喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

孫正義氏の留学体験2 ~1分1秒を惜しんで勉強した留学時代 ~

2017-07-29 | 教育
1分1秒を惜しんで勉強した留学時代

 ですからアメリカに留学して、毎日勉強の鬼になりました。
勉強の虫じゃないですよ。
そんな生易しいもんじゃない。
もう道を歩く時も風呂の中でも、食事をする時でも、寝てる時の数時間以外は全て勉強すると。
もちろん英語で、アメリカですので。

 家族が泣いている中で、同じ1つ違いの兄貴に中退してもらってまで支えてもらって、
血を吐いている親父に何とか喜んでもらいたい、お袋にも喜んでもらいたいということで発ったわけなんで、
1日1日のアメリカでの生活というのは、遊びほうけるというわけにはいかない。

 本当に今の自分が恥ずかしくなるぐらい、その当時は1分1秒を惜しんで勉強をしました。
 多くの学問で、アメリカで学んだことはたくさんありますけれども、でもそれ以上に学んだことは、 
そこではいろんな肌の色の人達が、皆明るく、夢にあふれ、希望にあふれ、
アメリカンドリームを掴もうとして一生懸命に仕事をしている。

 そして世界で最も進んだ文明や、社会システムを持っている。
 僕はそのことに感動し、いつか日本に帰ったら、必ず世界に誇れるような企業を日本に作りたい。
そして、いずれその会社がそれなりの規模になったら、世界中の人々に我々の貢献する仕事で幸せを提供したい。
 そういうことを誓って勉強しました。



あのとき支えてくれた家族に、少しでも恩返しがしたい

 ですから今振り返ってみて、あの時もし、あの16歳の僕がアメリカに、外の国を知らなかったら、
それを体験しなかったらと思うと、今の僕の人生は全然違ったものになってしまう。
 結果的には、父は無事体の健康を取り戻し、お袋も今は笑って過ごしていますし、兄貴も幸せにしております。

 あのとき支えてくれた、高校を中退して支えてくれた兄貴がいた。
そのお礼を何らかの形でしたい。

 僕が皆さんの支えとなる、ささやかな支援という形でしようと思っているのは、
皆さんの家族だとか兄弟が高校を中退してだとか、会社を辞めてまで、
あるいは何か特別なことをして皆さんの留学を支援するという、
そういう境遇の時は、それはそれでいいんですけども。

 先ほど大臣も、アルバイトに明け暮れてやっと1カ月留学ができたということですが、
皆さんが少しでも夢と希望にあふれ、多くの人々に貢献できる、
そういう道を提供できるのであれば、それが兄貴に対する恩返しであり、
親父やお袋に対する恩返しだと。
 少しでもそういう形で恩返しがしたいと。

 少しでも皆さんがこの素晴らしい、美しい、本当に愛しき日本に、
皆さんがこれから大人になって高い志で、皆さんの後に続く多くの若者に、そしてお年寄りに貢献できたら、
そのことに僕が少しでも間接的に皆さんを応援できたら、そういう思いで今回支援することにいたしました。

 ぜひ、ぜひこの機会を。
 人生でこの今の皆さんの若い時というのは、二度とやってきません。
 1日1秒を大切にしていただいて、このきっかけを大切なものにしていただきたい。
有意義なものにしていただきたい。
 心からそう思います。頑張ってください。




 ソフトバンクをここまで信頼される企業にされた孫さん。
留学に関して、このような経験があったのだ。
 留学をどんな思いで、どう生かしていくかが重要。
可能性や豊かさが広がる。



            岬人(はなんちゅう)

孫正義氏の留学体験1 ~高校を中退して家族を支えた兄に「恩返しがしたい」 ~

2017-07-29 | 感動
 官民協働海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」
の第1期派遣留学生壮行会にソフトバンク代表の孫正義氏が登壇し、留学生達を激励しました。
 アイデンティティへの苦悩や留学時に兄と交わした約束など、自身の半生を振り返る16分間のスピーチです。


孫正義氏「番地のない住所に生まれ育った」

 皆さん、自分の戸籍の住所っていうもの、そこに生まれた由来みたいなものを気に留めたことがありますでしょうか? 
僕は馬鹿なことに、若い時に自分の戸籍の住所というもの、その意味をよくわかっていませんでした。

