喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

ビットコイン(仮想通貨)のメリットから夢を語る

2018-02-12 | 社会
ビットコインのメリットは、

1. 個人間で文字通り「直接」送金ができる
 一般的な通貨で送金を行う際には、銀行などを仲介する必要がある。
しかし、ビットコインの場合には、個人間が直接支払うことができる。

 ビットコインを使うメリットとして、直接会って財布からお金を出して支払うのと同じように、
ビットコインを使えば直接相手にお金を支払うことができる。


2. 手数料が無料か格安
 仲介する組織が存在しないので、基本的には手数料を払う必要がない。
これは個人間の少額な支払いにおいては、非常に重要な特徴。

 銀行送金でも、クレジットカード支払いでも、一定の手数料が存在する。
そのため、少額の商品の売買が難しくなったり、ビジネスの利益率が下がったりする。

 ビットコインは、その最大のメリットとも言える直接送金のしくみのおかげで、
従来の手数料の概念を覆した決済を実現する。


3. 制限が存在しない
 ビットコインでの決済は銀行を経由した決済では無いので、
わずらわしい手続きや制限が存在しない。
 お金の流通が、より自由に行えるようになる。

 また国によって通貨の単位が異なるといった特徴もないので、
ビットコインを使えば、世界中で同じ通貨が利用できるというメリットがある。

 そのためにはもっとビットコインが広まって、ビットコインでの支払いを受け付けるお店が増える必要があるが、
今、ビットコインでの決済が可能な店は世界中でどんどん増えている。


 

 このメリットから、どんな夢がふくらむか。

 息子と知り合いを交えて、将来の楽しみな話で盛り上がった。
しかし、息子の柔軟性に驚いた。
インターネット等のITに親しんでいる息子には、仮想通貨に対する壁が低い。

 こんな若者たちが新しい時代を拓いていくのだろう。
大人は、その挑戦に対して、応援してあげるだけかもしれない。
「トライ & エラー」を温かく見守ってあげる。
一緒にやってみる。

 雪が降り、寒いふるさとの夜も、なぜか熱かった。



         岬人(はなんちゅう)

 



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ビットコイン(仮想通貨)から時代を見通す

2018-02-12 | 社会
 ビルゲイツにより、「10年後には、今のような銀行はなくなる」という
衝撃的な考えが出された。
 さすが、時代を見通す人は違う。

 ようやくビットコインというものに興味をもち始めたばかりなのに、
もうはるか先を見通している。


 幕末、明治維新に興味がある。
 薩摩藩の大名、島津斉彬は、どんどん西洋のいいところを取り入れ、改革を進めた。
ジョン万次郎を受け入れ、アメリカの情報をどんどん吸収した。

 長州藩の吉田松陰は、様々な分野を学び、若き志士たちにも理論的に教えを説いた。

 幕臣の勝海舟は、自らアメリカに渡り、改革の必要性を坂本龍馬たちに語った。
共通点は、広く世界規模でものごとを見て、足元から着実に行動するということ。



 今回のビットコインについても考えることは広く、深い。 
ビットコインでできることは何?

 ビットコインとは、インターネット上で発行、取引される仮想通貨の1つ。

「仮想」という言葉があるため、「空想上のお金なのか」とか、「どんなことに使えるのか」といった疑問を感じがちだが、
普通のお金(法定通貨といいます)と同じように使うことができる。

 お札や硬貨としてではなくネット上に存在し、安全な取引のために暗号化技術が使われていることから、
「暗号通貨」という呼び方もある。



 1万円札や硬貨のような実物がないビットコイン。
いったいどんなことに使えるのか。

 ビットコインは欧米や中国、東南アジアなど、多くの国で利用されている。

 私たちがいつも使っているお金のような姿形はないが、「お金」として、「円」や「ドル」と同じように使うことができる。
ビットコインでできることは、大きく分けて次の4つ。

 ① ビットコインの売買でリターンを得る(投資)

