喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

人が来てもらえるような居心地のいい家庭を

2017-01-28 | 田舎暮らし
 人が来てもらえるような居心地のいい家庭をつくりたいと思っている。
風通しのいい、開かれた家庭。

 両親のそんな姿を見て育った。

 お正月にも多くの人が来てくれた。
喜久家ボランティアのフランス出身のルシアン。


 釜木から来てくれた幼なじみのひょうきんなまー君。
平礒のこー君。
 2人は、関西で暮らしている。




 会話が盛り上がる。


 ふるさとに帰って来た時に、様子が聞ける人。
お酒が飲める仲間。

 次に会えるのは、お盆だろうか。
2人にとって、心待ちに思ってもらえればうれしい。

         岬人(はなんちゅう)
 

拝むということ

2017-01-28 | 田舎暮らし
 今日28日は、旧正月。
正月をふり返る。

 大晦日から正月にかけて拝むことが多い。

 我が家にお祀りしている9つの神仏を拝む高校1年の娘たち。





 これが神社であれば、

1:賽銭箱に賽銭を入れる。
 白い紙に包んだ米を「おひねり」として供えていた名残り。
 大事なものを捧げることは私欲があっては出来ないことなので、賽銭を入れることで心の靄を祓うという意味もある。

2:鈴を鳴らす。
 鈴の音によって祓い清め、神を呼ぶ。

3:二拝(2回頭を下げて深くおじぎをする)
 神への敬意を表す。

4:まずは胸の高さで掌を合わせ、右手を少し下にずらして二拍手。
 その後、指先をきちんと合わせて祈りを込めてから手を下ろす。
  掌をずらすのは、神と人とがまだ一体になっていないということ。
 二度手を打つことで神を招き、その後掌を合わせることで神人が一体となり、祈願を込めて神の力を体得するからだといわれている。

5:最後に一拝をして終了。
 もう一度おじぎをすることで神を送る。




 子どもたちには、神仏の意味もふくめ、拝み方までしつけをした。
そして何より子どもたちは、その1番の実践者である祖父の姿を見てきた。
 こうして次の世代へと引き継がれていく。
大切にしたい姿だ。


              岬人(はなんちゅう)

ふるさと平礒の神社をお参りする

2017-01-28 | ふるさと
 大晦日、夕方に年をとった後、神社とお墓・お寺をお参りする。
この時は、女性はせず、男性のみ。
父と私と息子の3人でお参り。

 まずは、神社へ。


 以下が一般的な参拝の仕方。

1:まず、鳥居をくぐる前に衣服を整え、軽く会釈をしてから境内に入る。
 鳥居の向こう側は神の空間。
 参拝はすでにここから始まっている。

2:参道は中央を避け、ゆっくりと歩く。
……中央は神が通るところなので避け、ゆったりとした気持ちになって拝礼するための心の準備をする。

3:手水舎で手水をとり、心身を清めてからご神前に進む。
……ここで俗界の穢れをおとす。

4:軽く会釈をしてから賽銭箱に賽銭を入れ、鈴を鳴らして
「二拝二拍手一拝」の作法で拝礼し、軽く会釈をして退く。


5:帰る際も、来たとき同様に中央を避けて参道を歩き、中に向かって軽く会釈をしてから鳥居を出る。

 
 拝殿で、二拝二拍手一拝。





神様をお迎えし、お祀りする正月

2017-01-28 | 田舎暮らし
 今日は、春節(旧正月)。
正月をふり返る。

 正月は、神さまをお迎えし、お祀りする行事。
田舎のわが家では、そんな文化が色濃く残っている。

 大晦日、家中のすべての神棚に神様の好きなもちなどのお供え物が置かれ、燈明が灯される。

 左が年神様。
正月のみお供えされる。


 座敷の神様。


 お不動様。
正式には不動明王。仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。
大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。
真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。


 恵比須様。


 荒神様。


 庭に祀っている鍾馗(しょうき)様。


 明けて正月。
お供え物は、雑煮になる。
 ただし、仏壇は精進料理なので、魚などのだしをつかって煮たものはお供えされない。








 神棚の向きは、「天子は南面し、臣下は北面す」という故事にあるように、南は君主が向く方角とされている。
また東は太陽が昇る方角で、1日が始まる方角とし「勢いが良い」とされている。
 この事から神棚は南向き・東向きに置くのが一般的とされている。


