喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

10月1日、八西新人総体

2016-09-30 | 感動
 明日は、八西新人総体、中学女子バレーボール。

 子どもたちは、小さなことを、こつこつと積み上げてきた。
部活動だけではなく、普段の生活のなかでも。

 あたりまえのことをきちっとやりきる。
簡単そうにみえて、難しい。

 

 今夜はもう眠りに就いていることだろう。

 明日は、伊方中学校女子バレー部の新たな歴史の一歩としたい。


           岬人(はなんちゅう)
 
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幸福度

2016-09-29 | 感動
「アメリカで働くビジネスマンの『幸福度』は、インドのスラム街に住む人力車の車夫とほぼ同じ」。
世界中で研究が進む「幸福度」の最新統計調査で、こんなデータが明らかになったという。
 片や世界一の経済大国、片や貧しいスラム街の住人。
この調査結果は、経済的な豊かさと幸せは必ずしも比例しないことを示している。

 では「幸福度」が高い人生とは、どんなものなのか? 
人生の主題ともいえるこのテーマに、正面から取り組んだ映画がある。
アカデミー賞ノミネート監督ロコ・ベリッチと日本人プロデューサー清水ハン栄治による『happy しあわせを探すあなたへ』だ。
本作では心理学や脳医学の世界的権威が科学的に「幸せ」を考察している。

 例えばカリフォルニア大学の心理学教授・リュボミアスキー博士は
「人間の幸福の約50%は遺伝に左右される。
一方、財産や社会的地位を含めた生活環境は人の幸福に10%程度しか貢献せず、
残りの40%は意識的に日常の行動やふるまいを変えることで最大化できる」
と説く。
 つまり、どんな不遇な状況にあっても、自分次第で幸福度を高める余地はあるというわけだ。

 さらに、監督自身が世界5大陸16カ国で出会った、様々な「人生」も紹介。
財産を捨て、ボランティアハウスで重病者の介護をする元金融マン、
コミュニティハウスへの転居をきっかけにうつ病を克服したシングルマザー、
事故で顔面を激しく損傷しながら「事故前より幸せ」と語る主婦…。
 紆余曲折を経てつかんだそれぞれの今を描き、「幸せの在り方」を提起している。

 ちなみに同作は全国での劇場上映に加え、共感した人が各地で「自主上映会」を企画できるよう、DVDを有料で貸し出している。
幸せという正解のないテーマについて、一人でも多くの人に気づきを与えるための試みだ。

 近年、閉塞感が漂う日本。
我々も今一度「幸せ」について考えてみるべきかもしれない。

(榎並紀行)


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これが私の人生の格言   フェイスブックより

2016-09-28 | 感動
 占いは、あまり気にかけない。
フェイスブックによると、

これがあなたの人生の格言:

自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。


「この言葉が、人生に対するあなたの心構えを見事に表現し、
あなたがとても思いやりがあるそして単純であることを示しています。

 これまですでに様々な経験を経てきたあなたは、
困難に直面するたびに強くなってきました。」




 私の最近のめざすところ。 
「最大の敵は、自分だ。」 
 
 自分をさらに高めていきたい。
 
 人生、挑戦の連続だ。


           岬人(はなんちゅう)
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NFLデンバー・ブロンコス  アメフト観戦での感動

2016-09-28 | 感動
 平成15年度日米国民交流若手教員のアメリカ派遣をふり返る。
9月22日から28日までは、デンバーでの語学研修と生活や習慣に慣れるための準備。

 アメリカと言えばやはりアメリカンフットボール。
ぜひ観戦したいと思いなかなか手に入らないチケットをとってもらい、メンバーみんなで観戦。
応援するのは、地元のNFLチーム「ブロンコス」。
 チーム名の「ブロンコス」とは、野生馬という意味。
西部の荒々しく、たくましいイメージに由来する。1960年にチーム創設。