 大人になって20歳を過ぎてから、戸籍というものを区役所に取りに行く時に、その住所をふと見て、
「何で無番地って書いてあるんだろう?」って思ったんですね。
 僕の戸籍には「佐賀県鳥栖市五軒道路無番地」って書いてあったんです。

 普通、番地っていうと23番地とかいろいろ書いてあるんですけど、
そこを漢字で「無」って書いてあるんですよ。
「無し」という字ですね。

 その後でいろいろ考えて「なるほどそういうことか」って思ったのは、
佐賀県の鳥栖市の五軒、一軒、二軒、三軒というのは、道の広さ、道の道路の広さを表しているんですけれども、
そこの無番地というところで私は生まれ育ったということが、その1行の戸籍の住所に物語られてたということなんです。

 つまり日本に、私のおじいさん、おばあさんがどういう形で移民してきたのか、よくわかりません。
何か聞くところによると、漁船の底の裏に潜り込んで、日本に来たということのようです。

 嵐の中で沈没しそうな中で、やっとたどり着いた日本。
当然、住むところはないですよね。
 ですから、一緒に漁船の底に潜り込んで入ってきた何人かの家族が住み着いたところというのが、今でいうJR国鉄ですね。
鳥栖市の駅から200mくらい離れたところの、本来住所として存在しないところに、トタン屋根で無理くり住む。

 雨風をしのぐ板を貼って、そこに住んでいたと。
つまり本来許されていない土地に、許されていない形で勝手に住み着いたということになります。
そこから地を這うようにして生きて、何とか生き延びてきたというようなことなんですけれども。

 区役所としては住所を与えなきゃいけないんだけど、正式に認めるわけにはいかない。
したがって番地のない駅の脇の、本来国鉄が所有している所に勝手に住み着いている人だけど、
戸籍謄本を作らなきゃいけないので、番地を与えるわけにはいかないから「無」という形で、番地のない住所に生まれ育った。

 これが私の最初の戸籍であります。
そういう地を這うような生活の中から這い上がっておりますので、親父がしていた仕事もロクな仕事じゃないですね。
日銭を稼がなくてはいけないから、焼酎を作って売るとか、豚を育てて売るとか、
おじいさんが少し空き地を耕して野菜を作るとか、そんな状況でした。



父が倒れ、兄が生活を支える中でも留学を決意した理由

 私の父と母がそれから結婚し、私と兄弟が生まれたわけですが、本当にそういうなけなしの状況で育って、
何とか一般の人並みの生活ができるようなレベルまで収入が立つようになって、働き盛りの親父は僕が中学生の時に血を吐いて倒れました。

 病院に入院しました。
私は入院している親父がいて、中学を過ぎた頃に家庭は暗くなりましたよね。
 働き盛りの親父が倒れて、お袋は毎日泣いているという状況で、兄は高校の1年生でしたけど、
高校を中退して、家計を支えるようになりました。

 そういう中で、私は突然アメリカに留学すると言い出したわけですね。
 もちろん親戚のおじさん、おばさんは「お前は何ちゅうことを言うんだ」と。
父が血を吐いて倒れ、母は毎日泣いて暮らして、兄は家族を支えるために高校を中退して頑張っている。

 お前は贅沢にただ普通に学校に行っているという状況の中で、ましてや家族の家計も苦しいのに、
1人で楽しそうにアメリカに留学とはどういうことだ? 
親戚のおじさん、おばさんにこっぴどく言われました。

「お前は冷たいやっちゃな。何のために行くんだ?」

「それはいろんな夢がある」

「それはお前の個人の夢だろう? 家族を支えなきゃいけない、今1番苦しい時に、何でそんな勝手な夢を持つんだ?」

 僕は、実は兄貴に「兄貴ありがとう。家族を支えてくれてありがとう。俺はアメリカに行ってくる」と言ったんですね。
兄貴は「そうか、なんでや?」と聞くわけです。

 僕が兄にその時言ったのは「兄貴悪いけど、今家族を支えてほしい」と。
「我が家の、うちの家族の近い将来の問題。
それを支えるのは、俺は今兄貴に頼りたい。
けれど遠い将来の家族、遠い将来のもっと多くの苦しんでいる人達を支えるために、俺はアメリカに行く」ということで、行きました。