 ② 買い物の代金などをビットコインで支払う(決済)

 ③ ほかの誰かにビットコインを送る(送金)

 ④ 少額の寄付や投資に使う(ファンディング



 お金のやりとりが、インターネット環境さえあれば、
早く、安く、世界的にできるということ。

 これは、超田舎の我がふるさとにとって、とても魅力的なこと。
 2年後の東京オリンピックをポイントに、世界中から人が日本を訪れ、
ビットコインを使う環境整備が一気に進むだろう。

 時代は、大きく動いている。

              岬人(はなんちゅう)
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佐田岬の超田舎で金融革命を感じる ~ビットコインから見える未来~

2018-02-12 | 社会
 ビットコインとは、仮想通貨の一つ。
仮想通貨は1000以上あるようだが、最も信用されて利用されているのが、ビットコイン。

 仮想通貨なので、目に見えない。
インターネット上でやりとりされる通貨なのだ。
 カードや通帳での支払い、送金等。
モノがなくても、やり取りされている。

 ただ今の段階で、これまでに慣れ親しんでいる私たちにとって、
目に見えないと不安なので、遊び心を持った人が、この写真のコインを作った。

 このコインが行き交うわけではない。


 まさに考えられないような社会の変化だ。


 人類は、この300年くらいの間で、驚くべき変化、革命を起こしてきた。

 18世紀の農業革命。
これにより食料や農産物が飛躍的に生産されるようになり、人口が爆発的に増加してきた。

 19世紀の産業革命。
 手作業で作られていたモノが、機械により大量につくられるようになり、
豊かな暮らしができるようになった。

 20世紀のIT革命。
インターネットの発明により、瞬時に情報がやり取りされ、世界規模の人や物の交流につながった。




 そして21世紀は、金融革命と言われている。
 金融の要をしていたのは銀行だが、「10年後今ある銀行は必要なくなる」と述べたのは、マイクロソフトのビルゲイツ。
 
 インターネットにつながっていれば、銀行がなくても企業や個人は投資型クラウドファンディングを利用して融資を受けることができる。
そして、仮想通貨はモバイル端末ひとつで入出金が行えて、送金もできる。

 銀行の顧客に対しての投資相談や運用支援も、フィンテックが進みAIが投資プランをアドバイスすることになるだろう。
これからは取引情報をAIが分析して、自動的に融資を決断するなどの取り組みが始まろうとしている。
 つまり、インターネットにつながっている企業はどの企業も法律が改正されれば銀行業務が行えるということになる。


 では仮想通貨により、個人的に日常がどう変化するか?
簡単に勉強してみた。

              岬人(はなんちゅう)

 

 

 



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ビットコインって何?

2018-02-12 | 社会
 最近、よく耳にするようになったビットコイン。

 初めて耳にしたのは、2年前の夏。
知り合いから買うことを誘われたが、ビットコインに全く興味がなかった。

 世の中は、日々動いて変化しているのに。



 初めて見た。
 でもこれがビットコインではない。
何しろ、ビットコインとは、仮想通貨だから。
つまり、硬貨や紙幣のように目に見えるモノではない。



 通貨に新しい変化の波がやってきたのかもしれない。

 アンテナをはり、時代を見通していきたい。


     岬人(はなんちゅう)
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日本人として11月3日、文化の日を考える

2017-11-03 | 社会
 11月3日は国民の祝日である『文化の日』
その由来を調べてみた。

 「三崎の秋祭り 牛鬼と四ツ太鼓の鉢合わせH24」

「orange情報舎より」

 その趣旨は次の通りです。
「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」
ではなぜ11月3日が文化の日になったのでしょうか。

 この11月3日は1946年に日本国憲法が交付された日。
そしてこの日本国憲法は平和と文化を重視したものであるため
『文化の日』として国民の祝日に制定されました。

 ちなみに日本国憲法が施行された5月3日を記念して制定された祝日が『憲法記念日』です。

 「三崎の秋祭り 浦安の舞H24」

 しかし実はこの文化の日という名称もその趣旨も本来の意味とは全く関係の無いものなのです。
この11月3日は元々明治天皇のお誕生日であった『明治節』と呼ばれる祝日だったのです。
 
