喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

石垣のある風景

2016-08-30 | 佐田岬の風景
 一昨日、夏の終わりに我が家の前の小道を掃き掃除した。

かつて多くの人が浜へと行き来した道。



 独特の平たい石垣が積み上げられ、続いている。

 この石垣をついた人たちのことを想像してみる。

それがまたおもしろい。

 ふるさと平礒の石垣のある風景。

未来に残したいふるさとの風景だ。


         岬人(はなんちゅう)

ふるさと佐田岬で暮らしたい人の想い

2016-08-28 | ふるさと
 8月に入ったある日。
喜久家ブログに見知らぬ人から、1通のコメントが入った。

 内容を読んでみると、私と同じ佐田岬(伊方町)の生まれだとわかった。
今は、別なまちで暮らしていて、ふるさと佐田岬で暮らすことを強く希望している。

 いつでも帰って暮らせると思っていたが、現実はそうではなかった。
心にぽっかりと穴が開いたような。
そんな時に、ふるさと佐田岬の様子を綴っているこの喜久家ブログを開いたとのこと。



楽しく読ませてもらいました。 (カイジ)
 初めまして。たまたまブログを拝見したカイジと言うものです!
私も佐田岬出身でして、現在は今治に住んでおります。
 昨日の朝一で今治から実家のある旧瀬戸町まで2時間30分程かけて帰省し、
一泊して今日の夕方に今治に戻ってきました。



 佐田岬は本当に自然豊かで素晴らしい所だと改めて感じました。
 昨日は実家の近くの海で、海水浴を楽しみましたが、
水中メガネをして海の中を漂うだけで多種多用な魚や海藻が目を楽しませてくれます。

 私が小学生、中学生だった15年くらい前のことを思い出しました。
 夏休みはほぼ毎日こうして海で泳いでいたなぁと。
今も昔も変わらない海の美しさに感動してしまいました。



 それと同時に少し寂しい気持ちもありました。
今の自分が昔とは変わってしまったということです。
 今では私も結婚し、父親になり、2人の子供がおります。
 
 妻も佐田岬出身で、結婚した当初はいつかは佐田岬に帰りたいなどと漠然と考えておりました。
私は早期に佐田岬に戻り、子育ても含めて佐田岬で生活したいと思っていましたが、
 妻は今治で子育てして、子供たちの手が離れてから会社を退職してから戻れば良いという考えです。
今も時々妻と話しますが、おそらく妻の思いは変わらないでしょう。

 上の子供は来年小学生になるのでその前に佐田岬に戻って生活を築くという私の夢は幻となってしまいそうで、
心にポッカリ穴が空いた様な感じです。


 私にとって佐田岬での暮らしは、自分が望めばいつでもできると思っていたのに、
実はそうではありませんでした。
 正確には自分が佐田岬での生活を実現するための熱意や行動が足りず、
いつの間にか妻や子供は今治での生活を選びつつあるということだと思います。

 私にとっての佐田岬は近くて遠い楽園になりつつあります。
 そんな心の隙間を埋めるべくスマホで佐田岬について調べていた所、
このブログを見つけ、現在コメントを書いております。
これからも佐田岬の情報を発信し続けて下さい。
私の様に故郷である佐田岬を離れて暮らす者には希望でもあります。

 私もまだ諦めた訳ではありません。
出来る限り早く佐田岬に戻り、心豊かな生活を手にするその日まで私の人生劇場は幕開けとは行きません。


 最初のコメントでかなりの長文失礼しました。」



 カイジさんの想いに感動した。
私は今あたりまえのようにふるさと佐田岬で暮らしている。
それがどれほど幸せなことか、改めて気づかせてくれる。
幸せと感じるから幸せなんだ。


田舎暮らしはいい

2016-08-27 | ふるさと
 4年前になる。
 京都や松山に住む友人から
「ふるさとで暮らせるあなたがうらやましい。」
ということを言われた。



 そのことについて、尊敬する若松進一さんから次のようなメッセージをいただいた。

田舎暮らしはいい (shin-1さんの日記)

