喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

喜久家のゆかいな仲間たち

2015-08-24 | ブログ
 ただ今、平礒の喜久家には、3人の若者のボランティアがいる。
ロシア、カザン出身のアザト、初めてのベトナム出身のミン、そして先日合流したフランス、パリ郊外のソフィアン。
3人とも23歳の同い歳。
イケメン。

 

 父と母が、暑い中よく働いてくれる3人に夕食をごちそう。
涼しくなった母家の縁側で、一席もうけられた。

 日本が初めてのパリのソフィアン。
ジャパンエキスポでアルバイトをしたことがあるほど、日本好き。
特にマンガ、アニメに興味があるようだ。

 ムスリムということもあり、生活に凛としたけじめがある。
1日5回の礼拝。 酒・肉には、手をつけない。
鍛えられた体は、彼のまじめさをあらわしている。

 初のベトナム出身のミン。
日本語もずいぶんと上手になってきた。
そして、表情が明るくなり、よく笑う。
彼がいるだけで、その場が和む。
 
 敬虔な仏教徒。
毎日、自分を見つめるために座禅をするようだ。

 そして、ロシアのアザトは、かなりの日本通。
歴史的なことも、さらに精神的なことについても理解を示す。
3人の中で、1番日本語がわかるので、通訳としての働きもしてくれている。

 この田舎である平礒をとても気に入ってくれていて、
今月29日に出発することになっているが、また必ず帰って来たいと言ってくれる。
「喜久家プロジェクトという取組はとてもいい。」
と絶賛。

 日本の小さな人口50人の郷で、
 ロシア、フランス、ベトナムの同じ年齢の若者が集い、
自分や自分の国を見つめなおし、未来について語り合う。
 そんな彼らといっしょにいるだけで、わくわくする。

 地域づくりのポイント。
若者・ばか者・よそ者。


 一生忘れることがない3人の若者たちだ。

 
           岬人(はなんちゅう)



 

四国最西端の佐田岬灯台

2015-08-24 | ブログ
 22日(土)、久しぶりに佐田岬灯台に行ってみた。
昔は、夏に必ず訪れたものだ。

 位置的に様々な言い方がされる。
例えば、「四国最西端」。

 それも間違いではない。
でも九州から見ると、目と鼻の先にある。
四国の玄関口とも言える。

 目線を変えてみると、ちがった思いと楽しみが生まれてくる。
そう、九州とのつながり、交流をもっと探してみることもおもしろいだろう。

 佐田岬灯台に着いた頃には、太陽が西方の九州に沈み、
オレンジ色の夕暮れとなっていた。



 それからしばらくすると、灯台の灯りがついた。
海の安全を見守る灯り、暗闇の希望の光、将来を照らす灯り。
1918年(大正7年)4月1日に初点灯。

 

 未来に残したいふるさとの風景。

         岬人(はなんちゅう)

平成27年 第70回愛媛県戦没者追悼式での献花

2015-08-20 | ブログ
 8月15日、70回目の終戦記念日。
初めて愛媛県戦没者追悼式に出席した。



 終戦から70年が経過し、戦後生まれが8割超となった。
戦争体験者も高齢化し、70代の人でさえ、その記憶が薄い。

 記憶が薄かったり、記憶に残っていない戦没者への思いをどのように引き継いでいくのか、
戸惑いもみられるようだ。

 今年76歳になる私の父でさえ、戦争で亡くなった自分の父の記憶はほとんどない。
それでも母や周りの人たちからの話で、父の姿を感じることができる。

 そんな父から7月に入って話があった。
「遺族も高齢化し、孫やひ孫の若年世代の遺族も追悼式に参加してもらおうとする流れになっている。
参加してくれんか?」

 もちろん、断る理由など全くない。
 参列の申し込みをしてすぐに、愛媛県の事務局から電話があり、
代表献花をお願いできないかとのこと。
 さすがこれには、とまどってしまったが、謹んで引き受けることにした。