 田舎暮らしには、このような大切な風習や文化がまだまだ色濃く残されている。

                    岬人(はなんちゅう)

春節(旧正月)

2017-01-28 | ふるさと
 春節とは、中国・台湾など中華圏での旧暦の正月のことを言う。
一年の中で重要な祝日とされており、新暦の正月よりも盛大に祝う。

 日本では旧正月といわれており、明治維新の前までは旧暦を使い旧正月を祝っていたが、
政府が太陰暦を太陽暦に変えてから現在の元旦に正月を迎えるようになったといわれている。

 知り合いにも旧暦で、年賀状を出す人がいる。

 春節・旧正月は毎年日付が異なるが、これは新暦である太陽暦は「太陽を基準とした暦」で、
地球が太陽を周回する日数を換算して出来た暦。
 これに対して、旧暦である太陰暦は「月を基準とした暦」で月の満ち欠けを基準に日数を区切る暦のため、
新暦では1年は365日、旧暦では1年は354日と11日のずれがあります。

 このずれが春節の日付が毎年変動する要因となる。

「正月」とは本来旧暦の1月のことをいい、中華圏などではこの旧暦での正月のことを「春節」と呼ぶため、
日本以外では「旧正月」という言葉は使わないようだ。

 2017年の春節は、今日1月28日。
1月27日(除夕)~2月1日(初五)の6日間が連休になる。

 今年の正月の風景。









 

                              岬人(はなんちゅう)

みかんのある風景

2017-01-28 | 佐田岬の風景
 今日は、小春日和。
春を思わせるような暖かい天気。

 年末もそうだった。
大掃除で、神棚のものを神社に納めに行きながら、写真を撮った。

 わが家の裏の道。
 

 

 お宮への道。
このモノラックで荷物を運ぶ。
 

 

 わが家の倉庫を見上げる。


 白く見えるのは、清見タンゴールにサンテをかけたもの。




 後日、平礒の集落を歩いた。
だんなさまの裏の三差路。
石垣と柑橘。


 あさじりの伊予柑。



 みかんのある風景が大好きだ。
それは、幸せを感じる風景。

 未来に残していきたいふるさとの風景。

                岬人(はなんちゅう)

腐らないミカン

2017-01-28 | 農業
 昨年の大晦日に大掃除をしていたときにすごいものを見つけた。
それは、1年前に正月を迎えるために神棚に飾った柑橘(伊予柑)だった。

 それがこの写真。



 何と腐っていないのだ。
枯れている。

 「奇跡のリンゴ」を栽培し有名な青森県の木村秋則。

 木村秋則さんの奇跡のりんごは腐らない!
 普通に農薬、肥料を使って育てたリンゴと木村秋則さんの無農薬、無肥料で育てたりんごを置いておくと、
木村さんのリンゴは半年経っても腐ることなく、自然に乾燥していく。

 農薬、肥料を使ったりんごは徐々に腐っていく。

 木村秋則さんのリンゴはまさに「奇跡のリンゴ」です!
 農薬に頼らず、肥料にも頼らず自然の力だけで育ったリンゴは、
しっかり土の中に根を張って土から栄養を吸収するそうです。…

 「りんごはね、自ら育つ力を本来持っているのです。
私は、その力を横からそっと支え、応援しているだけです」と木村さんは言う。

 木村秋則さんのリンゴの木の根の長さはどのぐらい長いと思いますか。
なんと50メートルも伸びるらしいです!
「木は、肥料を与えなければどこまでも根を張って栄養分を吸収しようとするのです」と木村さん。


 1年間神棚に置いていたミカンがなぜ腐っていないのかは、よくわからない。
でも木村さんの考えにあてはまるようだったら、すごいことだ。

 「奇跡のミカン」を作ってみたい。

            岬人(はなんちゅう)

 

佐田岬のたくましい精神  ~メンタルが強い~

2017-01-27 | 教育
 お気に入りのブログがある。
それは、「魂を揺さぶる言葉たち」。
 
 私の生き方のテーマの一つでもある、「メンタルを強くする」。



「メンタルが強い人の
 考え方と行動パターンとは!?
 ほんの少し考え方を変えるだけで、誰でもメンタルは強くなる!
  