「私は田舎の暮らしが大好きです。
私は20世紀に生まれ20世紀を生きてきました。

 20世紀は、田舎がネオン輝く都会に憧れる時代だったのです。
しかし21世紀は確実に都会が田舎に憧れる時代となりました。
美味い水、うまい空気、美味い食べ物、温かい人情や家族の絆、これ以上何の不足があるでしょう。

 田舎に暮らして田舎がつまらないと嘆く人は、田舎のよさを知らない人です。
 都会で月給50万円貰うより、たとえ田舎で月給10万円でも、
9万円で暮らす術を覚えれば、1万円の黒字となるのです。
9万円のつつましい暮らしでも田舎は実に楽しいものです。

 私は昨年から息子家族と同居を始めました。毎日孫からパワーを貰ってとても楽しいです。
私は親として長男に長男が家を継ぐことが当たり前という教育をしてきました。
だから息子も当たり前を選んでくれたのです。

 祖祖父母から祖父母へ、祖父母から父母へ、父母から夫婦へ、夫婦から息子夫婦へ、
連綿と続けることこそ、日本の美しき家族形態であることを、もう一度確認することが求められる時代に来たようです。

 生まれた所で死ねる幸せを日々感じています。
            
                人間牧場主 若松進一」




 さあ、右いっぱいに振られた振り子が、
左へと振り変わる時代がやって来た。

 幸せは、自分の心が感じるもの。

        岬人(はなんちゅう)

2016(H28) 夏物語 後半 ~ふるさと佐田岬からつながる~

2016-08-24 | 感動
 今年(H28)の夏も色々なことがあった。
お盆からの後半をふり返ってみる。

 8月14日(日) 「東京へ行く」
 靖国神社参拝(父、息子、娘たちと)

 佐田岬のポロシャツを着て歩く息子と父

 隅田川と東京スカイツリー


 8月15日(月) 「全国戦没者追悼式に参列」
 祖父を気遣う孫娘 日本武道館前で

 天皇・皇后両陛下による献花

 父・私・息子・娘たち、三世代で参列

 愛媛県団の遺族の方と


 8月16日(火) 「祖母の13回忌」








 祖母の二人の子ども(父と叔母)


 8月17(水)・18(木) 「人権・同和教育夏季研修会 in菊間」

 地域のみなさんが整備した海岸


 8月19日(金) 「帰省した幼なじみとの語らい」


 8月20日(土) 「感動の藤岡弘のトークショー」




 8月20日(土) 「わが家ライブ in二名津」

 Brand New skip のすばらしい歌声

 多くの観客

 地元、増田さんたちによる演奏

 軽トラ市も初参加 「ままに」
 
 大忙しの屋台 (息子、妻、娘たちもお手伝い)



 盛り上がる地元の客さん

 流木アート(広と美奈ちゃんの制作)




 ふり返ると、実に色々な出来事があった。
そして多くの人との交流。

 新たな出会いと感動、地元や親せきの人との絆。
ここふるさと佐田岬にいるからこそ、めぐり合ったもの。

 人生が豊かになる。

 つながってきた先祖の歴史の上に自分が立っている。
友や地域の人とのつながりの中に自分が立っている。
 まるでたて糸と横糸の紡ぎにいるように。

 誰かの喜びのために自分を生かしていきたい。


そう思った今年の夏。

             岬人(はなんちゅう)

2016(H28) 夏物語 前半 ~ふるさと佐田岬からつながる~

2016-08-24 | 感動
 今年(H28)の夏も色々なことがあった。
お盆までの前半をふり返ってみる。

 7月16日(土) 「第72回国体リハーサル大会」

 佐伯美香バレーボール教室


 7月28(木)・29(金) 「特攻隊員の生きざま 鹿児島の旅」
 旧鹿屋海軍特攻基地資料館

 ゼロ戦(映画永遠のゼロのロケ地)

