回復のきざしがみえてきて、久しぶりにブログを書いている。

 どうやら体の手入れがとても大切な年齢にきているのかもしれない。


               岬人(はなんちゅう)
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喜久家のゆかいな仲間たち

2015-08-24 | ブログ
 ただ今、平礒の喜久家には、3人の若者のボランティアがいる。
ロシア、カザン出身のアザト、初めてのベトナム出身のミン、そして先日合流したフランス、パリ郊外のソフィアン。
3人とも23歳の同い歳。
イケメン。

 

 父と母が、暑い中よく働いてくれる3人に夕食をごちそう。
涼しくなった母家の縁側で、一席もうけられた。

 日本が初めてのパリのソフィアン。
ジャパンエキスポでアルバイトをしたことがあるほど、日本好き。
特にマンガ、アニメに興味があるようだ。

 ムスリムということもあり、生活に凛としたけじめがある。
1日5回の礼拝。 酒・肉には、手をつけない。
鍛えられた体は、彼のまじめさをあらわしている。

 初のベトナム出身のミン。
日本語もずいぶんと上手になってきた。
そして、表情が明るくなり、よく笑う。
彼がいるだけで、その場が和む。
 
 敬虔な仏教徒。
毎日、自分を見つめるために座禅をするようだ。

 そして、ロシアのアザトは、かなりの日本通。
歴史的なことも、さらに精神的なことについても理解を示す。
3人の中で、1番日本語がわかるので、通訳としての働きもしてくれている。

 この田舎である平礒をとても気に入ってくれていて、
今月29日に出発することになっているが、また必ず帰って来たいと言ってくれる。
「喜久家プロジェクトという取組はとてもいい。」
と絶賛。

 日本の小さな人口50人の郷で、
 ロシア、フランス、ベトナムの同じ年齢の若者が集い、
自分や自分の国を見つめなおし、未来について語り合う。
 そんな彼らといっしょにいるだけで、わくわくする。

 地域づくりのポイント。
若者・ばか者・よそ者。


 一生忘れることがない3人の若者たちだ。

 
           岬人(はなんちゅう)



 
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四国最西端の佐田岬灯台

2015-08-24 | ブログ
 22日(土)、久しぶりに佐田岬灯台に行ってみた。
昔は、夏に必ず訪れたものだ。

 位置的に様々な言い方がされる。
例えば、「四国最西端」。

 それも間違いではない。
でも九州から見ると、目と鼻の先にある。
四国の玄関口とも言える。

 目線を変えてみると、ちがった思いと楽しみが生まれてくる。
そう、九州とのつながり、交流をもっと探してみることもおもしろいだろう。

 佐田岬灯台に着いた頃には、太陽が西方の九州に沈み、
オレンジ色の夕暮れとなっていた。



 それからしばらくすると、灯台の灯りがついた。
海の安全を見守る灯り、暗闇の希望の光、将来を照らす灯り。
1918年(大正7年)4月1日に初点灯。

 

 未来に残したいふるさとの風景。

         岬人(はなんちゅう)
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平成27年 第70回愛媛県戦没者追悼式での献花

2015-08-20 | ブログ
 8月15日、70回目の終戦記念日。
初めて愛媛県戦没者追悼式に出席した。



 終戦から70年が経過し、戦後生まれが8割超となった。
戦争体験者も高齢化し、70代の人でさえ、その記憶が薄い。

 記憶が薄かったり、記憶に残っていない戦没者への思いをどのように引き継いでいくのか、
戸惑いもみられるようだ。

 今年76歳になる私の父でさえ、戦争で亡くなった自分の父の記憶はほとんどない。
それでも母や周りの人たちからの話で、父の姿を感じることができる。

 そんな父から7月に入って話があった。
「遺族も高齢化し、孫やひ孫の若年世代の遺族も追悼式に参加してもらおうとする流れになっている。
参加してくれんか?」

 もちろん、断る理由など全くない。
 参列の申し込みをしてすぐに、愛媛県の事務局から電話があり、
代表献花をお願いできないかとのこと。
 さすがこれには、とまどってしまったが、謹んで引き受けることにした。