 明治天皇が崩御(天皇がお亡くなりになる事)された後、
明治天皇のお誕生日であった11月3日を祝日にしたいという国民の声が非常に多かったために
『明治節』という祝日になりました。

 「平礒の氏神様を祀る神社 H19」

 しかし日本が先の大戦で負けた後、GHQは日本の弱体化を狙い
天皇や神道に関わるものを徹底的に排除しようとしました。
 そして『明治節』も廃止されてしまうのです。

 ですが、明治天皇の『明治節』はどうしても残しておきたいという意図が日本政府にあったため、
日本国憲法の公布を意図的に11月3日にして、それを祝日にしたと言われています。

 つまり形式上は日本国憲法の公布日を祝ったものなのですが、
明治節の趣旨こそが11月3日の祝日の本来の意味なのです。


 「平礒の盆踊りH29」
 
 なるほど。
 明治という時代は、日本が近代国家として歩み始めた時代。
様々な困難と苦労があった。
 今は、その延長線上にある。

 先人たちの足跡を知ることは、とても大切なことだ。
知るとふるさとや日本がより大切に思えてくる。
 

「平礒の盆行事モウリョウ H29」



                岬人(はなんちゅう)
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都会と故郷の田舎 ~あべのハルカスを見て思ったこと~

2016-11-28 | 社会
 11月25日(金)、大阪へ向かう。
途中、淡路大橋。


 神戸ポートタワー。
空間を効率的に使う都市高速。


 26日(土)
 あべのハルカスと大阪のまち。








 人の力はすごい。
よくこれほどのものをつくったものだ。

 東京や大阪といった都会は、どんどん新しい物を生み出していく。
生み出すが故にどんどん壊していく。
 つくっては壊し、またつくっては壊し。

 それが都会の役割なのかもしれない。

 人工物が多く、自然のものは数えるくらいしか見当たらない。



 一方、我が故郷の田舎。


 私が幼い頃と比べて何十年もの間、おおきく変わったところはない。
都会と逆で、自然の風景がほとんど。

 人がつくったものは、長い間、必要なものだけが残されている。
暮らしの知恵なのだろう。

 田舎は、どんなものを残していくか、いかに残すかを探ってきたようだ。
先人たちの足跡が感じられる。


 もっともっと都会と田舎が交流し、
それぞれの果たしている役割を確認したらいいだろう。



 シンプルな暮らしが好きだ。
この故郷で生きていく。


               岬人(はなんちゅう)
 
  
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第68回全国人権・同和教育研究大会

2016-11-25 | 社会
 明日、明後日、大阪で全国人権・同和教育研究大会が開かれる。
そのため、今日から出発。

 大会テーマは、
差別の現実から深く学び、生活を高め、未来を保障する教育を確立しよう

~部落問題を解決し、人権文化の創造をはかるために、同和教育の充実と発展を通して人権教育・人権啓発を構築していこう~


 誰もが自分らしく生きていける地域をつくっていきたい。

 まずはふるさとから。


            岬人(はなんちゅう)
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「平和の語り部 杉野富也さん講演会 ~聞けわだつみの声~」

2016-11-15 | 社会
今から75年前の1941(昭和16)年12月8日に始まった太平洋戦争は、多くの苦難と悲しみを残しました。
 日本一細長い佐田岬半島にある伊方中学校では、それらの事実をひもとき、
戦争や平和についての正しい判断力と行動力を養う取組を行っています。

 今年の夏休みに伊方町の事業と連携し、かつて特攻隊基地があった鹿児島県の鹿屋(海軍)と知覧(陸軍)
を中学生希望者15人が訪れました。
 そこでは平和や命について、これまでよりも広く、深く考えるきっかけを得ました。
その後これらの学びを行動につなげたいと考え、伝えていく取組として新聞投稿や文化祭で報告を行いました。

