喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

陰山英男コラムより ~たくましく生きる~

2011-03-31 | ブログ
 100ます計算の実践で有名な尾道出身の陰山(かげやま)英男さん。
そのコラムにおもしろいことを書いていましたので紹介します。

「洗練されたカリキュラムや無駄のない学習法で学んだ都会の中高一貫校生は、
難関大学に合格するかもしれない。
 だが、国際レベルでの競争力が求められたときや、
時代への機敏な対応が必要なビジネスの現場に立ったときに、
その脆弱(ぜいじゃく)さが出てくる。
 至れり尽くせりの教育は、
至れり尽くせりでないと動けない人間を育ててしまう危険があるのだ。」

 中高一貫校花盛りの最近。
まるでそこにのっかることが、将来の幸せを保証されているかのような考え方が多いようです。
 でも、そううまくはいかないところが社会です。

 もがきながら、汗や泥にまみれながらたくましく生きてきた先人たちが
、その姿で教えてくれているではありませんか。

 佐田岬の子どもたちは、そんなふうに育ってほしいものです。
ここでなら、それができるはずですから。

                   岬人

離任式

2011-03-31 | ブログ
 今日、離任式がありました。
一緒に働いた同僚として。
お世話になった恩師として。
さまざまな思いを受けながら、三崎中学校を離れて行かれました。

・ 濱本亨教頭先生は、退職。
・ 篠澤朋子先生は、瀬戸中学校。
・ 浪口慎吾先生は、内子小学校。
・ 長井美津子先生は、伊方中学校。

 みなさんへ感謝するとともに、
これからのご活躍を楽しみにしています。

 先日27日。
 浪口先生が二名津の住宅を引っ越しされるので、家族5人で手伝いに行きました。
三崎中学校テニス部の女の子たちも4人、手伝いに来てくれました。
 昔の佐田岬半島では、こんな光景はあたりまえでした。
 引っ越しの手伝いをとおして、
先生との絆を深めていったように思います。

                岬人


堀切(ほりきり)大橋

2011-03-29 | ブログ
 だんだんと暖かくなってきました。

 桜のつぼみもふくらみ始めています。

 写真は、旧瀬戸町塩成(しおなし)の堀切大橋です。

ぬけるような空の青さと、紅の橋。

みごとなコントラストです。

                 岬人

名古屋にいる喜久家の仲間からの便り 

2011-03-28 | 喜久家の情報
 今日もうれしい便りが名古屋のゆうこちゃんから届きました。
出身は、岐阜ですが。
とてもうれしかったので、紹介します。
いつものように事後承諾で。
 
 『こんにちは。
 先週は、ワークキャンプの子が帰ったちょうど当日にお邪魔し、
迷惑掛けてしまいすみませんでした。

 久々に行く伊方は、もちろんなにも変わっていませんでした。
それがなんかとてもうれしくてうれしくて。
伊方は変わらずに受け入れてくれるのだなと感じました。

 昨日まで私は岐阜の実家に帰っていたのですが、
田舎の風景がすこしずつ、変化を遂げていました。

 廃墟となった陶器の工場や、更地になった土地・・・
なんだかそのような風景を見ると落ち着かない気持ちになりました。

 改めて、見慣れた風景の残る場所は、いいなってそう感じました。

 伊方に出会えてよかったです

 ではまた近いうちに^^ 』

 
 何も変わらない良さ。
変わらず受け入れる。
変わらず、「お帰り~」って。

 湯布院のまちづくりを進めた溝口薫平(みぞぐちくんぺい)さんたちが、
湯布院の未来モデルにしたドイツのバーデンバーデンで感じた気持ちと重なります。

 長い時間が過ぎても、変わらない良さ。

 これって、すごいことだと思います。

                     岬人



住み慣れた住宅

2011-03-27 | ブログ
ふるさと平磯の新居に住んで1ヶ月。
今日、久しぶりに住んでいた二名津の住宅に行きました。

 写真のように、家財道具がない無機質な空間。
ついこの前まで、物にあふれた食卓で家族5人の声がやかましいくらい響いていました。
人の気配がないということは、これほどまで寂しいものでしょうか。