日本国籍が泣きたいくらい欲しかった

 皆さん、ここにいる人はほとんど日本国籍、全員そうだと思いますが、
僕は十数年前にやっと、泣きたいほど望んで日本国籍をいただくことができました。
 今でも自分が何人かよくわかりません。
23代前は中国に先祖がいて、そして韓国に渡って、3代前から日本に。

 名前は孫正義ですね。
韓国でも珍しい苗字なんですよ。
 日本ではもちろんあり得ない苗字です。
ですから、日本で在日韓国人ということで、何十万人かが心で苦しんでいる。

 いろんな意味合いで苦しんでいる人達がいる。
僕も子どもの時は、ふと自分で自殺したいと思えたこともありました。
それは国籍問題で悩んだからです。

 泣きたいほど望んで得た、生まれながらにして自動的に得た国籍ではなくて、
泣きたいほどに、何で自分だけは日本国籍じゃないんだ。
 友達がクラスにいる中で、何で自分だけ変わった状況なんだろう? 
恥ずかしい、隠したい、そういう状況の中で苦しんだわけですけれども。
 それほど、泣きたいほど望んで得た日本国籍です。


孫正義氏が「孫」を名乗る理由

 でも多くの同じような境遇の子どもたち、若い在日韓国人の人たちが悩んでいる。
僕は彼ら、彼女らに伝えたい。

「そんなことはないんだ。本当は国籍なんちゅうのはただの紙きれだ。
本当はどんなバックグラウンドであれ、みんな同じ人間だ。みんな1つの人間として尊いんだ。
みんな同じ可能性、夢を実現できる可能性を持っているんだ」

「誰々が優れていて、何々国籍だと劣っていると。そんなことはないんだということを、
俺は絶対に証明してみせる。自分の人生をかけて証明をしてみせる」と。

 だからあえて「孫」という先祖代々の、当時家族親戚はみんな「やすもと」という日本名を名乗っていましたけども
「僕は留学して帰って来たら、先祖代々の『孫』という名前を名乗って、自分の国籍の過去も堂々とカミングアウトする」。

「その上で、立派に同じレベルの人間として仕事をしてみせる。多くの人々に貢献してみせるんだ」
ということを心に誓って兄貴に
「俺は自分自身の幸せ、自分の家族を支えるということに加えて、もっと多くの苦しんでいる若い子ども達に、背中で夢を示したい」
ということを言って、アメリカに発ちました。

 続く

「トビタテ!留学JAPAN」とは、どんなプロジェクト?

2017-07-29 | 教育
 「トビタテ!留学JAPAN」とは、どんなプロジェクト?
久保まりなさんという経験者の声を聞いてみる。


 「トビタテ!留学JAPAN」とは、2013年に文部科学省を中心として始まった官民協働の海外留学支援制度です。
その大枠の中で、奨学金を出して学生を海外へ送るプログラムが
「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」というものです。

 2020年までの7年間で約1万人の高校生、大学生を派遣留学生として送り出す計画です。

 こんなプログラムに取り組むということは、官も民も海外経験のある人材を求めているということです。
 そういうわけで、トビタテ側から留学生に期待していることは、
「支援企業と共にグローバル人材コミュニティを形成し“産業界を中心に社会で求められる人材”、
“世界で、又は世界を視野に入れて活躍できる人材”として育成されること」、

 そして「帰国後は海外体験の魅力を伝えるエヴァンジェリスト(伝道師)
として日本全体の留学機運を高めることに貢献すること」です。
 私もそういう人になりたいです。




 利用者側からみると、「自分メイドの留学プログラムを応援してくれる」
というところも1つ大きな特徴だと思います。


 トビタテは以下の5つのコースに分かれています。

・自然科学、複合・融合系コース
・新興国コース
・世界トップレベル大学等コース
・多様性人材コース
・地域人材コース

 この中から自分の留学計画に相応しいと思われるコースを選んで応募します。
各コースごとに定員が決まっており、選考はコースごとに行われます。

 選考プロセスは2つです。
 留学計画書による書面審査に通ったあと、面接審査を受けます。
第一期の審査では、留学計画書はA4用紙4枚分が用意されていました。

 面接審査は個人面接が30分、グループ面接が約1時間でした。
面接官は協賛企業の人事部の方々です。

 

 良いところはなに?

1.お金がいっぱいもらえるゥ!