 旧知覧陸軍特攻基地資料館


 7月30日(土) 「アメリカコロラド州派遣団同窓会 in松山」

 8月3日(水) 「佐田岬見て歩き」




 8月6(土)・7(日) 「岡山シーガルズバレーボール教室」




 8月12日(金) 「松山懇親会」
 三津浜の田中戸かき氷

 なつかしい友との再会

 代官町別邸 橙




 8月13日(土) 「三崎高校リオオリンピック同窓会」





 以上、お盆までの前半。
様々な交流があった。

               岬人(はなんちゅう)

幼なじみの帰省

2016-08-20 | 感動
 毎日、色々なことがある。
昨日ようやく落ち着いた。

 そこで夕方、幼なじみのマー君が帰省しているので一杯飲むことになった。
マー君は、釜木小学校からのつきあい。
同級生は私と二人だけ。

 二名津中、三崎高校も同じ。
大学こそ違ったが、私は福岡へ、マー君は鹿児島へ行った。
就職してからもつきあいは続き、最も心許せる親友。

 釜木へ迎えに行き、平礒の我が家へと車を走らせる。
途中、倒木が道路をふさいでいた。
マー君は、「俺がのけちくるけん。」
と言ってさっさと撤去した。


 大阪の都会に暮らしていても田舎の流儀は身に染みついているようだ。

 我が家に着くと、弟の部屋へあいさつに行った。
お互いに懐かしい再会。
 マー君の父が釣ったハマチを土産に持ってきていたので、早速料理人の弟にさばいてもらった。
その手さばきにマー君も驚き、あっという間に刺身と焼き魚、夏野菜とハマチしゃぶしゃぶができあがった。




 そのうち息子が帰って来て、親しく話をし始めた。
息子はマー君が大好きで、特にモデルガンの話になるとお互いに興奮気味。
 マー君は息子が生まれてずっと誕生日にはプレゼントを贈ってくれ、
我が子のようにかわいがってくれている。




 様々なビールと魚料理。
そして携帯用ラクレットヒーターでじゃこ天とチーズを焼く。
 あわせて、先日買っていた勝沼酒造のアルガブランカ・クラレーゼ(白ワイン)の栓を抜く。
和食との相性もいいのが特徴。


 飲むほどに酔うほどに話は盛り上がる。


 そして次に、ゆでだこを持って父が部屋に上がってきた。
マー君と話がしたかったようだ。
 先日の全国戦没者追悼式や先祖供養について話が盛り上がっていた。
いつもはほとんどアルコールを飲まない父が、ほろ酔い加減。
いいお酒だ。


 最後に妻と娘たちも帰って来て、華やかになった。


 何ていい時間だろう。
40年以上のつきあい。
しかも家族みんなとのつながり。

 ふるさとを出て暮らしている人は、たまにふるさとを思い出しながら暮らしていることだろう。
どこに住んでいても、いつもふるさとを大切に思ってくれている。
 なつかしいふるさとに帰ったときは、少し年老いた両親と変わらない親友そしてその家族が喜んでくれる。
 
 そんなすてきなふるさとをこれからも残していきたい。

       岬人(はなんちゅう)






親子三代そろって、全国戦没者追悼式へ参列

2016-08-11 | 感動
 8月15日(月)は、全国戦没者追悼式。
毎年正午にサイレンが鳴り、黙祷を捧げる。
 私の祖父金太郎は、太平洋戦争で亡くなった。

 今年はいつもの終戦の日とは違ったものとなりそうだ。
愛媛県遺族代表として、親子三代そろって日本武道館で行われる全国戦没者追悼式に参列する。
私の父、私、19歳の息子、そして何と高校1年の双子の娘たちも。



 親子三代で亡くなった祖父のことを思い出すいい機会。
靖国神社の参拝、そして追悼式。

 祖父が生きたかった今を、私たちは生きている。

        岬人(はなんちゅう)