 頭の中に、あの頃の映像と音が走馬灯のように流れていきました。

「ふるさと」から学ぶ

2011-03-26 | ブログ
 尊敬する双海町の若松進一さんを塾長とする「年輪塾」に3年前から入っています。

 年輪塾の取組の中で、「旅する巨人」といわれた民俗学者宮本常一を学びました。
それ以来、宮本常一の生き方は、私の考え方に大きな影響をおよぼしています。

 先日、宮本常一が書いた「ふるさとの生活」という本を買いました。
初版が25年前の1986年。

 民俗学者柳田国男は、常一のことを
「永いあいだ、もっとも広く日本をの隅々の、だれも行かないような土地ばかりを、
歩きまわっていた旅人」と言っています。

 常一は、ふるさと山口県大島郡の村を学びの場としました。
大島も瀬戸内海に浮かぶ1つの島。
私のふるさと伊方町平礒も日本一細長い佐田岬半島の陸の孤島のようなところ。
 はたして、そこから何を学ぶのでしょうか?

 本にはこう書かれたいます。
 ふるさとには、学ぶべき大切なものが日常生活の中にいくらでもあり、
何気なく見たり、聞いたり、あるいは使ったりしているものの中に、
私たちの先祖の歩んできた歴史が刻まれている。

 第1章の「ほろびた村」の最後に
「歴史は書かれている書物の中だけにあるのではなく、
このような、ほろびた村のあとにも、また私たちの暮らしの中にもひそんでいます。
そして、そういうものがあきらかになってこそ、日本人は本当にどんな生き方をしてきたかが、
あきらかになると思います。」
と結んでいます。

 そしてこの本の最後には、
「村を、今日までのようにするためにかたむけた先祖の努力は大へんなものであったと思います。
その努力の中にこそ、のこる歴史があったのでした。
 私たちは、いつでもその人たちの前進しつづけた足音が聴けるような耳と、
その姿の見えるような眼を持ちたいものです。」
と書かれています。
 この考え方は、常一自身の生涯の座右の銘でもあったようです。

 なるほど、「見方」、「聞き方」がとても重要ということです。
こう考えると、自分のふるさとに対して実に大ざっぱにしか見ていない、聞いていないことばかり。
 ふるさとの今は、すべて先祖の努力のたすきリレー。
それをもっとよく知ることは、自分を知ること。
さらに自分の生き方を示していくような気がします。

 すばらしいです。
「ふるさとの生活」って。

                  岬人

 

ドコモショップ八幡浜店杯八西中学校ソフトテニス大会

2011-03-26 | ブログ
 今朝、6:30に出発し、1時間かけて大洲平野運動公園テニスコートへ。

 第5回ドコモショップ八幡浜店杯八西中学校ソフトテニス大会がありました。
結果は、第3位。

 年を明けて、新しい取組をしてきましたが、
なかなかプレーが安定せず、悩んだり、辛い思いをしたり。
 ようやく少しずつ思ったプレーができてきました。

 今日も愛宕中学校に破れはしましたが、
成果としては大きなものを手に入れて帰ることができました。

 三崎地域の子どもたちは、素直で、頑張り屋さんでとてもいい。
あとは、指導者にかかっています。
子どもたちのあのがんばりに負けないくらい、それ以上に
指導者は努力をしていかなければなりません。

 勝てば子どもたちのがんばり、
負ければ指導者の責任。

 佐田岬先端の田舎の中学生、
部活動を通して、人間力を高めるためにがんばっています。

                    岬人
 

桜の背景

2011-03-25 | ブログ
 定期的にブログの背景を変えています。

 今回は、桜。

 大好きな花です。

 ここ佐田岬は、山桜がとても多く、
山が萌えるように彩られます。

 桜の開花情報もお伝えしますので、
ぜひ見に来てください。

             岬人

嗚呼 釜木小学校 2

2011-03-25 | ブログ
 三崎町立釜木小学校の閉校に際して
                 校長  松坂 末広

 続き

 思えば、明治12年5月15日に釜木小学校が設立されてから
昭和52年3月現在に至るまで、隆々発展した本校は、卒業生1272名を数えます。

 国民教育のたしかな基礎を修めた本校卒業生は、郷土の文化・産業の発展に貢献し、
あるいは都市に進出して、政治・経済・文化等各会における成功者も多く輩出しています。

 本校は地域生活文化の中心として機能し、同窓生にとりましては、
心のふるさととして親しまれてきたのであります。

 世の移り変わりはどうすることもできず、ここに閉校の日を迎えました。
心さみしい限りであり、本校97年の歴史を偲び、学校閉鎖の現実に寂寥の感を禁じ得ません。
       
 しかしながら、私たちは閉校の感傷をのりこえて、あしたへの希望に目を転じ、
教育の進展と子どもたちのしあわせを願わなければなりません。

 近代化された二名津小学校の広い運動場、完備された教室での学習を思うとき、
ほのぼのとした展望がひらけています。

 21世紀に生きる子どもたちに、どうか思う存分自己を伸ばしてほしいと願ってやみません。』

 
 松坂校長先生のあたたかい思いがしのばれます。
「明日への希望に目を向ける」ことが私たちにはとても大切なことです。

 母校釜木小学校の校舎はもうありませんが、
校庭の片隅に二宮金次郎の像が残っています。
 今度の休みに、久しぶりに行ってみようと思います。
金次郎さんに会いに。

                  岬人
 
 