 良いところの8割はこれです。
お金がないと何もできません。
 トビタテからは、留学先の授業料(上限30万円)、毎月の生活費、渡航費の一部、
事前・事後研修の交通費と宿泊費、壮行会の交通費がいただけます。
 返済不要です。
 ちなみに生活費や学費の支給額は渡航先によって変わるので、自分で調べてみましょう。


2.留学計画への極厚サポート!
 トビタテの派遣留学生に選ばれた人は、留学前に事前研修を受けます。
1日か2泊3日か、大阪か東京か、選べます。
私は2泊3日の東京研修に参加しました。


 この事前研修の目的は、
「派遣留学生へトビタテの意義を理解する」
「派遣留学生同士のコミュニティ作り」
「留学計画のブラッシュアップ」の3つです。

 これらの目的のために、特濃のプログラムが用意されます。
すばらしいゲストの講演、自己理解セッション、そして留学計画のプレゼンと意見交換。
 文字にするとなんだか味気ないのですが、本当に濃いです。
ずっとワクワクしっぱなしです。
 たっぷりの刺激を受けたおかげで自分に対する考え方が変わり、
留学の軸が「政治と宗教」から「ファッション」に移りました。
 そこから留学計画もかなり変わりました。

 それもそのはず、これは一流の研修会社が数社タッグを組み、多大な労力を費やしてつくられたプログラムなのです。
 まあそんなわけで詳しい内容を公にすることは出来ないのですが、
この研修を受けられただけでも、トビタテ生になったかいがあったってもんです。間違いないです。
 ちなみに事前研修の前には、その期の全トビタテ生が参加する壮行会という催しもあります。




 まとめ
 最後にもう一度、トビタテの理念に戻りたいと思います。
トビタテは政界と経済界がタッグを組んで、海外経験のあるグローバル人材を育成しようという目的の元に始まったプログラムです。
 潤沢な資金、自分の価値観と向き合う機会、そこから留学計画をより良いものにする機会、
そして計画の実行へのサポート。
 なぜここまで手厚いのかというと、トビタテ生は日本から投資されている存在だからです。
留学によって得た経験を、色んなカタチで日本に還元する役割を担っています。

 私の大学の教授はよく「アンパン精神を大事に」と仰っています。外はパンでも中はあんこなのです。
 つまり海外の経験や知識を身につけていても、心に日本のアイデンティティを意識し続けなさいよ、
ということだそうです。


 この理念に共感し、自分オリジナルの留学テーマがある人にとって、トビタテは最高のプログラムとなるはずです。
特濃の留学を経験したいアナタ、トビタテに応募してみてはいかがでしょうか?」


留学という人づくり ~トビタテ!留学JAPAN~ 娘がトビタツ

2017-07-29 | 教育
 7月28日、三崎高校2年の娘のカンボジアへの留学が始まった。
この日は、松山空港から羽田空港、そして成田空港へ移動して宿泊。

 入念なチェックをして、必要最小限のものを旅行バッグにつめこむ。
重さは約17㎏。

 朝、隣の実家の神仏に手を合わせに行く。
ご先祖様、神様への感謝とあいさつ。
大きな出来事がある時、子どもたちがいつもしていることだ。
 そしていよいよ出発。


 途中、車の中で娘が言った言葉。
「お父さん、ありがとう。こんな留学に行かせてくれて。」
 ぐっときた。
「うん。気にするな。おまえの未来への応援や。
いろんなことを経験して、誰かにお返ししたらいい。」



 松山空港へ着くと、近くの駐車場が満車で、遠くの駐車場からキャリーバッグを運ぶ。
後ろ姿を見ても、やる気が感じられる。だいじょうぶだ。


 
 空港ロビーで、「蛇口からミカンジュース」で、和やかな写真を撮りながら、


 荷物を預け、そして保安検査所へ並ぶ。
 この日は、大勢の人で大混雑。




 見送り者はここまで。
 娘から「ありがとう。行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」

 最後の見送りをするために、屋上へ上がる。


 羽田行きの大型ジャンボが準備されていた。
本日はどの便も満席らしい。


 いよいよ、一人だけのカンボジアへの2週間の学びが始まった。
トビタテ! カンボジアへ、そして未来へ。

 
          岬人(はなんちゅう)





 