★ とにかくポジティブ!
 メンタルが強い人は当然のことながら常にポジティブなので、毎日生き生きとしていますよね。
しかし、意外に思われるかもしれませんが最初からメンタルが強い人なんていません。
日々の生活の中で色々と経験を積みながら強くなっていくものなんです。
 だから、もし今以上にメンタルが強い人になりたいのであれば、
忍耐強く日々の生活を通じて色々なことを経験として積み上げていく必要があります。
 
★ メンタルが強いことで得られるメリットとは!?
 一流のアスリートをみればお分かり頂けると思いますが、
メンタルが強い人は新しいことや新しい環境に自ら飛び込んでいきますので、思い通りの人生を描くことができます。
 反対に、メンタルの弱い人は自分に負けてしまうため、コムフォートゾーンから出ることが中々できません。
これにより人生で得られる恩恵の差は明白です。
 
 メンタルに強い人は自由に行動しているように見えるかもしれませんが、
常に熟考してから行動するので場当たり的な行動が少ないため、いつも穏やかに過ごすことができます。




■ 真似したいメンタルが強い人の7つの思考法!
   
1.穏やか  
 どんな状況に置かれても決して情緒不安定になりません。
いつでも冷静な判断ができるように、常に気持ちを平穏にし、頭を明快にしています。


 
2.人のせいにしない
 結果に一喜一憂しません。
例え結果が失敗に終わっても、絶対に人のせいにしません。
 その代わり徹底的に自分と向き合って反省点を見出そうとします。
 このため物事を改善させる能力が非常に優れています。
ですので、例えば大きな問題が起こったとしても周囲の人を巻き込みながら協力して問題解決に向かいます。


 
3.決断力  
 よく何ごとも運次第とは言われていますけど、
出た結果は運命によるものではなく、自分自身の行動から出たものです。
 このため常に自分の信念にしたがって行動するので、誰からもコントロールされることはありません。  


 
4.失敗を学びの場と考える!
 過去を振り返って悩んだり、未来に不安を抱いたりせず、今を懸命に生きようとします。
このため人生に迷いが必然的に少なくなるわけです。
 転んでもただでは起きません。
しかし、失敗しても、すぐに反省して立ち上がります。


 
5.変化を恐れない!
 どんな状況に陥っても柔軟に対応します。
 適応力が高いため「変化」そのものを「新しい挑戦」とし捉えているので、
周囲からすると非常に頼もしい存在です。
 長い人生には何度も変化を迫られます。
上手くいくときもあればいかないときもあります。
 自分は変化に対応できるという自信のうえに行動しなければ必ず失敗します。
「私はできる。」の気持ちです。  
 


6.愚痴や不満をこぼさない
 常に自分の信念に従って行動しているので、不満や不平をいうこともありません。
とにかく毎日前向きに活動しています。
 


7.他人の成功を妬まない
 嫉妬の念は、自分をも滅ぼすほど生きていくうえで不要なものです。
逆に言えば無いものに囲まれていたとなると非常に恐ろしいです。
 メンタルが強い人は、常に他人の成功を祝福することができます。
そして他人の成功夢に描いて自分も頑張るための糧にしようとします。
 他人の素晴らしさに嫉妬したり憤慨したりせず、自ら率先して祝福しています。」




 これって、ふるさと佐田岬(平礒)の人たちの大きな特徴に思える。
または、まちづくりに取り組む人たちの特徴。

 したがって自分にもかなりあてはまっていると思う。
考え方で行動が変わり、そして人生が変わっていく。
 ふるさと佐田岬は、豊かな暮らしができるところだ。

          岬人(はなんちゅう)

食を通してふるさと佐田岬を好きになる

2017-01-26 | 教育
 伊方町の豊かな学校給食を進められている栄養教員の先生から「いかた食育だより」が家庭に配布されました。
伊方町の食育の基本理念は、「食を通して、郷土を好きになる」。
 学校給食でも地産地消を通して、食を支えるふるさと佐田岬半島の自然と伝統を大切にし、
郷土を愛する心を育むことを目指しています。
その取組として、地場産物や郷土料理を学校給食に取り入れていただいています。
25日のメニューは、鯛めし。とてもおいしかったです。  



 1月24日から30日の1週間は「全国学校給食週間」。
 明治22(1889)年、山形県の私立忠愛小学校で日本初の学校給食が行われました。
その後、全国各地で給食が実施されました。
しかし、太平洋戦争で一時中断。