 投稿が新聞に掲載されてすぐ、松山市在住の杉野富也さん(91歳)という方から連絡がありました。
平和学習の内容と生徒の感想を読んで感動したとのことでした。
 
 杉野さんは、元海軍航空隊の偵察機「彩雲」の搭乗員で昭和17年、17歳で海軍航空隊に入隊。
偵察機で電信員の任務に就きました。

 松山や高知、そして終戦直前の昭和20年5月には、海軍特攻基地の鹿屋に配属され「我、突入す」
といった特攻機からの電信を次々と受信した経験をもたれています。
「隊員の友人たちは特攻でほとんど亡くなった」
と、多くの若い命が戦争で奪われたことを現在様々な機会で語る活動をされています。


 「私と同期の者は、全国で約1500名いました。
しかし当時のことを今しっかりと語れる者は片手くらいの人数しかいません。
亡くなった戦友たちから自分たちのことをしっかりと語りついでくれ、と言われているような気がしています。
これからも平和な世の中であり続けるために、私にできることがあれば声をかけてください。」

と言われました。

 このような偶然の中の必然とも言えるような出会いがあり、
今日、伊方中学校で講演会をしていただくことになりました。





 実際に戦争を体験された人から聞く話は、胸にせまるものがありました。
 太平洋戦争が終わり71年が経ち、戦争体験をされた方々から話を聞ける機会は年々少なくなっています。
生の声を聞くことができるのは、生徒たちが最後の世代となるかもしれません。
 この「平和の語り部講演会~聞けわだつみの声~」により大切なバトンのリレーが行われることを願っています。

 講演会後には、懇談の時間もあり、
「平和な今の日本をまもっていくのは若いみなさんです。
戦争は絶対にいけません。
2度とあんな戦争が起こらないよう、よろしくお願いします。」

という思いを託されました。

 
 そして歳の差が約80歳ある杉野さんと中学生たちが、固い握手を交わしました。


 新聞社の取材もあり、自分の思いをしっかりと語る中学生に感動しました。


 佐田岬の中学生たちには、すばらしい未来を築いていこうとする心が育っています。


            
                   岬人(はなんちゅう)


 

       
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自由と平和を愛する伊方中学校の文化祭

2016-11-05 | 社会
 文化とは、自由と平和を愛すること。
文化に関するイベントを文化祭という。

 1週間前の10月30日に伊方中学校の文化祭が行われた。
オープニングは、吹奏楽部の演奏。


 さすが愛媛県吹奏楽コンクールで金賞をとっただけのことはある。
観客を魅了することが上手。

 続いてクラス対抗合唱コンクール。


 さすが3年生ともなるとハーモニーが美しい。


 総合的な学習の時間で学んだギター演奏。


 涙を誘った「鹿屋・知覧特攻物語」




 全校生徒で取り組んだ巨大モザイクアート。
今年とても輝いていた福原愛さん。


 工夫が見られる展示物。


 修学旅行の一コマを劇で演じている。






 ミュージカル「キャッツ」


 大勢の保護者やお客様の中に、喜久家プロジェクト活動中の若者たち。
右から、ジョー、ルーセン、シュー、ゴー。



 そして午後からは、ワカゾーライブ。





 子どもたちの自由な発想。
それが生活を豊かにし、平和な世の中につながる。
 佐田岬から発信してきたい。
           
          (はなんちゅう)
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文化の日の由来

2016-11-05 | 社会
 先日11月3日は国民の祝日である『文化の日』
その由来を調べてみた。

「orange情報舎より」

 その趣旨は次の通りです。
「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」
ではなぜ11月3日が文化の日になったのでしょうか。