 スタジアムは、7万6000人を収容できるインベスコフィールド。



 スタジアムへの入場口でチアガールがおもてなし。



 そして彼女たちは、この後フィールドでチームを応援。 
まさにアメリカといった感じ。





 試合前からスタジアムは、お祭り騒ぎ。
ビールを飲み陽気に騒ぐアメリカン。

 選手が入場し練習が始まるとスタジアム内は、興奮のるつぼと化した。
練習も終わり、いよいよ試合を待つばかりの時、アメリカ国歌の独唱が始まった。





 すると驚くべき光景が広がった。
 国歌独唱と同時に約7万人の観客が一斉に国旗に向かって立ち上がり、
胸に片手を当て、国歌をかみしめるように聞き始めたのだ。
 その真摯な姿に今まで感じたことのない感動をおぼえた。
 
 さまざまな違いを持った人々が集まっているアメリカ。
個性が認められ、重視されているアメリカ。 
 一見、まとまりに欠けそうな人々が、国歌と国旗のもと、みごとにまとまっている。 

 国を愛するとは、言い換えれば、その国の自然・文化・歴史、
そして何より人を愛することだと思う。
 そう考えると、日本(人)もとてもすばらしいとあらためて感じた。


 アメフトの競技もさることながら、最も感動したことだった。



 
 いろいろな意味で堪能した。



 

           岬人(はなんちゅう)

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魅力的なデンバーのまち ~平成15年度日米国民交流若手教員のアメリカ派遣~

2016-09-27 | 感動

平成15年度日米国民交流若手教員のアメリカ派遣をふり返る。
9月22日から28日までは、デンバーでの語学研修と生活や習慣に慣れるための準備。

 語学学校へ通う行き帰りも楽しみがいっぱい。
見るもの、聞くもの全てが初めてのものばかり。



 コロラド州の州都デンバーというまちは
標高1600m(1マイル)にあることから、”マイル・ハイ・シティ”とも呼ばれている。
 米国のどの地域よりもアートに対する意識が高く、市民一人当たりで換算すると、
文化・芸術に充てる公費の割合は全米で最も高いと言われている。

 歴史を感じさせるビクトリア調のショップやカフェが建ち、街のあちらこちらに見られるアートやオブジェ。

https://youtu.be/UY435zgRxHo























 個性的で、アートや文化が息づく地域は、おもしろい。

             岬人(はなんちゅう)

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フランスから喜久家ボランティアが参加

2016-09-25 | 喜久家ボランティア
 昨日フランスから喜久家ボランティアが来てくれた。

 ちょうど二名津から父の妹の浜田のおばちゃんと暁美ちゃん、
そして生まれが平礒の房子おばちゃんも来ていた。

 母家の縁側でいろいろな話に花が咲いた。





 夜11時を過ぎた頃、喜久家の2人は帰った。
その後も盛り上がるみなさん。



 結局、1時を回っていた。
 秋の夜長。
田舎のこんな時間が気に入っている。


        岬人(はなんちゅう)
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孫の散髪をするばあちゃん

2016-09-25 | 田舎暮らし
 昨日息子が松山から帰ってきた。

 そしていつもの光景。



 ばあちゃんの散髪。
息子は、ばあちゃんの散髪が気に入っている。

 ばあちゃんもまたうれしそう。

 未来に残ってほしい家族の風景。


         岬人(はなんちゅう)