 終戦後の昭和21(1946)年12月24日、アメリカの援助団体ララからの支援物資により再開し、
この日を「学校給食感謝の日」と定めました。
 昭和25(1950)年、学校給食が戦後再出発した意義を考え、
1月24日から30日の1週間を「全国学校給食週間」としました。

 昭和29(1954)年、学校給食法が制定され、学校給食を教育活動のひとつに位置づけられました。
さらに平成17(2005)年、食育基本法が制定され、学校給食も食育推進の中心的な役割を担っています。

 太平洋戦争・日中戦争に負けた日本では、国民の困窮状態はたいへんなもので、餓死者まで出るありまさ。
 「腹を空かせ、病に苦しむ日本の子どもたちを救おう」と死にものぐるいで動きまわったのが、
サンフランシスコ在住(日系人)のジャーナリスト浅野七之助氏。
 浅野氏が中心となって設立した「日本難民救済会」を母体に、多くのアメリカ人もまきこみ、
食料品、日用品等の救援物資が集められ「ララ物資」として日本へ届けられました。

 これにより、戦後昭和21(1946)年、学校給食(コッペパンや脱脂粉乳ミルク)が始まり、
多くの日本人・子どもたちが救われました。


 給食の意義も時代とともに変わってきました。
過去は、貧しい生活からくる栄養不足を解消するために。
そして、現在は、偏りがちな栄養バランスを整えるために。
また、地域の産物を取り入れたり、メニューができるまでに関わる人たちの仕事や思いを知るための学びとなったり。

 伊方町の給食は、おいしいです。
地域でとれた食材と調理に関わる人たちの気持ちがつまっています。


 私が育った旧三崎町(現伊方町)は、愛媛県内でも最後まで給食がない町の一つでした。
したがって、小・中、高校まで全て母が作ってくれた弁当を食べて育ちました。
 隣の友だちのおいしそうなフライ物や肉・ハンバーグのおかず。
それに比べて、私の弁当はふたを開けると、たくあんの臭いがプーンと広がり、おかずは、ちくわやかまぼこ、じゃこてんや塩サバ、いも、だいこんなどが多かったです。
だから何か恥ずかしさを感じながら、さっさと食べたことも多くありました。
 でも大人になった今なら、それがどれだけありがたいものかわかります。
 心にぐっとくる思い出に変わります。




 我が家は、4人兄弟姉妹で、母は毎日4つの弁当を朝食と併せて作ってくれました。
 両親は忙しく農業をしていたので、みかん山に弁当を持って行くこともあります。
すると机の上には、6つの弁当箱が並びます。
それが、どれほどたいへんな家事なのか、今ならよくわかります。
まさに食べることを通して、心を育ててもらいました。
 母の後ろ姿を見ながら、包丁の音を聞きながら、味噌汁の臭いを感じながら育ったのです。
食の豊かさとは、料理そのものだけではありません。

 


 こんな昔話を我が子にしてあげると、いくらかは心に響くようです。
そして娘たちは、妻が作ってくれた弁当を食べて、充実した高校生活を送っています。

平成28年度 愛媛県中学生 バレーボール新人大会 1

2017-01-26 | 教育
 先日1月21日(土)・22日(日)に愛媛県中学生バレーボール協会が開かれた。
21日は五十崎総合体育館会場。

 大会スタッフだったので、朝6時に家を出た。
会場は早くから女子中学生や保護者たちで熱気があふれていた。

 特に新居浜市立川東中学校と松山西中学校との試合が盛り上がっていた。

 

 

 

 結果は激戦の末、昨年秋の愛媛県新人大会準優勝の川東中を松山西中学校が破るという大金星。

内子オーベルジェから田舎暮らしを考える

2017-01-23 | 田舎暮らし
 一昨日、五十崎に用事があった。
朝7時過ぎ。
1時間ほど早く着いたので、内子の竜王公園に久しぶりに上がってみた。

 ここには、様々なスポーツ施設などがあると同時に、
田舎にはなじみが浅い高級ホテルがあった。
その名は、「オーベルジェ内子」。



 オーベルジュとは、フランス発祥でありながら、
日本各地にも数多く点在するようになった<宿泊設備を備えたレストラン>=オーベルジュのこと。

 自然環境などの地域性を活かしながら、地元の食材を使った料理の提供に努力を惜しまないオーベルジュは、
その土地ならではの食事を楽しみとする旅行者の期待に応えられる存在のようだ。