 9時30分ころ、松山市のひめ銀ホールに到着し、
いっしょに献花するひ孫の小学生と中学生とご対面。
 担当者から説明を受け、リハーサルをした。

 周りを見わたすと、かなり人が入っている。
2000人との発表があった。



 隣の2人は緊張気味。
ひいおじいちゃんの話などを聞いているうちに、少しずつ笑顔が見られるようになった。
そして、一番かっこよく、思いをこめて献花しようと気持ちをそろえ、本番を待った。

 10時30分、知り合いの大澤アナウンサーの司会により、愛媛県戦没者追悼式が始まった。
 君が代斉唱、黙とう、県知事の式辞、追悼の辞(県議会議長、遺族代表)、追悼電報の披露、
そして献花が始まった。

 「若年世代遺族代表 殿」
 私たち3人は、起立し、会場の参列者に向かい深々と礼をし、菊の花束を受けとった。
その後、中央祭壇の前に立ち、心をこめて、献花を行った。
隣の2人も落ち着いた様子。
本当にすばらしかった。


 
                                  「献花する孫の私(一番奥)」
 式典が終わり、ほっとひと息。
記念にそろって写真を撮ってもらった。


                                 
 日中戦争以降の県内の戦没者は、戦地で負傷し帰国後に死亡した人も含めて、
軍人・軍属が、4万4562人。
空襲で亡くなった人は、1251人。

 私の祖父の悲しい物語。
亡くなった方の数だけ、悲しい物語がある。

 この悲しみをくり返さないことが、私たちに引きつがれた最も大切なこと。



              岬人(はなんちゅう)

 

自然てんこ森 ~大野ヶ原自然探検~ 子どもと自然をつなぐ地域プラットフォーム形成支援事業

2015-08-19 | ブログ
 昨日、8月18日(火)、伊方町の小学生5・6年生たち32名といっしょに愛媛県西予市大野ヶ原に行った。

 このイベントのネーミングがいい。
「自然てんこ森 ~大野ヶ原自然探検~」

 久しぶりの大野ヶ原。
下界では味わえない涼しさ。

 いざ、ブナの原生林へ。
子どもたちのほとんどは、生きた牛を見たことがないので、興奮気味。



 ブナの林は、まるで緑のエアコン。
ここでしか見られない貴重な草花、樹木、昆虫、鳥を興味深く見つめる。

 まさに、センス・オブ・ワンダー。




 ちょっとした探検気分。


 ブナの森は、命を育む母なる森。
そしてその壮大な美しい姿から、森の女王とも呼ばれる。



 漢字で書くと「橅」。
 このブナは、建築資材としては狂いが大きく、腐りやすいため、
役に立つものは何も無いとして、この字が書かれている。

 でも実際は、たくさんの雨水や雪解け水を蓄え、緑のダムとしてとても貴重。
しかも木の実は、栄養価が高く、多くの動物たちの命を支える母なる木。

 ブナの林に風が通り抜ける時、ブーンとう音がすることから、
ブーンとなる木、ブナの木とされたとも言われている。


 
 この日、楽しく、興味深く自然ガイドをしてくれたのは、
八幡浜市の「どんぐりドンさん」



 
 子どもと自然をつなぐ地域プラットフォーム形成支援事業とは、
様々な自然体験活動をスムーズに実施できる「地域プラットフォーム」をつくり、
地域での持続可能な体験活動をしていくためのしくみづくりをめざしている。

 こんな体験をすることで、地域の自然をより深く理解し、地域が大好きな子どもを育てることが大切。

 秋には、ふるさと佐田岬を舞台に、楽しい自然体験活動が実施される予定。

 自然てんこ森、最高。


               岬人(はなんちゅう)
 