伊方町の教職員も地域づくりに取り組む 

2017-07-28 | 地域づくり
少子化、人口減少、産業振興など地域課題が多い所は、
その課題解決に取り組むモデルになりうる。

 そう考えると、ふるさと伊方町は、日本の未来の先取りをしているのかもしれない。

 伊方町は地域づくりが盛ん。
そして教職員もその動きを始めた。


 伊方町教職員夏季研修会

1 目 的  
〇 相互理解を深めるとともに、連帯意識の高揚を図る。
〇 見聞を広め、教職員としての資質の向上に寄与する。
〇 伊方町の魅力(人・モノ・場所・歴史・文化等)を再発見し、
連帯して地域課題の解決に向けて取り組む。

2 日 時 平成29年8月1日(火) 13:00~ (受付開始12:30)

3 会 場 瀬戸町民センター他    駐車場・・・三机小学校グラウンド


4 参加者  西宇和郡内教職員(保育園、小・中・高校)、教育会会員、役場職員、
      地域住民等

5 内 容
(1)受 付     12:30~13:00 (瀬戸町民センター)
(2)全体会     13:00~14:15 (瀬戸町民センター)
  ① 開会行事     13:00~13:10
  ② 講  演    13:10~14:10(60分間)
  ③ 閉会行事    14:10~14:15



講  師 :  中 山  明 音  氏  (テレビ愛媛アナウンサー)

演  題 :  「 ふるさと絶賛 ~ 番組を通してみつめる地域 ~ 」
 

講師紹介 : テレビ愛媛の看板アナウンサー。
 宮崎県出身。
 愛媛県内の魅力を再発見する番組「ふるさと絶賛バラエティ いーよ」を担当。
 『地方を元気にできるのは、結局そこに暮らす人々しかいない!』
という思いをもたれ、ふるさとで歩み、未来を見つめる人たちに熱いエールを送られています。
       
 番組で伊方町が取り上げられたことは、過去4回あり、中でも中山アナウンサーは最も多く取材に関わられ、
伊方町の魅力を一番理解してもらっている一人。
    
 講演では、外からの視点で伊方町の魅力を伝えてもらえることでしょう。
 またアナウンサーということもあり、子どもたちに身に付けさせていきたい
コミュニケーション力という視点でも大いに参考になると思います。 


   

 講演会の参加は自由なので、ぜひ多くの人に聞きに来てもらいたい。
そして一緒に、伊方町の魅力を発見してほしい。

           岬人(はなんちゅう)

食は、ふるさとそのもの  ~愛南町のタイレッ丼(鯛レッド)~

2017-07-27 | 地域づくり
 今日7月27日、愛南町御荘に出張。
ご当地のおいしいものを食べたいと思い、
途中、内海の温泉レストランに入った。

 入り口に大きな看板が目についた。



 愛南町は、食育の先進地。
 
 2005年度より愛媛大学と協力して「ぎょしょく教育」プログラムの開発をすすめてきた。
「ぎょしょく教育」とは、魚や水産業についての理解を深める総合的な食育プログラムで、
魚や水産業のことを知るだけでなく、実際に魚に触って調理して食べることまで含んだもの。

 地元の美味しい魚介類を多くの人達に知ってもらい、
美味しく食べてもらうために、町を代表する水産物の
「タイ、カツオ、カキ、ブリ、ヒオウギガイ、ヒジキ」をイメージした
キャラクター「ぎょしょく普及戦隊 愛南ぎょレンジャー」を誕生させた。

 基本デザインは愛南町の小学生が考え、
キャラクターイラストデザインは、愛媛県立南宇和高校美術部が協力。


 注文はすぐに決まった。
地元の小学生が考えたという「タイレッ丼」(鯛レッド)。
 かつ丼ならぬ、鯛丼。




 外はカラッとあがり、
中は鯛の甘味が口に広がる。

 食は、ふるさとをあらわす。
食は、ふるさとそのもの。


      
               岬人(はなんちゅう)

日の丸には、海がよく似あう

2017-07-27 | 感動
 7月2日(日)、松山観光港から広島県呉、宇品港へ。

暑い日だったが、海上での風は心地よく、潮の香りも運んでくれた。


 真っ青な瀬戸内海を船は切って進む。


 船に掲げられていた日の丸がかっこよく見えた。




 日の丸には、海がよく似あう。
  
                 岬人(はなんちゅう)