 9時30分ころ、松山市のひめ銀ホールに到着し、
いっしょに献花するひ孫の小学生と中学生とご対面。
 担当者から説明を受け、リハーサルをした。

 周りを見わたすと、かなり人が入っている。
2000人との発表があった。



 隣の2人は緊張気味。
ひいおじいちゃんの話などを聞いているうちに、少しずつ笑顔が見られるようになった。
そして、一番かっこよく、思いをこめて献花しようと気持ちをそろえ、本番を待った。

 10時30分、知り合いの大澤アナウンサーの司会により、愛媛県戦没者追悼式が始まった。
 君が代斉唱、黙とう、県知事の式辞、追悼の辞(県議会議長、遺族代表)、追悼電報の披露、
そして献花が始まった。

 「若年世代遺族代表 殿」
 私たち3人は、起立し、会場の参列者に向かい深々と礼をし、菊の花束を受けとった。
その後、中央祭壇の前に立ち、心をこめて、献花を行った。
隣の2人も落ち着いた様子。
本当にすばらしかった。


 
                                  「献花する孫の私(一番奥)」
 式典が終わり、ほっとひと息。
記念にそろって写真を撮ってもらった。


                                 
 日中戦争以降の県内の戦没者は、戦地で負傷し帰国後に死亡した人も含めて、
軍人・軍属が、4万4562人。
空襲で亡くなった人は、1251人。

 私の祖父の悲しい物語。
亡くなった方の数だけ、悲しい物語がある。

 この悲しみをくり返さないことが、私たちに引きつがれた最も大切なこと。



              岬人(はなんちゅう)

 
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自然てんこ森 ~大野ヶ原自然探検~ 子どもと自然をつなぐ地域プラットフォーム形成支援事業

2015-08-19 | ブログ
 昨日、8月18日(火)、伊方町の小学生5・6年生たち32名といっしょに愛媛県西予市大野ヶ原に行った。

 このイベントのネーミングがいい。
「自然てんこ森 ~大野ヶ原自然探検~」

 久しぶりの大野ヶ原。
下界では味わえない涼しさ。

 いざ、ブナの原生林へ。
子どもたちのほとんどは、生きた牛を見たことがないので、興奮気味。



 ブナの林は、まるで緑のエアコン。
ここでしか見られない貴重な草花、樹木、昆虫、鳥を興味深く見つめる。

 まさに、センス・オブ・ワンダー。




 ちょっとした探検気分。


 ブナの森は、命を育む母なる森。
そしてその壮大な美しい姿から、森の女王とも呼ばれる。



 漢字で書くと「橅」。
 このブナは、建築資材としては狂いが大きく、腐りやすいため、
役に立つものは何も無いとして、この字が書かれている。

 でも実際は、たくさんの雨水や雪解け水を蓄え、緑のダムとしてとても貴重。
しかも木の実は、栄養価が高く、多くの動物たちの命を支える母なる木。

 ブナの林に風が通り抜ける時、ブーンとう音がすることから、
ブーンとなる木、ブナの木とされたとも言われている。


 
 この日、楽しく、興味深く自然ガイドをしてくれたのは、
八幡浜市の「どんぐりドンさん」



 
 子どもと自然をつなぐ地域プラットフォーム形成支援事業とは、
様々な自然体験活動をスムーズに実施できる「地域プラットフォーム」をつくり、
地域での持続可能な体験活動をしていくためのしくみづくりをめざしている。

 こんな体験をすることで、地域の自然をより深く理解し、地域が大好きな子どもを育てることが大切。

 秋には、ふるさと佐田岬を舞台に、楽しい自然体験活動が実施される予定。

 自然てんこ森、最高。


               岬人(はなんちゅう)
 
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