 
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 喜久家ブログの訪問者が過去最高

2016-09-25 | 喜久家の情報
 先週の喜久家ブログの訪問者が何と、1805人。
過去最高。

 1日平均257人が喜久家ブログを見てくれていることになる。



 喜久家プロジェクトの様子、ふるさと平礒の様子を中心に、
田舎暮らしや農業、国際交流、教育、環境など。

 ブログを書き始めて、最も大きな良いところは、
ほんの小さな気づきに驚きや感動、幸せを感じるようになったこと。

 毎日が楽しい。
未来が楽しみ。



              岬人(はなんちゅう)
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お彼岸に娘たちとお墓参り

2016-09-25 | 田舎暮らし
 今日はお彼岸の最終日。
夕方まで部活動をして急いで帰る。
暗くならないうちにお墓参りをしたい。

 娘たちに声をかけると、一緒に行くとのこと。
夕方6時過ぎ。
辺りは薄暗くなってきた。



 台風の後、木の葉が散乱していた。
それを見て、さやかがほうきで掃き始めた。
 大切なことだ。


 いつからだろう?
彼岸花が咲いていた。
 ひかるはお気に入りを写真におさめていた。



 彼岸花のいい話をしてあげようか。
 「ヒガンバナは、曼珠沙華(マンジュシャゲ)とも、言う。
中国から、帰化したものと言われている。

 よく田畑の縁に、沿って生育しているのは、土に穴を掘る、ネズミ、モグラ、虫など小動物を避けるために、
有毒な球根のヒガンバナを植えたと、言われている。

 湿った場所を好む、有毒植物。
山間部などで見られるのは、その場所に、人里であった可能性が、有る。

 墓地に多く、見られるのは、人為的に植えられたもの。
墓地に、多いのは、虫除けと、土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐためと、言われている。

 有毒なので農産物ではなく年貢の対象外なので、田畑や墓の草取りの際に、栽培された。
 デンプンを多く含み、すって、長時間、水に、さらせば、無害化の可能性が有り、
救飢植物として、江戸時代の飢饉時や、第二次世界大戦中などの戦時に、食用にされた。」


 二人とも興味津々。
そして私もいろいろな角度から撮影。






 平礒のお墓は集落の一番高い所にあるので見晴らしがいい。


 そして湾の向こうには、明かりがつき始めた釜木の集落。


 結構、長いこといた。
そうこうしているうちに、父が犬を連れて、日課のお墓参りにやって来た。
 田舎のこんな時間はいいものだ。

           岬人(はなんちゅう)



 

 
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平成15年度日米国民交流若手教員のアメリカ派遣 ~アメリカの豊かさの影~

2016-09-24 | 感動
 平成15年度日米国民交流若手教員のアメリカ派遣をふり返る。
9月22日から28日までは、デンバーでの語学研修と生活や習慣に慣れるための準備期間。

 旅行会社の人から強く言われたことがある。
「ホテルから遠い通りになればなれほど治安が悪くなりますから、○○ブロックまでしか行かないでください。」
そういったことを言われると様子を知りたくなる。

 運動不足の解消や地域のことをよく知るためによくジョギングをしていた。
ダウンタウンへ走ったり、駅へ走ったり。
そして28日、行ってはいけないと言われた場所へ足を走らせた。

 そのエリアに入ってまず目にしたのが、日本でいうところのホームレス。


 さらにエリアの奥に入って行くと、地べたに座る人だかり。


 多くの人たちがこちらを見た。
でもその視線は、明らかにちょっとちがっていた。
昨日までの気さくで、明るい目ではなく、私の様子をうかがっているような。

 そしてさらにホテルから遠ざかっていくと、人の姿がほとんど見あたらない。
ときおり、開いているドアの奥から見られているような視線があった。

 何かトラブルに巻きこまれてはいけないと思い、元来た道を帰って行った。


 豊かなアメリカで初めて見る影の部分。
経済は人を変え、街を変えるのかもしれない。
そんな部分をもっと知りたくなった。

        岬人(はなんちゅう)
 
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平成15年度日米国民交流若手教員のアメリカ派遣 ~デンバーでの交流~

2016-09-24 | 感動
 平成15年度日米国民交流若手教員のアメリカ派遣をふり返る。
 9月22日から28日までは、デンバーでの語学研修。
なかなか上達しない語学力に少々辛い日々。

 その分、日常の交流やアフター5での交流に力を注いだ。
何かのきっかけをつくり、地元の人に話しかける。
語順などあまり気にせず、単語を並べ、相手との交流を楽しむ。



 さすがアメリカ。
日本では見ることのないモヒカン。
タトゥー(入れ墨)をほっている人はめずらしくない。
 何とも自由な生き方だ。



 夜は、ホテルの近くのスポーツバーに、みんなでくり出す。
とにかく、きっかけをつくり話しかけてみる。
 すると何となく通じ合う。
そして何よりも楽しい。

 酒を飲んでいることもあり、ますます英語を考える思考力は働かない。
語順など気にせず、単語を並べて伝えようとする。
 楽しく話しかけると、相手も楽しくこたえてくれる。




 常にカバンにしのばせておいた筆ペンと扇子。
かわいい子どもに名前を聞いて、日本語で書いてあげてプレゼント。
リッキーという子どもだった。
「Cool!」 かっこいい!
日本文化はけっこう注目された。