 

佐田岬の夏の朝

2016-08-11 | 佐田岬の風景
 昨夜飲み会があり、車を釜木口に置いていたので取りに行った。
その帰りに何枚か写真を撮った。

 まず釜木の船瀬の上から、朝日に反射する海。
 

 ハルサキの緑のトンネル。


 猪の獣道


 平礒の集落

 もうすぐお盆。
ふるさとをなつかしみ、多くの人が帰って来る。
その人たちには、久しぶりのふるさとはどのように映るのだろう。

           岬人(はなんちゅう)

 

文部科学省日米国民交流・若手教員のアメリカ派遣物語の続き5 ~愛媛同窓会の参加者の思い~

2016-08-11 | 感動
 13年前の平成15年度文部科学省日米国民交流・若手教員としてアメリカ派遣された。
派遣先は、ロッキー山脈ふもとのコロラド州。
州都デンバーやフォートコリンズで10名の仲間とともに2カ月以上過ごした。
7月30日、その仲間との同窓会を松山で開き、再会を喜んだ。

 この再会はそれぞれにとって、思い出深いものとなり、
これからの生活の元気につながっていくものとなった。


 「松山国際ホテルの部屋で、当時のように気兼ねなく飲み、語り合った」

 後日、うれしいメールが届いた。
記録しておきたい。
 
 無事、北九州に帰ったよ❗️ 何から何まで、心からのおもてなし、本当にありがとう😃
次回も楽しみだね‼️ (春野)


 うれしい再会 (かめ)
2016-08-01 22:43:41
 "再会には力がいる"確かにその通り!それでも会いたい仲間。
まさにそんな仲間との再会とってもうれしかった。
 何もできない自分だけど、そうやって力を出してくれる仲間。
自分も少しでも力になりたいそんな仲間。とっても幸せに感じる。


 これからも宜しく😉👍🎶 (因ちゃん)
2016-08-02 12:50:33
 サムさん、そして春さん、亀さん、三瀬ちゃん、
先日はとても楽しい時間をすごすことができて、みなさんに感謝してます。
今後も、今回参加できなかった仲間も交えて楽しく行きましょう🎵 
次はいつにする?🍺 


 城 (因ちゃん)
2016-08-04 10:25:43
 シンボルとして城は大切ですね。
学生時代に過ごした熊本のシンボル熊本城、先日見てきましたが無惨でした。
今回の同窓会で、私にとって松山城は思いでの1つになりました。
またみんなで行きましょう。


 感激 (ルカ)
2016-08-10 23:01:04
 恩師の言葉に、「感激なき人生は空虚也」という言葉があります。
コロラドの日々よりも、感激の毎日に溢れて、豊かに生きられるよう、頑張れそうな気がしました❗️
皆さん、ありがとう❗️コロラド団、最高❗️また会えるよねー。
 来られなかったみんなにも、乾杯❗️
只今、麦とホップゴールドです❗️では、また。


(春野) ブログ、全て読んだよ!再会の感動がよみがえってくるね(^-^)


 心には (因ちゃん)
2016-08-11 00:03:01
 サムさん、素敵なブログありがとう。
2013年以降、私のこころにはいつもコロラドと仲間たちの笑顔があります。
久々の再会でしたが、改めてみんなとの友情を確認できました。
 お別れの時、すごく寂しくなりますが、
これからも会えることを確信してますので、次の再会を楽しみに帰路につきました。
 アメリカ派遣が終わったあの日、成田でのお別れをしましたが、
次の日出勤すると、学校の机上に三瀬ちゃんからの心のこもったエアメールがあり胸が熱くなったことをおぼえてます。
 心の繋がりをこれからも大事にしていこう。 
   

 岬の田舎から全国各地の友とつながっている。
そして世界各地の人とも。
 出逢いは、感動。
 つながりは、宝物。 

           岬人(はなんちゅう)