掃き清めたのは、心だった

2015-08-19 | ブログ
 今日はめずらしく早く帰宅。

 夕暮れ時、少し時間があったので、
いつもの玄関先と小道の掃除をする。



 この2・3日、何かスッキリしないことがあった。
箒で掃いていると、心がスッキリしてくるのがわかる。

 ふと、思った。

 掃き清めたのは、小道というよりも自分の心かもしれないと。



 この道は、多くの人たちが、大昔から歩いた道。
そしてこれからも歩き続けられる道。

 そんなふるさとの暮らしの感じられる道を大切にしていきたい。

 自分の心を清めながら。



               岬人(はなんちゅう)


 

迷える子羊ならぬ、飲みすぎの響未(こひつじ)

2015-08-17 | ブログ
 8月12日をふり返る。

 松山での飲み会。
時間があったので、お城下を散策。
 電線を地下に埋設し、歩道が整備され、ゆっくりと歩けるここが最近、お気に入り。

 道後やや、夢蔵のホテル経営、今治タオル「伊織」、様々なオレンジ製品を手がける「10ファクトリー」
などの経営者でもある大藪崇さんの店や商品を見て回る。
 実におもしろい、そして斬新。
多くの人とつながり、まきこみ、喜びを共有する経営観。

 店に入るときには小雨が降っていた街も、雨が上がった。


 飲み会会場の響未へ向かう。
響未と書いて、こひつじと読む。洒落ている呼び名。

 店先につくと、中が見えないモダンな建物。
おそるおそる入口を入る。
ちょうどいい明るさのライト、そしてこれまた洒落た部屋のデザイン。

 感じのいい店員さんが注文をとりにくる。
もちろん、生ビールに決まっている。
ここの生ビールは、えびすビール。
これまた幸せな気分。


 おとうしに出されたのは、
酒が好きな私にはピッタリのものばかり。



 少量で、めずらしくて


 これがトマトとは。


 刺身には舌が肥えている私だが、このおつくりも上等。


 ビールもどんどん進む。

 料理は、どんどん出されるのだが、飲むことで精いっぱい。
いつものことながら、なかなか手が回らない。
結局、食べてもらったり。

 話も切れることなく、湧き出て、盛り上がる。
飲むほどに酔うほどに。

 しだいに大きな子羊は、迷走(め~、走)し始める。
まさに飲みすぎの響未(こひつじ)。


 久しぶりの再会。
そしておいしい料理とお酒。

 松山の夜は、まだまだ終わらなかった。

 部屋に帰るとライトアップされた松山城が見えた。
灯りを落とすと、さらにきれいに見える。

 そんな中、人の大切さを心から感じた。
ずっと大切にしていきたい宝者(たからもの)。

 再会を楽しみにしながら床に就いた。
羊が1匹、羊が2匹…。
 何匹も数えないうちに、深い夢のなかへ入っていった。


           岬人(はなんちゅう)


娘がレッドウィングから帰国

2015-08-17 | ブログ
 8月11日をふり返る。

 7月29日からアメリカ、ミネソタ州レッドウィングにホームステイしていた娘が帰ってきた。



 多くの人の支えがあり、とても貴重な経験ができた。



 日本やふるさととの様々な違いを感じたことだろう。
そして似ている部分も。

 実家に帰って母家にあいさつに行った娘から出た言葉が、
「ばあちゃん、レッドウィングは広くて、きれいで、人はやさしくてとてもいいとこやったよ。
でもここが一番落ち着けるなー。」

 それが感じられただけでもすばらしい経験だったにちがいない。

 違いは、豊かさにつながる。

          
         岬人(はなんちゅう)