 また、食の安全や健康への影響、食材の品質に一般旅行者の関心が高まりつつある現在、
オーベルジュの存在は食事先を選択する際に、指標の一つともなるはず。

 オーベルジュでの食体験によって得られる、日本の食の豊かさとすばらしさを
国内はもとより世界へも伝えていくこともできるかもしれない。




 内子や五十崎の冬は長いので、それに備え、人間も植物も虫たちも春の訪れをじっと待ち続け、寒く長い冬を越していく。
田舎にいると、日々季節の移ろいを感じることができる。

「身土不二」、人の生活と自然環境は切り離せないということを昔の人は知っていた。
 オーベルジュ内子のコンセプト、すなわち内子の身土不二を根本に、
滞在を通して、人が生きる歓びと真の豊かさを感じとっていく。



ホテル内部を見せてもらおうとしたところ、
スタッフの方と仲良くなり、離れにある宿泊の部屋まで見せてもらった。

 いつか泊まってみたい宿だ。



                岬人(はなんちゅう)

2月4日は、地域教育実践南予ブロック交流集会に行こう 

2017-01-15 | 地域づくり
 毎年12月、大洲市の国立大洲青少年交流の家において、愛媛県内外の参加者が集まり
地域教育実践交流集会というものが開かれている。
 昨年度は9回目になり、300名を超える参加者があり、盛大に実施された。

 そして今年2月4日(土)に、その南予ブロック編が開かれる。
現在、参加者の募集中。
ぜひ連絡をください。

 

 南予は、地域づくりが盛んで、今回すごい事例発表が満載。
きっと大きなヒントがあり、すばらしいつながりがもてると思う。

12:00  受付
     オープニングイベントは、宇和島水産高校の
     女生徒「フィッシュガール」によるブリの解体ショー

     フィッシュガールは、テレビにも多く取り上げられ、
     今とっても注目されている。

13:15  分散会では3つのすごい事例が発表される
    1 宇和島水産高校フィッシュガールの取組
       ・宇和島水産高校がまちおこしに旗あげ
       南予の海の幸を使い食育、地域づくりに貢献
    2 佐田岬灯台を核にした観光プロジェクト
       ・田村菓子舗の3代目よっくんがプレゼン

    3 野村体験活動地域プラットフォームの取組
       ・地域が中心となって、子どもたちに体験活動を企画・実施

    4 高川地域づくり会(西予市城川町)の取組
       ・この高川の住民は元気
    5 わくわくラボ
       ・何かわくわくするような実践が
    6 三崎高校
       ・田村菓子舗との連携で「みっちゃん大福」
       ・海のゴミであるブイを使い、「ブイアート」環境教育

   
    7 西予市連合青年団
       ・なくなった青年団が復活
    8 鬼北町教育委員会
       ・鬼のまちでおもしろいことが起こっている
    9 愛媛大学法文学部 総合政策学科
       ・愛媛大学も地域づくりに積極的に取り組んでいる
       学問として、そして課題解決の実践として

    10 二名津地区の「わが家ライブ」
       ・代表の増田さんを中心として、まちなかの空き地を利用し、
地域総出の真夏のライブ
       ・クリスマスイルミネーション
       ・1日だけの田舎の居酒屋
       ・村井邸を利用した住民参加、交流型イベント

    11 内海地区よもし連
       ・ふるさと内海村を復活させようとする時代を逆行した最先端の取組
    12 大島まちおこし協力隊
       ・八幡浜の沖に浮かぶ大島の島人たちの心温まる取組 
      
    南予は地域づくりの宝庫
    昨年も「南予いやし博」で大いに盛り上がった


15:15  インタビューダイアローグ「地域づくりへの思いを語る」
      代表の高校生・大学生・社会人がそれぞれの地域に対する思いを語り合い、
      会場の聴衆にヒントを投げかける。
      逆に会場からもピリッとしたエッセンスが注がれることも

17:30  交流会 : 西予市宇和町のJR卯之町駅に近い会場で


                       「平礒の石垣とサンフルーツ」


 〇 開催場所は、駐車場ありの愛媛県歴史文化博物館

 〇 参加費は、何とワンコイン 500円(資料代)