南予ふれあい乗馬クラブで馬とたわむれる

2017-07-26 | 感動
 6月17日(土)。
娘を松山空港に送り届けて家路につく。

 いつも「何かおもしろいことはないかな」と探っている。
気になっていた場所がある。

 長浜の道路沿いに「南予ふれあい乗馬クラブ」が数年前からできていた。
そしてこの日ついに寄ってみた。

 

 オーナーが気持ちよく応対してくれ、
馬に関するまざまな話を聞かせてくれた。
 

 かつていくつかの賞をとったことがある馬も。


 そしてポニーも。


 オーナーと話が大いに盛り上がり、
「乗ってみますか」
とのありがたい言葉。

 お言葉にあまえ、乗らせてもらう。
私のお相手は、この白い馬。


 何度か経験があったが久しぶりだったので、
少し緊張ぎみ。
 いざ出発。


 青い海を見ながら、乗馬できるなんて。
それがとてもめずらしく、すばらしいことだそうだ。
 だんだん勘をとりもどし、心地よい。


 乗馬は自然の中に溶け込み風の音、馬の息使い、
走る音など普段の生活では味わう事のできない感覚を味わうことができ、癒しの効果も味わえる。

 馬とは日本古来から人間と共に歴史を歩んできた動物なので、
人間の気持ちもおもしろいぐらい理解しているらしい。
 だから、乗っている人が楽しんでいると、馬も楽しいそうだ。

 馬と心を通わせたすてきな時間だった。

      
               岬人(はなんちゅう)


官民協働海外留学支援制度~トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム~  文部科学大臣あいさつ

2017-07-26 | 教育
 「トビタテ!留学JAPAN」に対して、
文部科学大臣が以下のようなあいさつをしている。

 
 世界はどんどん変化します。
 あらゆる場所でグローバル化は加速し、情報通信や交通分野での技術革新により、人間の生活圏も広がります。
 
 また、世界は今、貧困や環境、エネルギーといった多くの地球規模課題を抱えています。
 こうした中、先進国である日本は、それらの課題に積極的に取り組むことが求められており、
そのためには、異文化を理解・尊重するグローバル意識を持つ人材が必要です。
 加えて、経済活動の変化と広がりに対応する上では、既成概念にとらわれない、チャレンジ精神も必要です。

 そうした人材を育てるための一つの有効な手段が、海外留学です。
 私は、若い皆さんが社会に出るまでに一度は日本から飛び出して、
広い世界を肌で感じ、外から自分自身や日本を見つめ直し、
先を見通すことが難しいこれからの時代を生き抜く力を身に付けてほしいと思っています。


 このため、文部科学省では、2013年10月から、留学促進キャンペーン「トビタテ!留学JAPAN」を開始しました。
これは、海外留学の魅力や意義、様々な支援の機会などについて、政府が広く情報を発信することで、
大志あるすべての若者が、海外留学などの新しいチャレンジに自ら一歩を踏み出す、
そういう気運を醸成しようとするものです。


 さらに、政府だけでなく、社会総掛かりで取り組むことでより大きな効果が得られるものと考え、
各分野で活躍されている方々や民間企業からの御支援などにより、
官民協働で「グローバル人材育成コミュティ」を形成し、
将来世界で活躍できるグローバル人材をオールジャパンで育成する取組をスタートしました。

 その中心が、2014年度から始めた「官民協働海外留学支援制度~トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム~」です。
 2020年までに200億円を目標に寄附を募り、1万人の意欲と能力ある若者を、産学官で選び、育て上げるとともに、
その若者たち自身も巻き込み、社会の空気を変えていこうという前例のない取組です。



 あわせて、政府では、日本が抱える社会課題や地球規模課題を自ら発見し、
解決できる能力を有したグローバルに活躍する人材や
グローバルな視点を持って豊かな地域社会の創造に積極的に貢献しようとする志を持った人材の育成を目指し、
初等中等教育から高等教育の各段階に応じた教育改革や国際化に取り組む高校・大学への集中支援とともに、
国費による海外留学支援の抜本的な拡充にも取り組んでいます。

 若いうちに海外に飛び出すことで得る新たな気付きや出会いが自分自身の成長はもちろんのこと、
何よりも日本の未来を切り拓くことに繋がると確信しています。

  若い世代が、一人一人の可能性を最大限に伸ばし、
既成概念にとらわれず夢に向かってチャレンジできる社会を実現するよう、
50年後100年後の日本の未来も見据えて全力で取り組んでまいります。

 将来の日本を支えるグローバル人材の育成につきまして、皆様方の御理解と御協力をよろしくお願いいたします。



                      文部科学大臣
                      教育再生担当大臣  松野 博一 




 若者よ、トビタテ!