嗚呼 釜木(かまぎ)小学校

2011-03-25 | ブログ
 今日、すごいものを手にしました。

 私の母校、釜木小学校。
3年間通い、その後二名津小学校に統合されました。
 歳を取ってもあの幼き日の思い出は残っていて、
たまに哀愁にふけるのです。

 その釜木小学校の閉校に際して、
当時の校長先生が書かれた冊子を見せてもらったのです。

 紹介します。


『 三崎町立釜木小学校の閉校に際して
                   校長  松坂 末広

 序
 昭和52年3月31日をもって釜木小学校を閉じることになりました。
 4月1日からは、二名津小学校に吸収合併し、97年の歴史をとじることになったわけです。
 
 科学技術の進歩と経済の高度成長による国民生活の動向は、
都市集中型となりました。
 反動的に校下の釜木・平礒地区では過疎化がすすみ、昭和34年の児童数152名を擁した本校も、
ついに在籍児童25名に減少してしまいました。
 
 教育もまた近代化がすすみ、教育機器の導入による学習指導法の改善、
集団学習での社会性・連帯感の育成が強く望まれることになりました。
 そのなかにあって、年々減少する児童数の推移を憂慮する父母ならびに教育関係者は、
数年前から学校統合の問題について検討を重ねてきたのであります。
 
 ここに至り、町教育委員会は大所高所より統合を決断し、
昭和51年12月25日、町議会もこれを認めて三崎町立学校設置条例を改定しました。

 
 続く

おりづるの祈り

2011-03-25 | ブログ
 東日本大震災に対して、国内外から
折り鶴を贈る運動がおこっています。

 祈りをこめて、鶴を折っているようです。
祈りのチカラを信じています。

 四国最西端の三崎中学校でも、3年前から
折り鶴を折り、広島平和記念公園にある「原爆の子の像」に捧げる活動を毎年行っています。

 この活動は、新聞などにも取りあげられ、
それを知った人たちが折り鶴を送ってくれることもありました。

 先月も地元大佐田の野本さんという女性が
それはそれはきれいな折り鶴を折って、持ってきてくれました。
3000羽ほどありました。
 毎日、少しずつ少しずつ折っているとのことでした。

 さらに感動の物語がありました。
 その3000羽の中にひとまわり小さなものがありました。
聞いてみると、野本さんが今から40年前、20歳の頃に折っていたものだそうです。
300羽ほどが入った箱が見つかったらしいのです。
当時は、お菓子の包み紙や包装紙を使って折られたようで、セロハンの鶴もありました。

 なんてすてきなことでしょう。

 これらもいっしょにして、東北地方の被災された方々に贈りたいと考えています。

 東北地方の1日も早い復興を祈っています。

                           岬人

若松進一さんのブログより

2011-03-24 | ブログ
 先月、四国最西端の三崎中学校で双海町の若松進一さんに
講演会をしていただきました。

 生徒たちの感想は、すごくいいものでした。
 ぜひ、この喜びを伝えたいと思い、
たくさんの感想文や学級通信「JUMP」をファイルし贈らせていただきました。

 それを受けて、若松さんがブログを書いてくれていますので、
紹介します。

『shin-1さんの日記

○私の講演を聞いた感想文が届きました

 先日伊方町立三崎中学校の浅野先生から一冊のファイルが送られてきました。
 三崎平磯にある喜久家へお邪魔した時見て欲しいと手渡されましたが、
てっきり見るだけだと勘違いして、置いて帰ってしまっていたのを送ってもらったのです。

 ファイルを開けると喜久家プロジェクトのスライドショーの写真が6ページ、
浅野先生が執筆している伊予弁シリーズ記事が2ページ、
新聞のスクラップが2ページ、中3学年通信JUMPが2ページ、
そしてその後ろには「青春へのメッセージ」という生徒たちの感想文が沢山コピーして添付されていました。