文部科学省日米国民交流・若手教員のアメリカ派遣物語の続き4 ~ふるさと佐田岬の案内~

2016-08-10 | 感動
 13年前の平成15年度文部科学省日米国民交流・若手教員としてアメリカ派遣された。
派遣先は、ロッキー山脈ふもとのコロラド州。
州都デンバーやフォートコリンズで10名の仲間とともに2カ月以上過ごした。
 7月30日、その仲間との同窓会を松山で開いた翌日。
松山国際ホテルでゆっくりとした朝食をとり、最後の時間を楽しんだ。

 少しでも愛媛の良い所を感じてもらいたいということで、道後を少し散策。
道後温泉本館を車中から観て、山の手マリアージュガーデンへ。
ここは私がゆっくりとしたいときによく足を運ぶ癒しのスペース。


 3人もこの空間を気に入ったみたいだ。




 静岡出身の亀ちゃんをJR松山駅に送る。
「またねー」
これがいつものあいさつだ。
それでもやはり寂しさ感じたのは私だけではないだろう。

 亀ちゃんがブログに次のようなコメントを書いてくれた。
「"再会には力がいる"確かにその通り!
それでも会いたい仲間。まさにそんな仲間との再会とってもうれしかった。
 何もできない自分だけど、そうやって力を出してくれる仲間。
自分も少しでも力になりたいそんな仲間。
とっても幸せに感じる。」


 感激する。
だからさらに大切に思える。

 亀ちゃんを見送った後、車を佐田岬に走らせた。
伊方中学校グランド等で行われていた「きなはいや伊方まつり」をのぞく。
 体育館では生活向上グループの女性たちが、地元食材を使った手作り料理をふるまっていた。
知り合いから「ここ、ここ。おいでおいで。」
と言われるがまま進むと昼食になるくらいの料理をいただいた。

 春ちゃんや因ちゃんが、
「こんな祭りがいいな。地域を大切にしている感じがすごく伝わる。」
そんなうれしい言葉を言ってくれた。
地元の私には感じられなかったことだった。

 伊方といえば、お酒を造る杜氏で有名。
お楽しみの試飲コーナーもあり、私は冷たい甘酒をいただいた。
因ちゃんは、少しずつ多くのお酒を味見していた。
ほろ酔いかげん。


 車は、メロディーラインという佐田岬半島の尾根を走る国道を西に向かう。
道の駅で土産を買い、尾根からの景色を観るために屋上に上る。
 屋上のドアを開けたとたん、目に飛び込んでくる大パノラマ。


 右手に瀬戸内海、左手に宇和海(太平洋)。
因ちゃんは、興味ある伊方原発を撮影。


 この景色に2人とも感激の様子。


 さらに尾根を進み、途中国道を尾根に上がり、権現山へ。
見下ろすのは、三机。
太平洋戦争で特殊潜航艇による真珠湾攻撃の訓練が行われた場所。


 さらに寄り道し、佐田岬リゾートに住む知り合いの大利さん宅へ。
1,000坪の庭を自由に開放し、誰でも散策できるようになっている。
家族ずれの先客がいたが、いつものようにおもてなしをしていただいた。


 この自然いっぱいの暮らしに、春ちゃんは感動していた。








 「大利さん、また必ず来ます。」
と約束までした因ちゃんのために、宿泊施設の瀬戸アグリトピアのコテージを紹介。
最高の見晴らしだ。


 そしていよいよ最後は私の実家、平礒へ。
車を止めるとちょうど父がいて紹介。


 自称、石垣の郷と呼ぶ集落を少しだけ案内した。
さまざまな石垣がきれいに積み上げられた独特の景観に二人は興味津々。


 かけ足ながら二人にはポイントを紹介した。
二人の口から
「すばらしい豊かな自然。そしてそれ以上にここに住むすばらしい人たち。
サムさんがそんな性格になるのがわかる。」
 そんな言葉に、この上ない喜びを感じた。
ならばもっと多くの人に、じっくりとふるさと佐田岬を感じてほしい。
そして心豊かに、体元気になってほしい。
そんな場所として、佐田岬は大切なところなのかもしれない。