 7月28日、カンボジアへ。


               岬人(はなんちゅう)

「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」の大阪での説明会

2017-07-24 | 教育
 1ヶ月前の6月17日(土)、三崎高校2年の娘は、「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」の事前説明会に大阪に飛んだ。



 これは、2014年からスタートした官民協働で取り組む海外留学支援制度。

 2020年までの7年間で約1万人の高校生、大学生を
「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」の派遣留学生として送り出す計画。

  派遣留学生は支援企業と共にグローバル人材コミュニティを形成し
”産業界を中心に社会で求められる人材”、
”世界で、または世界を視野に入れて活躍できる人材”へと育成される。

 帰国後は海外体験の魅力を伝えるエヴァンジェリスト(伝道師)として、
日本全体の留学機運を高めることに貢献することが期待されている。

 高校生プログラムの特徴は
・留学内容、渡航先、期間[14日~1年間]を生徒が自由に設計できる。
・返済不要な奨学金が給付される。
・充実した事前・事後研修で留学の質を高められる。
・全国から集う個性豊かな高校生と仲間になれる。



 何ともうらやましい。
高校生のうちから、これほど自立的、主体的な活動ができるなんて。

 娘が立てた留学計画の場所は、カンボジア。

 ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアでもなく、アフリカ、南米、南アジア、中央アジア、中東でもない、
カンボジア。
 2週間の国際ボランティア。

 日本から一人でカンボジアに行き、世界から集まった同世代の若者たちと一緒に、
家庭的に困難な子どもたちが暮らすケアハウスでボランティア活動をする。



 練習を兼ねて、大阪での事前説明会を一人で行かせた。
しかも始発の飛行機に乗り、最終の飛行機で帰ってくるという日帰り。

 飛行機の搭乗手続きの仕方や注意することを一通り教え、見送った。



 大阪に着いてからは、ふるさとの親友のまーくんが、
一緒にいて、いろいろと手助けしてくれたようだ。

 まーくんとの電話での会話がおもしろい。
「ほとんどの保護者が一緒について来ちょったぞ。
しかし、集まった高校生たちは、いい瞳をしちょった。
日本の未来も捨てたもんじゃないと思ったぞ。」


 昔から言われてきた言葉を思い出す。
「かわいい子には、旅をさせろ。」

 子どもの巣立ちの準備が始まった。


     岬人(はなんちゅう)

 

 

 

部活動がめざすもの

2017-07-24 | 感動
 現在、愛媛県中学生総合体育大会がくり広げられている。

 中学生にとっては、熱い熱い夏。

 2年前の平成27年県総体を思い出す。

 「7月21日、娘たちの最後の試合、愛媛県中学校総合体育大会。
汗が流れ落ちる暑い夏も、北風吹き付ける凍える冬もがんばってきた。
八幡浜・西宇和の予選を勝ち抜き、最後となる県大会。

 相手は、強豪ひしめく越智・今治地区から勝ち上がってきたペア。
後衛の強気なストロークがそれを物語っていた。

 それに対し、一本の強さは弱いが、ねばり強く、絶対にあきらめない試合を展開する娘たち。
 1ゲーム目、いきなりサービスキープ。
レシーブゲームをとりやすい中学校ソフトテニスにおいて、とても良いスタート。
2ゲーム目のレシーブをとると思いきや、固さがみられ、ねらいもわずかにそれ、レシーブゲームを落とす。

 その後またしても、サービスをキープ。
そしてレシーブもとり、3-1と圧倒し、王手をかける。
次のサービスゲームをわずかな差で落とし、3-2。
追いこまれても強気に攻める相手ペア。
わずかなところでボールに嫌われる娘たち。
続くレシーブゲームも落とし、3-3のファイナルゲーム。



 流れが相手にあるなか、始まったが、気持ちをきりかえ、途中5-3のリード。
7ポイント先取なので、圧倒的に有利。
しかし勝利は遠い。
強気な相手がまたしても追いつき、逆にマッチポイントをにぎられる。
祈るような次の1本。
取り返し、デュース。
ねばり強く、ボールにくらいつく娘たち。
これで今までも勝ち上がってきた。