 全部念入りに時間をかけて読ませてもらいましたが、
「ふるさと講演会」で私の話を聞いた生徒の感想文は、私の講演はさて置き、とてもよく書かれていいて汗顔の至りでした。
そこで汗顔のついでにJUMPに紹介された6人の生徒の感想文を、記録のつもりでブログ記事に紹介しようと思いました。

○ 私は、物事を継続して行うことが苦手です。
 ですが、若松さんが27年間はがきを書いているという話を聞いてびっくりしました。
  「もう一人の自分が、自分に命令を出す」ということや
 「継続することで良いことがあり、それで自信が持てる」ということはすごいと思います。
  そして最後に言っていた「人間は一人では生きられない」ということが自分で分かっていても、
 人から聞くと改めて友達や家族の存在って大きいなと思うことが出来ました。

○ 若松さんの話を聞いて、マイナスをプラスに変える発想をしていたり、
 常に上に向かっていこうとしていたりと、自分が見習おうと思うところがたくさんありました。
  いろいろ悩んでいるだけではなくて、動いてみようかなと思いました。

○ 一番印象に残っているのは、「人間はスタートは同じ」だということです。
 私は、元から能力が違うとか思っていました。
  でも、人間は誰にでも潜在能力があるし、変われる可能性もたくさんあるので、
 やっぱりみんな同じ人間で平等なんだと思いました。

○ 今、受験勉強をしていて「あと2週間だから」と思っているけど、いやになってくることがあります。
 でも、若松さんが言っていたように楽しくなくても、楽しいと思うことが大切だと思いました。
  続けることは必ずいいことがあると思って、日々積み重ねていきたいです。
  ことわざの「ちりも積もれば山となる」というのは、このことだなあと思いました。

○ 話を聞いていて心に残った言葉がたくさんあります。
  日々の積み重ねが大事ってことや主張を述べないと思っていないのと同じと言うこと、
 聞いていたら全部大事な言葉に聞こえました。
  ほかにもアイデアは落ちていると言っていました。
 若松さんのアイデアはすごくてたくさんのものを作っていてビックリするほどでした。
 私もアイデアをみつけていろいろ作っていきたいと思いました。

○ 私は春に双海に咲くあの菜の花が好きです。
 黄色いじゅうたんみたいになってて、毎年きれいだなと思っています。
 あの菜の花が咲くまでに、あんな物語があるとは知りませんでした。
 若松さんたちの活動によって、毎年きれいな菜の花が見られるんだと思いました。
  私も2週間後には受験があります。
 自分と同じ緊張感を持っている仲間と共にがんばろと思いました。

○ 話の中に出てきた「スタートはみんな同じだ」とか「何でも楽しいと思えば楽しくなる」、
 「人間は距離ではなく思い」、「夢は日々の努力が大事だ」とすごく納得できることばかりで、
 たくさんのことを学ばせてもらいました。
  私も将来の夢が決まったら、日々努力してがんばりたいと思いました。

 ああ嬉しい。
感想文を読んでその一言に尽きます。
 よりリアルに聞いてもらうため、あえてレジメを用意しないのが私の講演スタイルですが、
感想文はメモを取る習慣がしっかりと身についているように思いました。
 浅野先生ありがとう。
そして熱心にメモを取りながら聞いてくれた生徒の皆さんありがとうございました。

  「講演を 聞いた感想 文届く 汗顔ながら 嬉しくなりて」

  「メモを取る 習慣ありて このような 感想書ける 指導次第で」

  「何よりの 土産届いて 読みふける 感想文が 更なるパワー」

  「いささかの お役に立ちて 何よりと 安堵の胸を 撫で下ろしたり」

 
 若松さんには、子どもたちの感じたココロを、
本当にていねいにくみとっていただいています。

 さあ、次はいつどのタイミングで来ていただこうかと
楽しみに、頭を悩ませています。

 写真は、3月に平礒に来ていただいた時
息子と一緒に撮らせていただいた写真です。

 
 



 


 平礒でのワークキャンプをふり返って (あっこちゃんより) 

2011-03-24 | 喜久家の情報
 3月に行われた喜久家国際ワークキャンプの参加者から
続々と便りが届いています。

 今日は、あっこちゃんからの便りです。
「青山学院大学にもこんな若者がいるんだな~」
というすてきなあっこちゃんでした。

 とにかく明るい行動派。
 ヨーロッパでのワークキャンプ・オーストラリアでの留学経験を持ち、
さまざまなちがいを受け入れられる大らかさと明るさが光っていました。
「こんな子が田舎にいてくれたらな~」
とも思いました。 