 愛媛の旅の終点は、大分市佐賀関行きの三崎フェリー乗り場。
おもてなしをするつもりが、二人からいろいろな気づきと元気をもらった。
フェリーに乗り込む後ろ姿を見送りながら、この思縁をずっと大切にしていきたいと思った。


「じゃあ、またねー。」
寂しい思いのなかに、次の再会の楽しみがわき起こる。

            岬人(はなんちゅう)

 


 






  

文部科学省日米国民交流・若手教員のアメリカ派遣物語の続き3 ~コロラド団同窓会の参加者勢ぞろい~

2016-08-09 | 感動
 13年前の平成15年度文部科学省日米国民交流・若手教員としてアメリカ派遣された。
派遣先は、ロッキー山脈ふもとのコロラド州。
州都デンバーやフォートコリンズで10名の仲間とともに2カ月以上過ごした。

 その仲間との同窓会を松山で開くことになった。
静岡出身の亀さん、福岡出身の春さん、因さんと感動の再会を果たし、
1次会の会場「代官山別邸 橙」ではすでに宴が始まった。
後はもう一人の参加者、三瀬さんの到着を待つのみ。

 20分ほどしたころ電話が鳴った。
三瀬ちゃんからだ。
すぐに階段をかけあがり、迎えに行く。

 するとそこに若返ったような三瀬ちゃんが立っていた。
「お久しぶりー、11年ぶりかな。」
思わず手が出て握手。
「さあ、みんな下でお待ちかねよ。」

 階下へ案内し、一番奥の個室へ。
そしてついに。
「お久しぶりー。」
再会の感動。
テーブルの上を互いの握手の手が交差する。
「じゃあ、乾杯しよう。コロラド団の再会を祝してかんぱーい。」

 それから後は近況報告などで盛り上がった。
三瀬ちゃんは、仕事の都合で大好きなビールも飲めず、ソフトドリンクで我慢。

 さっと1次会を済ませ、2次会会場の松山国際ホテルの部屋へ。
途中酒屋によってアルコールを調達。
もちろんよく飲んだジャックダニエルはかかせない。
持ってきたじゃこてんをラクレットグリルで焼き味わた。
 こんな飲み会もいい。
アメリカではいつも誰かの部屋で飲んだものだ。
一番のつまみは、当時の写真。
持ってきたパソコンで当時の写真をスライドショーでなつかしんだ。

 1枚1枚の写真に思い出がつまっている。
1か月は、ボウルダーとフォートコリンズに分かれたので、お互い知らない思い出話にも大いに盛り上がった。
 まるで平成15年のあの時の再現のように笑い声に包まれた。
日本から遠く離れたアメリカ、コロラドの地で、時間を惜しんで楽しもうとした。

 今回は参加できなかったが、山形の今ちゃん、宮城の浦ちゃん、鳥取の八ちゃん、京都のヒロちゃん、
そして鹿児島の純ちゃんとも必ず再会したい。



 楽しい時間は、あっという間に過ぎていくもの。
記念写真の撮影。


 一生つきあっていきたい大切な仲間。

 22時頃、三瀬ちゃんが四国中央市まで帰るので、みんなで見送りに下がった。
「また会おうなー」
涙こそなかったが、寂しさと再会の感動が混じったような感じ。

 後日、三瀬ちゃんからメールが届いた。
「私、実はこの前本当に会えてよかったんです。みんなに。
ちょっとコロラド感が戻って。
また新たな気持ちで頑張ろう、というか、
人生楽しもうって、ネジ巻かれたんです。
また次会えるのを楽しみにしています。」