 この11月3日は1946年に日本国憲法が交付された日。
そしてこの日本国憲法は平和と文化を重視したものであるため
『文化の日』として国民の祝日に制定されました。

 ちなみに日本国憲法が施行された5月3日を記念して制定された祝日が『憲法記念日』です。

 しかし実はこの文化の日という名称もその趣旨も本来の意味とは全く関係の無いものなのです。
この11月3日は元々明治天皇のお誕生日であった『明治節』と呼ばれる祝日だったのです。
 
 明治天皇が崩御(天皇がお亡くなりになる事)された後、
明治天皇のお誕生日であった11月3日を祝日にしたいという国民の声が非常に多かったために
『明治節』という祝日になりました。

 しかし日本が先の大戦で負けた後、GHQは日本の弱体化を狙い
天皇や神道に関わるものを徹底的に排除しようとしました。
 そして『明治節』も廃止されてしまうのです。

 ですが、明治天皇の『明治節』はどうしても残しておきたいという意図が日本政府にあったため、
日本国憲法の公布を意図的に11月3日にして、それを祝日にしたと言われています。

 つまり形式上は日本国憲法の公布日を祝ったものなのですが、
明治節の趣旨こそが11月3日の祝日の本来の意味なのです。


 
 なるほど。
 明治という時代は、日本が近代国家として歩み始めた時代。
様々な困難と苦労があった。
 今は、その延長線上にある。
 先人たちの足跡を知ることは、とても大切なことだ。

                岬人(はなんちゅう)




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昭和初めから新聞をとっていた超田舎のわが家  ~新聞のよさ~

2016-10-01 | 社会
 平礒という集落は瀬戸内にあり、本当に小さな小さな集落。
現在は人口約50人。

 ほとんどが柑橘農業をしていて、勤勉な人たちが多い。
それは今も昔も変わらない。

 父から私の曾祖父のことを聞かせてもらった。
「鶴松じいちゃんは、勉強家で、世の中の様子を知ることを重んじていた人だった。
昭和の最初のころから、うちだけが新聞をとっていた。
当時、平礒はもちろんやけど、人口が多い二名津でも数件しか新聞をとっていたところはなかった。
ほんじゃけん、世の中の様子をよう知っちょった。」


 すごいことだ。

 知り合いの新聞記者さんと様々な話をするなかで、
自分の気持ちを見つめ直したり、整理整頓することができた。



1 発信の大切さ
 「情報は、発信するところに集まる」と言われる。
 池に石を投げこむ。それは波紋を作り、周りへ広がっていく。
 そして岸ではね返った波紋は、石を投げこんだ所へ戻ってくる。
  
2 新聞のよさ
  インターネットの発達により、新聞があまり読まれなくなったと聞くことがある。
 でも私は新聞が好き。新聞にしかないすばらしさがある。
 
 ① 情報の宝箱
   インターネットは、自分の興味ある情報を即座に手にすることができる良さがある。
  新聞は、開けばさまざまな活字が目にとまり、さまざまな情報を手にすることができる。
  見出しだけにでも世の中の様子があらわされている。
  政治・経済・社会・地域・投稿・スポーツ芸能など。
  バランスのとれた考え方につながる。

 ② 人の熱が伝わる
   今日の新聞を手にするまでにどれくらい多くの人が関わっていることやら。
  取材をする記者、編集、印刷、配達…
  そんな行程に多くの知り合いがいる。
  その人たちの仕事の結晶。
  それが今日、手にした新聞なのだ。
   新聞というモノの向こう側に人の姿が見える。
  これってあたたかい。そして時には熱い。




 デジタルはもちろん便利。
でもアナログの良さもある。

 人の手が加わるとあたたかい。

                岬人(はなんちゅう)
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2001年アメリカ同時多発テロ後のニューヨークを訪れる