『ワークキャンプ中は大変お世話になりました!
私は昨日の夜地元に帰ってきました。

 みんなと一緒に喜久家にいたのはほんの一週間前のことですが、
もう懐かしくなんだか切ない気持ちです…

 最高の仲間と、温かな地元の方々と過ごすことのできた、本当に濃い2週間でした!
 人との出会いって、本当にいいなぁって改めて思いました。
 色んな人と出会うことができて、色んな話ができて、とてもいい刺激になりました。
 
 素敵な出会いをたくさんもたらしてくれた喜久家に感謝です!
 そして今回できた人のつながりが、また新しい出会いや流れを生み出していくと思うと楽しみですよね。
 これからも、遠くからではありますが、喜久家を応援しています。

 私自身も今回の経験を自らの今後に活かしていけるように、日々頑張りたいと思います。

 それから、ブログも今日初めて拝見させて頂きました!
 自分のあんな気の抜けた姿が公になっているとは知らなかったですが笑、
2週間を楽しく振り返らせていただきました。
 今後も更新楽しみにしているので、是非よろしくお願いします☆』

 あるとき、ひょっこりと帰って来てくれそうな
さわやかさです。

 あたたかい春の足音が、すぐそこに聞こえてきました。

                        岬人

お彼岸

2011-03-23 | ブログ
今は、春のお彼岸。
中日にお墓参りにいけなかったので、今日の夕方6時30分に家族5人で行きました

 集落の高台から見る景色が大好きです
昨年、隣に桜の木を植えました
この木が大きくなったら、さぞきれいなことでしょう
 太平洋戦争で亡くなったじいちゃんも桜の木の隣で喜ぶことでしょう

 一つ一つのお墓に線香をあげ、手を合わせおがみました。
子どもたちもおがみました。
その姿を隣で感じながら、幸せをかみしめています

 先祖のお墓参りをしたいときは、いつもそばにある。
家族と一緒にそれができる
 田舎の幸せです。

東日本大震災応援メッセージを送ろう 2

2011-03-22 | ブログ
 全国から届く応援メッセージの数々。


7)
 ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。
 いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。

8)
 サントリーの自販機無料化softbankWi-Fiスポット解放、
色んな人達が全力で頑張っててそれに海外が感動・協力してる。
 海外からの援助受け入れに躊躇したり自衛隊派遣を遅らせたりしてた阪神淡路大震災の頃より
日本は確実に強い国になってるんだ。みんな頑張ろう。

9)
 終夜運転のメトロの駅員に、大変ですねって声かけたら、
笑顔で、こんな時ですから!だって。
 捨てたもんじゃないね、感動した。

10)
 都心から4時間かけて歩いて思った。
 歩道は溢れんばかりの人だったが、皆整然と黙々と歩いていた。
コンビニはじめ各店舗も淡々と仕事していた。
 ネットのインフラは揺れに耐え抜き、各地では帰宅困難者受け入れ施設が開設され、
鉄道も復旧して終夜運転するという。
 凄い国だよ。GDP何位とか関係ない。

11)
 日本全国の皆さん。やさしさを失わないで下さい。
弱い人をいたわり、互いに助け合い、許そうとする気持ち失わないで下さい。
 あなたが不安な時、きっと周りの人も不安なはずです。
これが私達の願いです。私達も同じ気持ちで頑張ります。

12)
 2歳の息子が独りでシューズを履いて外に出ようとしていた。
「地震を逮捕しに行く!」とのこと。
小さな体に宿る勇気と正義感に力をもらう。
 みなさん、気持ちを強く持って頑張りましょう。

13)
 4時間の道のりを歩いて帰るときに、
トイレのご利用どうぞ!と書いたスケッチブックを持って、
自宅のお手洗いを開放していた女性がいた。
 日本って、やはり世界一温かい国だよね。あれみた時は感動して泣けてきた。

 We are the world の曲に合わせて、勇気の出るメッセージが流れていきます。

 いつもは、とてもにぎやかな2年生が、
真剣に食い入るように観ていました。
 観終わった後、目を真っ赤にしていた男子生徒を見て、
胸が熱くなりました。

 そして、中学生たちは、
黙々とメッセージを書き始めました。
 
 聞こえるのは、鉛筆の音だけでした。

次回、そのメッセージを紹介します。