長崎という街

2015-08-17 | ブログ
 8月9・10日の後追いブログ。

 9日は、長崎原爆の日。
平和祈念式典に参加した後、大好きな長崎の街を散策することにした。

 そこで、福岡に住んでいる大学の時の親友である長崎出身のゆきちゃんに電話し、
おすすめスポットを聞くことにした。

 電話で聞く久しぶりの懐かしい声。
「今、長崎におるんやけど、どこかおすすめ教えて。」

 すると、思いもよらない返事。
「私も今実家に帰っておるとよ。
夜やったら空くけん、会おうや。」

 妻もゆきちゃんと何度か会っているので、世界3大夜景に選ばれた稲佐山に連れて行ってもらうことになった。

 この後さらにすごい展開となり、
結局夜景を見に行く前に、ゆきちゃんの実家に寄せてもらった。
 初めて会う中学生の息子さん。両親によく似ていた。
そして元気なお母さん。
いろいろな話に花が咲いた。

 ゆきちゃんは、歌手の福山雅治さんと同じ小学校・中学校で、
しかも同じブラスバンド部で、彼は一つ後輩。
 お母さん同士もとても仲が良く、
「雅治くん」と親しみをこめて呼ぶ間柄に、ゆきちゃんやお母さんを通して
福山雅治さんがとてもすてきに感じられた。

 娘は、大ファンなので、わくわくしながら話を聞いていた。

 通っていた幼稚園や小学校、そして実家やマンションを案内してもらい、
裏話を聞かせてもらいながら、ふるさとや家族をとても愛している福山雅治さんを
同じ思いをもつ者として、身近に感じた。


 そして上っていた稲佐山。
久しぶりに見る夜景に感激。
 初めての娘は、感動していた。
この灯りの下にそれぞれの人たちの暮らしがある。
そう思うと、幸せな気持ちでいっぱいになった。



 もちろんゆきちゃんとも記念に。
娘もいっしょに。

       
 友とのとてもすてきな時間。
ずっと大切にしたい。

 翌日10日は、大浦天主堂とグラバー園を見てまわった。
長崎は、歴史をひもとけば、異国との交流の街。

 キリスト教と結ばれた祈りの街。
そこには、喜びと苦難の道が混在している。
原爆が落とされた時もそうであっただろう。


                    「国宝の大浦天主堂」

 長崎の街を感じながら、自分のふるさとについてふり返った。
大切なものを護っていこうとする純粋な心。
そして、ふるさとの外の世界や人との交流。
 そんなことを大切にした郷づくりを進めていきたい。


        岬人(はなんちゅう)
 

70回目の長崎原爆の日 ~長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加~

2015-08-17 | ブログ
 この10日間、様々なことがあり、後追いブログとなってしまった。

 8月8日、二名津で「わが家ライブ」のイベントが終わり、
すぐに午後10:30発の九四フェリーに乗りこみ、長崎へ車を走らせた。
70回目の長崎原爆の日「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参加するためだ。

 昨年は、娘たち2人といっしょに広島平和記念式典に参加。
今年は、妻と娘一人と3人で向かった。
 見ておきたい・感じておきたい2つの式典。

 昼間は、岡山シーガルズとの交流会、午後からは練習試合。
夜は、二名津の「わが家ライブ」の記録撮影。
 長崎への運転は、疲れで途中何度か休憩を取りながら、
8月9日午前8時には、平和公園に到着。

 この日長崎は、70回目の原爆の日を迎えた。
 爆心地に近い長崎市松山町の平和公園で、市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。
被爆者や遺族、安倍晋三首相らが参列し、原爆死没者の冥福を祈った。


                                   「安倍首相のあいさつ」

 田上富久市長は平和宣言で、「悲惨な戦争の記憶を語り継いでいくことが必要だ」
と世界に呼び掛けた。
国会で議論されている安全保障関連法案についても言及し、政府と国会に対して、慎重な審議を求めた。(時事通信)



<長崎原爆の日>平和宣言全文

 昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟と化しました。

 大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。
24万人の市民のうち、7万4000人が亡くなり、7万5000人が傷つきました。
 70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。
しかし、放射線に体を蝕(むしば)まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを一日たりとも忘れることはできません。

 原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。

 原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、
核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。
 日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、
戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。
 長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