 偶然にもコロラド州と姉妹提携を結び、関係が深い山形県からのメンバーとも意気投合。



 アメリカの普通の人たちとのこんな交流が実にいい。
語学は大して上達しなかったが、交流したいという気持ちはどんどん高まった。
 たぶんこれでいいのだろう。

 見知らぬ人に、おだやかな表情でひと声かけてみる。
相手に興味を示す。
自分を開ける。

 そんなつながりのきっかけづくりを体験をもとに感じていった。


            岬人(はなんちゅう)




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大阪での結婚式の結末 ~今宵は、メディアカフェ~

2016-09-23 | 感動
 生涯決して忘れることはないだろう、父と私の思い出の1ページ。

 3年前の平成25年9月21日。
 大阪で結婚式・披露宴が終わり、愛媛に帰るため父と一緒に夜行バスを待つ。
ところが出発時間を少しまちがえ、乗り遅れ。
 バスセンター職員さんの好意により、明朝7時のバスに乗れることになったが、
大阪で泊まらなければならなくなった。

 ところが右も左もわからない大阪。
しかも時間は23時を過ぎていた。

 先ほどの職員さんに相談したところ、
「歩いて5分ほどの所にあるメディアカフェが一番便利。
安いし、シャワーもついているし、仮眠程度なら十分。」

 何とこの歳になりメディアカフェとは。
しかも73歳の父もいる。
 しかし、背に腹は代えられず、そのすすめにのることにした。

 父との先ほどまでの盛り上がりは冷めてしまい、
もうしわけない気持ちでいっぱい。


 教えてもらった今夜泊まるメディアカフェを探した。
そして5分ほど歩き、ネオンで光るカフェにたどり着く。



 この手の店は、初めてなのでおそるおそる店に入る。
一瞬、本屋かレンタルビデオ店かと思うような雰囲気。
壁にはびっしりマンガ本などがならぶ。
 ようするにマンガ喫茶とネットカフェが合わさったような店だった。

 手続きを済ませ、店員さんに案内された番号の個室に入る。
 個室と言っても隣との仕切があるだけで、
天井はなく、立ち上がると店内が見わたせる。

 2人用の部屋にしたため、椅子ではなく、硬めのベッドのような感じ。
もちろんパソコンはあるが、使う用はなく、マンガなども見ることもなく、
寝る準備をした。

 父と2人がようやく横になれるほどのスペース。
「こんなことになってごめん。」
とおわびした。
 父は黙ってニヤリと微笑んだ。
こうして私たちは長い1日を終え、眠りについた。

 私のみならず、73歳になる父の初めてのメディアカフェ利用。
これまた忘れられない思い出になった。

 人生、何があるかわからない。



 
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大阪での結婚式の夜にアクシデント

2016-09-23 | 感動
 忘れられない3年前の平成25年9月21日。

 大阪で中野明徳おっちゃんの長男の結婚式があった。
賢い2人で、お互いのことを思いやるすてきな夫婦。
 久しぶりに再会した人もたくさんいて、とってもいい結婚式と披露宴。



 楽しい時間はあっという間に過ぎてお開きになった。
22時50分、梅田発の帰り夜行バスまでには4時間以上もある。
父と一緒に梅田まで歩こうと新御堂筋をてくてく。
休日のため人通りは多くない。

 40分ほど歩き、梅田に到着。
まずバスセンターを確認し、歩いて3分の場所にあるビルの居酒屋に入った。
旅館を思わせるような落ちついた空間。

 あれこれと話をする父と私のすてきな時間。
もちろん父と過ごす居酒屋でのこんな時間は初めて。
人生の大半を田舎で土を愛しながら生きてきた父だから。
 客が多くなり、2時間でラストオーダー。

 まだバスの時間までは1時間半以上あったので、居酒屋をはしご。
それでも話は尽きず。
父との思い出のひとときとなった。


 
 10分前くらいにはバスに乗ろうと22時43分頃にバスセンターの窓口へ。
乗車券を差し出すと、とんでもない言葉が返ってきた。
「お客さん、このバスはもう出発しましたよ。」
何と私のかんちがいで、バスの出発時間は22時50分ではなく、40分だったのだ。