2016-09-11 | 社会
 今日2016年9月11日は、アメリカ同時多発テロが起こってから15年目になる。
 2001年9月11日――。いつもと変わらないニューヨークの朝。
ビジネスマンや市民がストリートを足早に歩いていた。
 午前8時46分、アメリカン航空11便は世界貿易センター北棟(110階建て)に時速750kmで突入し、爆発炎上。
その直後、ユナイテッド航空175便も南棟(109階建て)に突入し、爆発炎上。
 南棟に続き、北棟も大音響とともに崩壊。
 その直後、アメリカン航空77便はペンタゴン(国防総省本庁舎)に激突炎上、ユナイテッド航空93便はペンシルベニア州シャンクスヴィルに墜落炎上したとされる。

 突如として起きた米国同時多発テロ事件。
航空機4機のハイジャックによる史上最大最悪のテロ事件は、米国だけでなく世界中に計り知れない衝撃と悲嘆をもたらした。
 その余波は、米軍によるアフガニスタンとイラクへの報復戦争に飛び火し、おびただしい人たちが悲惨な犠牲を強いられた。

 日米若手教員米国派遣事業により全国から集まった10人。
事業も終盤12月、テロ事件から3年目になるニューヨーク(グラウンドゼロ)に行ってみた。

 世界金融の中心ウォール街。
 ティファニーなどのブランドショップが建ち並ぶ五番街。
 様々なイベントやショーでにぎわうブロードウェー。

 自由の女神とリバティー島。




 エンパイア・ステートビルからの展望。


 ロックフェラービルのクリスマスイルミネーション。


 そして世界貿易センタービルが建っていたグラウンドゼロ。


 破壊された鉄骨で追悼の十字架が立てられていた。


 グラウンドゼロ辺りには、様々な楽器演奏をする人たちや
絵や写真を制作して売る人たちが多くいた。
 そんななか、お土産に1枚の絵を買った。


 テロや戦争とは無縁なふるさとに暮らしながら、テロがあったグラウンドゼロに立ち、
不思議な感覚になったことを覚えている。

 報道によれば、確認された死亡者は3025人(ハイジャック機の乗員・乗客246人、国防総省125人、世界貿易センタービル2602人など)。
死亡者数に明らかな誤差があり、今なお多数の犠牲者の身元が不明。
 現在もおよそ2万グループに及ぶ遺体断片の確認作業が続けられている。
だが、米政府は、死亡者数の誤認や身元確認の遅滞の理由を公式には明示していないため、正確な犠牲者数を把握できない。

 たとえば、世界貿易センタービルの死亡者数には、ニューヨーク市消防局の消防士343人、ニューヨーク市警察本部の警察官23人、ニューヨーク港湾管理委員会の職員37人が含まれている。
 だが、粉々に破壊され、散乱したビルの残骸を現場検証したものの、およそ1100人もの遺体は発見されていない。

 つまり、ニューヨークでは、3,025人もの命が奪われながらも、
15年も経つのに未だ4割以上にあたる1,100人もの遺体が発見されていないという悲しい事実。
 

 この事件は、今でも様々な疑問が取り上げられている。
 テロ後の米軍によるアフガニスタンとイラクへの報復戦争も含め、
おびただしい人たちが悲惨な犠牲を強いられた。

 その一方で、政治や経済の面でかなり得をした人たちもいるだろう。
イスラム教はかなり厳しい見方をされたし、テロを許さないという考えでアメリカはまとまった。
そして報復戦争により軍需産業は潤った。

 この事件が仕組まれたことだったとしたら。

 国や世界の政治や経済に何の影響もない田舎で暮らしていても、
広い見方や考え方は大切だと考える。

  「Think Globally、 Act Locally」


亡くなった方々に祈りをささげる。
いつかまた、あの場所を訪れてみたい。

              岬人(はなんちゅう)




 


 
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9.11.2001 アメリカ同時多発テロと平和なふるさとの暮らし

2014-09-13 | 社会
 一昨日、9月11日は忘れられない日。
今から13年前の2001年、航空機を使った4つのテロ事件は突然起こった。


 
 『世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟は、8時46分にアメリカン航空11便の突入を受けて爆発炎上した。
続いて、9時3分に南棟がユナイテッド航空175便の突入を受け、爆発炎上した。