 今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。
 長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、
そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。

 70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。

 原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。

 若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、
平和への思いをしっかりと受け止めてください。

「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。
そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。
 若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。


 世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。
戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。
 長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

 私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。
市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。
しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。

 NPT加盟国の首脳に訴えます。

 今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。
国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。

 また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。

 改めて、長崎から呼びかけます。

 オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、
70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。
 被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。

 日本政府に訴えます。

 国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。
アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。
 未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。

 この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。

 11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。
核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。

 「ピース・フロム・ナガサキ」。
平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔(ま)き続けます。

 また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。

 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。
70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。
政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。

 被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。
日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。

 原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧(ささ)げ、
私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

 2015年(平成27年)8月9日
                     長崎市長 田上 富久 」


 私たちに必要なことは、原爆を体験された方々に耳を傾け、
その事実を知り、語り継いでいくこと。

 平和のために自分にできることを考えていくこと。
そんな想いを強くした長崎原爆の日だった。


                   岬人(はなんちゅう)


二名津の「わが家ライブ2015」

2015-08-12 | ブログ
 8月8日、昨年に続き、隣の地域の二名津で「わが家ライブ2015」が開かれた。
写真でふり返ってみる。

 オープニングは、三崎中学校の合唱。
愛・平和・勇気・やさしさ・ふるさとをキーワードにした心にしみる合唱の数々。
 

 地域の音楽グーループもリコーダーの美しい音色を響かせた。


 松出身の歌手サスケさんもうっとり。
隣は、喜久家プロジェクトのロシア出身のボランティア「アザト」。


 大人気の「なっちゃん」の二人。


 もちろん、増田さんも演奏。山ちゃんブラザーズ。


 ノスタルジックなちょうちん。


 今年は、アートプロジェクトも新たに取り組まれた。


 責任者は、いとこの広。
喜久家ボランティアのアザトやミンと準備した、星空の美術館。


 お腹を満たす屋台係。
暑い中、たいへんだった。
平磯の貴光や幸徳・息子の武蔵も焼いて、焼いて、焼き続ける。




 二名津を中心とした新しいコミュニティーのカタチ。
本当にすごい。

                岬人(はなんちゅう)




伊方町バレーボール教室  ~岡山シーガルズ~

2015-08-12 | ブログ
 後追いブログ。

 8月7日、プレミアムリーグの岡山シーガルズを迎えて、
伊方町バレーボール教室が開かれた。

 

 7年目にあたり、河本監督はじめずいぶんと知り合いの選手・コーチも増えた。
 子どもたちにとっては、自分たちが目標とするバレーで活躍する人たちからバレーを教えてもらえる、
夢のようなできごと。

 伊方中学校バレー部の子どもたちも生き生きとした様子。
河本監督自らボール出しをしてもらう。

 

 5年前から親しくしてもらっているリベロプレーヤー20番の丸山選手。
とっても誠実で、キラキラした瞳でバレーを語ってもらった。



 全日本登録の山口選手と宮下選手はいなかったものの、
豪華なオールスタッフの顔ぶれ。
 このように全員がそろうバレー教室は、めったにない。



 2017年、愛媛国体の成年女子バレーボール会場として、伊方町を盛り上げていきたい。

                岬人(はなんちゅう)


日本の美  ~茶道について~

2015-08-12 | ブログ
 後追いブログ。

 8月3日、久しぶりにお茶を体験した。



 亭主のおもてなしの心がそこここに感じられる。



座敷の雰囲気、掛け軸、花瓶に生けられた花、器、お菓子など。



 まさに茶道は、日本の美しさを表す総合的な芸術だと感じた。


 夏の昼下がり、少しだけだが侘び(わび)・寂び(さび)を感じる時間だった。

                  岬人(はなんちゅう)