 〇 開催日は、2月4日(土)午後から


 ぜひ多くの様々な人の交流を楽しみにしています。
参加希望は、このブログにコメントなどして知らせてください。


                 岬人(はなんちゅう)
      

伊方湾を照らす朝日

2017-01-11 | 佐田岬の風景
 今日から愛媛県内の小中学校は3学期。
子どもたちの安全のために、地域で見守り隊活動。

 朝7:30。
川永田から伊方湾を照らす朝日を望む。
オレンジ色の光が、水面に反射しさらに明るく照らす。



 気持ちのいい朝だ。

 ふるさと佐田岬の風景。


             岬人(はなんちゅう)

 

もしも明日、世界が終わるなら、僕は最後の一日を、ふるさとの平礒で過ごしたい

2017-01-08 | ふるさと
 2年前のブログ。


 1月6日、いとこの広が次のような思いを、ふるさと平礒の風景写真12枚と一緒にブログにのせていた。
とてもグッとくるものがあった。



「実家」
 お正月、約二ヶ月ぶりに実家の平礒に帰った。
 人口50人に満たないこの村には、かつての天才たちが夢見た未来、2015年になっても、
スマホを持っている人が一割も居ない。

 そもそも未成年者を含めれば、携帯電話を持っている人の方が少ない、かもしれない。
流行に流されない、クールな村だ^ ^

 アインシュタインは、世界の”最後”を想像の中で見てベロを出したと言うが、
きっと、2015年の平礒をアインシュタインが見たら、ベロを引っ込めて息を呑むだろう(≧∇≦)

 もしも明日、世界が終わるなら、僕は最後の一日を、故郷、平礒で過ごしたい☆




このブログにコメントをして、次のようなやりとりがあった。
 
(私)「ヒロ、いいね。 この小径のある風景、よく撮れているな。」



(ヒロシ)「ありがとう!写真に撮ると、改めて石垣の多さに驚く!
また、今はもう居ない人たちが、写真の中にだけ浮かび上がってくる様な気がする。
ほぼろを背負って杖をつく、ふぅ婆ちゃんの姿が見えるなぁ^ ^

 

(私)「そう、平礒は、石垣の郷。 
ヒロには、見えるかい。
思い出の中に生きている人たちが。 
すごいことやね。 それが、生き続けるということかな。」



(ヒロシ)「確かに!生きている人の記憶の中で、みんな生きているんやろなぁ^ ^」



(私)「そうやね。 生きている。 みんな生きている。 
平磯での暮らしは、幸せな暮らしやね。」



 ふるさとを大切に思う気持ち、ふるさとをなつかしく思う気持ち。
そんな気持ちは、誰の中にもあるようだ。

               岬人(はなんちゅう)

まぶたを閉じれば、まぶたの裏側に浮かんでくる様々な佐田岬の景色

2017-01-08 | 佐田岬の風景
 2年前のブログ。
お世話になった上司を思い浮かべ、グッときた。



 私がかつてたいへんお世話になった上司がいる。
定年を迎えられ、年に1度の年賀状のやりとりだけになっていた。

 そんな昨年末、フェイスブックを始められたようで、友だちリクエストが届いた。
それからというものの、お互いの様子がよく分かるようになり、コメントまでいただいている。

 尊敬する上司からのコメントは、とてもうれしいもので、心に響く。
10日ほど前からシリーズで書いてきた「松集落のブログ」。

 これに対して、次のようなうれしいコメントがあった。



『半世紀前、父親が勤務したので、母と弟が松へ一緒に行きました。
夏休みに妹と行ってスズキ等の大物を沢山釣った覚えが鮮明に残っています!

 写真のような夕日と夜釣りでの鶴見岳のロープウェイの明かりを見たことも記憶されています。
最も印象的だったのは、冬場の北西の風と防波堤をはるかに越える大波でした…!!



 弟の後輩がサスケ兄弟で、亡父の仏壇に手を合わせに来てくれたことも、松との縁の深さを感じます!
長くなりましたが、この素晴らしい写真を仏壇の遺影に見せます!

 どうも有難うございました!!!』



 上司からのコメントを読んでいると、松集落の防波堤での景色が、
セピア色となって思い浮かぶ。

 松集落とこのようなご縁があったとは、初めて知った。

 まぶたを閉じれば、まぶたの裏側に浮かんでくるさまざまな景色。

いつまでも、いつまでも、大切なふるさと。

              岬人(はなんちゅう)