 窓口の職員さんに何とかならないか相談。
20分後の11時10分最終便に空きがあれば何とかなりますと、
望みをつないだ。
 そして運命の最終バスがセンターに入り、
運転手さんに空き席を確認してもらった。

 予約しているがまだ乗車していない人がいるとのこと。
その人に乗車確認の電話をするがつながらない。
と、その時予約していた男性が息を切らせながら到着。

 完全に夢は消えた。
職員さんから明朝7時のバスなら乗車できるとのこと。
ありがたくお願いした。

 今夜はいったいどこに泊まろうか。
父と息子の大阪の夜はまだ終わらなかった。

 そして探しあてたのが何と…。


          岬人(はなんちゅう)
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故郷を抱いて生きる明徳おっちゃん

2016-09-23 | ふるさと
 3年前の平成25年9月21日。
 大阪に住む中野明徳おっちゃんの長男の結婚式があった
父と母夫婦での予定だったが、母に代わり私が父と一緒に行くことになった。

 父がもっとも慕う明おっちゃん。
 平磯出身の明おっちゃんは、父の二歳上の従兄弟。
中学を卒業し、同じ平磯出身で工務店を経営し成功していた河野武市さんのもとへ弟子入り。
3年の弟子入り、奉公。

 その後就職して3年経ち、弟の日三夫さんが二名津中学校を卒業するのを待ち、
母シゲと日三夫さんをに大阪に引き取った。
 たいへんな苦労と努力の末、暮らしの基礎を築いた。



 明おっちゃんは、けがと病気のため、結婚式への出席が危ぶまれた。
でも体調が大丈夫な段階まで参列するとのこと。



 式場に到着し、明おっちゃんの控え室を尋ねる父。
ドアを開け、中に入ると正面に車椅子に座っていた。
 私たちの姿を見ると、明おっちゃんは顔をくしゃくしゃにして泣き、涙をぬぐった。
うれし涙なのか、くやし涙なのか。
たぶん両方だろう。

 同時に父の目からも涙がこぼれた
言葉を交わさなくても、心から通じ合っている2人。






 その後、式、披露宴と進んでいく。
そして披露宴も終わりに近づいた頃、明おっちゃんについに限界がきた。
 私たちのテーブルを後にする車椅子に乗った明おっちゃん
「おっちゃん元気でな。」
と手をにぎると、それまで以上に涙を流された。
 奥さん、親戚、家族、新郎新婦、新婦の両親、そして私の父に見送られ会場をあとにした。




 みなさんそれぞれの思いが痛いほど伝わる。
父だけは控え室までついていき、しばらくしてからもどって来た。

 2人は、故郷平磯や生家の話で盛り上がっていた。
明おっちゃんが故郷を離れて60年が経つ。
おっちゃんの中には、故郷の山や海、人は変わらずあるのだろう。




 人はいつも故郷を抱いて生きている。
人のつながりは血縁・地縁そして思いでつながる縁などさまざま。
そんなつながりが少しずつ薄っぺらくなっているような昨今。
 明おっちゃんは、故郷平礒やそこに暮らす人たちへの思いをますます強めている。
切ないほどの思い。

 故郷を離れている懐かしの人とまた会いたい。


                 岬人(はなんちゅう)
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平成15年度日米国民交流若手教員のアメリカ派遣 ~デンバーでの語学研修~

2016-09-22 | 感動
 平成15年度日米国民交流若手教員のアメリカ派遣をふり返る。
9月22日から28日までは、デンバーでの語学研修。

 Spring International language Center で日常生活のための英会話を中心として、
コロラドでの一般的な生活習慣などについての授業を受けた。

 滞在期間中、体験するであろう行事や、ホームステイでの注意事項などを学び、
さらには英語による授業実践に向けて実践的な訓練も行った。



               「授業の様子」





               「修了書をいただく」



               「お世話になった先生方と」

 日本語がいっさいなしの英語授業。
なかなか耳がついていかない。
ましてや話すとなると、単語、語順など考えていると会話のテンポが悪い。
 
 そんな私をしりめに、他の仲間はメキメキと英語が上達していった。
私にとっては、少々辛い日々。


             岬人(はなんちゅう)
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