愛媛県立三崎高等学校の芸術発表会

2015-08-03 | ブログ
 四国最西端の愛媛県立三崎高等学校の芸術発表会。

 小さく、手作り感満載。

 招待された地元、三崎中学校の全校合唱。




 伊方中学校のブラスバンド部も参加。
先日県吹奏楽コンクールで金賞を受賞したジャズを演奏。
大いに盛り上げた。



 家族や地域の方が見守るなか、アットホームな芸術祭。
こんな小さな発表会の積み重ねが大切。


            岬人(はなんちゅう) 

ロイヤルシティー佐田岬リゾートの自然の庭を訪問

2015-08-03 | ブログ
 昨日も夏らしい一日だった。
朝から盛りだくさんの活動。

 まず、喜久家メンバーのなっちゃんとみおちゃんが里帰りしてくれているので、
2人を連れて、ロイヤルシティー佐田岬リゾートの大利さんを訪問。

 いつもこころよく受け入れてくださる、喜久家の応援者。



 暑い日差しだったが、庭にある東屋は涼しい風が通り、
そこでいろいろな話で盛り上がった。

 ここでは、鳥に手渡しでえさがやれる。



 なっちゃんも初めての体験。
なかなか鳥が来ない。
 そして油断していたとき、さっと舞い降りえさを取って飛び立った。
一瞬のできごとになっちゃんは、驚きの声。

 続いてみおちゃん。
がまん強く待つ。
すると、ついにその手に鳥が舞い降りた。





 これには、2人も感動。

 働くこと、生きること、学ぶこと、幸せについて。
いろいろな話を語り合った。

 とてもすてきな出会いとなった。
まさに、出会いは感動。

 人は人によりて、人となる。



 この出会いが、将来自分の生き方の道しるべとなるかもしれない。


                岬人(はなんちゅう)


第63回全日本吹奏楽コンクール愛媛県大会  ~伊方中学校のキセキ~

2015-08-01 | ブログ
 昨日7月31日から松山市民会館で、第63回全日本吹奏楽コンクール愛媛県大会が始まった。
地元の伊方中学校は、30人以下で構成されるB部門に出場。
50校近い学校が出場し、四国大会への2枠をめざす。

 伊方中学校ブラス部の日ごろの活動は、すばらしい。
 自分たちで自立して活動していかなければならないという気持ちが育っているし、
地域の行事にも積極的に参加し、地域に元気をとどけている。
 
 この日の演奏は、やはりいつにも増して気持ちがこもっていた。
子どもたちの普段の様子を知っているだけに、心が熱くなり、涙がうるんだ。

 演奏は、最後のあたりで夕方5:30を過ぎていた。
朝から1日集中力を切らすことなく、持ち続けることはたいへんだったことだろう。

 演奏後、ほっとしたのか。



 6時を回り、いよいよ結果発表。



 それぞれの学校ごとに金・銀・銅賞で評価され、審査員から読みあげられる。
次々と読みあげられていくなかで、さまざまな光景がくり広げられる。
「○○中学校、ゴールド・金」という発表があると同時に、
「ワー」という喜びの歓声や拍手がおこり、盛り上がる学校もあれば、
思ったような結果にならなかった学校は、静かに、ぐっと悔しさをこらえるような場面もあった。



 そしていよいよ伊方中学校の発表。
緊張の一瞬。静まりかえる。
「伊方中学校、ゴールド・金」
という発表と同時に、
「ワー」という喜びと大きな拍手の音。
応援に来ていた家族のみなさんも涙をぬぐって喜び合っていた。

 金賞の中から四国大会へ出場する2校が発表された。
残念ながら、それには選ばれなかったが、大したものだった。



 最後に、それぞれの学校ごとに表彰状がおくられた。



 明日、日曜日は地元三崎高等学校の夏の芸術祭。
このイベントに三崎中学校の合唱と伊方中学校のブラス部による演奏も行われる。

 子どもたちの活動が、地域を元気にしている。

               岬人(はなんちゅう)