 2機目の激突は1機目の激突後に現場のテレビ中継を行っていた際に発生し、
世界各国に1機目の衝突を臨時ニュースとして国際中継していた間に起こった事件であったため、
前代未聞の衝撃的な映像を多くの人たちがリアルタイムで見る事になった。

 ツインタワーは、建設当時の主力ジェット旅客機のボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたはずだった。
だが、実際に高速で突入した同サイズのボーイング767によってビル上部は激しく損傷、
漏れ出したジェット燃料は縦シャフトを通して下層階にまで達し、爆発的火災が発生した。

 火災の熱による鉄骨の破断でタワーは強度を失い、9時59分に南棟が突入を受けた上部から砕けるように崩壊した。
北棟も10時28分に南棟と同様、砕けるように崩壊した。

 ツインタワーは、特に北棟で人的被害が大きく、死者は約1,700人(救護活動中の消防士を含む)であった。
特に突撃を受けた92階以上に被害が多く、この階以上の在館者全員が死亡したと言われている。
それは航空機に突入されたフロアの階段が大きく破壊され炎上し、避難経路が遮断されたためである。
 
 南棟も同様に激しく炎上したが、こちらは旅客機が外側に少し反れて激突し、反対側の階段が損壊や延焼を免れたため、
突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた十数名は無事避難することができた。
 また、突入前の未然避難者も含めると約7割の人が生還している。

 ただしこの時、炎上部より上にいた人の一部が、煙による苦痛や絶望感から飛び降りを行い、
消防士や避難者の一部が落下してきた人の巻き添えになり命を落とした。
 また崩壊時の破片や煙により、ビル外でも数人が命を落としている。
一方、タワー崩壊後も館内で奇跡的に生き残っていた人も数名おり、それらの人々は当日夕方に救助された。

 北棟および南棟の崩落による影響で、敷地内の他の4つのビルも崩落・炎上し、
8時間後に敷地北隣の高層ビル・世界貿易センター7号棟もともに崩落。
 道路は完全に封鎖、世界貿易センターの地下をターミナルとしていた地下鉄やパストレインもトンネルの崩落で走行不能に陥った。
これらのことからニューヨークでは合計で2749人が死亡するという大惨事になった。

 この事件以降、世界貿易センタービル跡地は「グラウンド・ゼロ(爆心地)」とも呼ばれている。』

                                      (ウィキペディアより)


 それから2年後の2003年(平成15年)9月17日、文部科学省主催の「日米国民交流・若手教員の米国派遣」に参加し、
帰国間近の12月10日に「グラウンド・ゼロ」を訪れ、黙祷を行った。







 グラウンド・ゼロは、さら地になり、新しい施設の建設はまだ始まっていなかった。
崩れた鉄骨で作られた十字架のモニュメントが目に焼きついている。
 摩天楼がそびえ立つニューヨークのど真ん中に、ぽっかりと空いた空間。
テロが起こった当時のことを想像すると、足が石のように固く重たくなり、立ちすくんだことを思い出す。

 この日のことを忘れずにいたいと思い、ありし日のニューヨークを描いた作品を買った。



 これは、今も我が家に飾られており、見るたびに当時のことを思い出させてくれる。


 平和な日本、しかも田舎に住んでいるとまるで映画に思えてならない出来事が世界のあちらこちらで起こっている。
そのことを自分に引き寄せて考えることは、あまりの違いゆえ難しい。

 でも人間には想像力がある。
ジョン・レノンの「イマージン( Imagine )」のように争いのない世界を想像したい。

 そのジョン・レノンは、1980年同じニューヨークの自宅マンションの前で、
精神疾患のファンに狙撃され40歳という若さで亡くなった。

 田舎者の自分にとってニューヨークは、イマージン( Imagine )の街となっている。


                                       岬人(はなんちゅう)

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