 勝利の女神は相手に微笑んだ。
そして娘たちの3年間は終わった。



 うまくいかないことはたくさんあったが、
ここまで打ちこんできたことは、娘たちを強くたくましくした。

 部活動のすばらしさはそこにある。
青春のかけがえのない思い出となった。

試合後、監督や私たちといっしょに応援に来てくれた祖父母に
「応援ありがとう。」
と気丈に言う娘たち。
 目は赤くなり、涙を浮かべていた。

 思うような試合ができず、ずいぶん悔しい思いをしていることを察することができる。
それでも気持ちをしっかりと持ち礼を尽くす姿。

「君の涙、輝く一滴、勝利の雫」
人生において、大きな雫となるだろう。
 」



 部活動がめざすのは、勝利だけではない。
その過程で大切なものをたくさん手に入れていく。

 岬の子どもたちには、汗と涙との引き換えに、人生の宝物を手にしてほしい。


          岬人(はなんちゅう)


「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」 生きる力を育む

2017-07-22 | 教育
 世界中の人やモノが交じり合うグローバル化が進み、あっという間に情報が世界を飛びかう現在。
 そしてロボット、はたまたAI(人口知能)がどんどん進む中、
不透明で予測できない未来だと心配されている。

 だからそんな社会を生き抜く力をつけていくことが、学校の教育に求められているようだ。

 何とも大きな期待だ。
もちろんそんなことは学校だけでできることではない。
家庭や地域等と連携しながら、アイデアを生かした特色ある取組が期待されている。

 その取組を通して、
確かな学力、豊かな心、健やかな身体を育てていく。
 昔から言われている「知・徳・体」のバランスがとれたうえでできる「生きる力」をつけていく。

 言わば一昔前の日本のそこここにあったあたりまえの教育のような気がする。

 社会がグローバルになったとはいえ、教育が目指すところは変わらない。
地に足がついたことが大切だろう。

 自立(ひとり立ち)すること。
 協働(自分の個性を生かして、協力して行う)すること。
 創造(新しいものをつくり出す)すること。

 自分のことがしっかりとでき、自分の持ち味を誰かのために生かしながら、
協力して新しいものをつくり出す。
 
 これはまさに、ふるさとの田舎そのもの。



 
 三崎高校2年の娘がおもしろい事業に参加させてもらうことになった。
それは、「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」。

 1ヶ月前の6月17日(土)。
事前説明会のため、大阪へ飛び立った。


息子から届いた父の日のメール

2017-07-22 | 家族
 ほぼ1ヶ月ぶりのブログ更新。
田舎に住んでいながら、完全にワークライフバランスが崩れていた。
書きとめておきたいことは、たくさんあったのに。
 撮った写真を見返しながらつづっていくことにする。

 6月9日(金)、いつものように息子が授業を終えて松山から帰って来た。
いつも保内の友達の車に便乗させてもらっている。



 そして土・日と家の手伝いをして日曜の午後松山に向かうパターン。
10日(日)に、母と一緒に冷蔵貯蔵していた清見タンゴールの選別作業。



 いろいろな話に花が咲いていた。
孫とのこんな時間に、母はすごくうれしそうだった。

 ばあちゃん子だった私にはよくわかる。
ばあちゃんからとても大事にされた。
今、息子がそうされている。

 時代は繰り返され、愛情はつながっていく。

 1週間後の6月18日(日)の午前中。
携帯に息子からメールが届いていた。

「父の日、おめでとう。
何もできんけど(笑)、フェイスブックを見て、思い出したわ。」

 何もいらない。
この言葉だけで十分だ。
高校時代までは、こんなことを言う息子ではなかった。
 
 巣立って初めてわかることがある。
さまざまな経験や出会いから成長していく。

 人が育つって、うれしい。

              
      岬人(はなんちゅう)


猛烈な‥

2017-07-06 | ブログ
 田舎暮らしなのに、忙しい。

もうしばらくブログ更新をしていない。

 書くことは、たくさんあるのに。

この忙しさが、一息ついたら。


 今回の台風、梅雨前線で各地に被害が出ている。

こちら佐田岬、平礒は大したことはなかった。

 被害にあわれた方々の1日も早い復旧を祈る。


            岬人(はなんちゅう)