 いかにも三瀬ちゃんらしい思い。
そう思わせたみんなのすごさ。

 人のつきあいに地縁、血縁というものがある。
それを考えると私たちの縁は、何という縁になるのだろうか。
 つきあった長さは短くとも、なかみの濃い時間だった。
日本全国にちらばっているが、心の距離は近い。
「思縁」とでも言っておこう。

 こんな縁をつなげながら人生を豊かに生きていきたい。


         岬人(はなんちゅう)
 

岡山シーガルズ交流戦 in 伊方 ~岬には夢がある~

2016-08-07 | 地域づくり
8月7日(日)、昨日に引き続き伊方スポーツセンターでは、岡山シーガルズの交流戦が行われた。
まずは、四国クラブチャンピョンの「クラブ愛媛」との交流戦。
 

クラブ愛媛は、声がしっかり出ていて勢いがある。
中盤までリード。
後半、たたみかけてくるシーガルズの勢いに逆転されてしまったが大健闘。


 続いて岡山シーガルズの紅白戦。
柔らかくスピードのあるプレーに会場がわいた。
日本屈指のリベロである丸山選手のスーパーレシーブ。


 そして途中から地元伊方町や八幡浜市の中学生が混じってプレーさせてもらった。
伊方中学校からは、キャプテンがセッターとして参加。


 55番の泉選手が名前で呼んでくれて、いろいろな声をかけてくれる。
すばらしい気配り。


 それにこたえて、いいトスもあがった。


 ゲームセットで整列。
 全日本選抜に選ばれた選手たちと、そしてこれから将来選ばれるであろう選手たちと一緒にバレーをしたことは、
大きな喜びであり、力になっていくだろう。


 お待ちかねのサイン会。
先ほどお世話になった55番泉選手にサインをもらいに行ったキャプテン。
楽しい会話もあったようだ。


 リベロ丸山選手には、長蛇の列ができた。
3年前初めて会った時とは大きな変化。
 にこやかな笑顔でサインされていた。


 そして何と河本監督からサインをいただいた伊方中学校の生徒もいた。
「自らの時を越えて」
という言葉を説明していただき、激励されていた。


 子どもたちに夢の種をまいてもらった2日間。
いただいたサインがそれぞれの家に飾られることだろう。
 夢を届けられるって本当、すばらしい。


 最後は、伊方中学校前でお見送り。
窓を開け、手を振ってくれ、最後まで夢を届けてもらった選手や監督他スタッフのみなさんに心から感謝したい。


 四国最西端の小さな田舎町、伊方町が輝きと喜びに包まれた2日間だった。
自ら創りだす夢。
人と人との交流によってわき起こる夢。
いずれにしても明日が楽しみになる。
 岬には夢がある。


          岬人(はなんちゅう)

 

 

岡山シーガルズバレーボール教室 in 伊方

2016-08-06 | 地域づくり
 毎年恒例の岡山シーガルズバレーボール教室が伊方町スポーツセンターで開かれた。
来年国体で成年女子バレーボール会場となるため、その雰囲気を高めるために数年前から行われている。

 現在、オリンピックのため全日本入りしている山口選手と宮下選手は来られていないが、
その他は河本監督、コーチ、事務局などオールスタッフが勢ぞろい。

 午後2時から夕方5時まで熱心に指導してもらった。


 伊方中学校はレシーブのレベルアップを図りたいところ。
全日本入りしていたリベロの丸山選手が指導。
みんな熱心に聞いている。


 河本監督のボールをレシーブする、日本屈指のリベロ丸山選手。


 続いてチームリーダー吉田選手のフォーメーション練習の指導。
熱が入る。


 子どもたちの目がキラキラと輝いていた。
 3時間におよんだバレーボール教室。
代表して伊方中バレー部のキャプテンがお礼のあいさつをした。




 佐田岬の田舎の子どもたちにとって夢のような時間だった。
夢の種がまかれ、育まれ、実っていく。
 
 岬には夢がある。


         岬人(はなんちゅう)