喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

豊予要塞 ~佐田岬司令部~

2010-06-30 | ブログ
 昨日の佐田岬灯台キャンプ場。
今から65年前太平洋戦争末期は、豊予要塞の司令部が置かれていました。
山をくりぬかれて作られたコンクリート製。

 この他、医療所や炊事場、ディーゼル発電所としても使われていたようです。

 昭和16年12月の太平洋戦争開始後は、それまで2・3人しかいなかった施設へ、
200~300人が配備され、終戦直前の昭和20年には、1000人近くいたとのことです。

「国破れて 山河あり 城春にして 草木深し」(杜甫)
そんな気分になります。

 
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佐田岬キャンプ場

2010-06-28 | ブログ
 ここは、四国最西端の佐田岬灯台キャンプ場。

 ネイティブアメリカンの住むキャピのようなバンガローです。
ここで過ごすゆったりとした時間は言葉ではあらわせません。

 昼間は、海で魚釣り、潜り
とれた幸は、バーベキュー。

 夜は、真っ暗な中に、たき火の炎が天を焦がす。

 空には、天の川が九州の方に向けて流れていきます。

 便利な生活も良いですが、
ちょっと不便をがまんすれば、
そこには至福の時が味わえます。

 実は、このキャンプ場、
今から65年前は、全くちがった重要な使われ方をしていたのです。
これは、すごい!

               岬人(はなんちゅう)
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串地区の鯨塚と石垣

2010-06-26 | ブログ
 最近、地域のウォッチングにはまっています。

 必要なことは、「これ、何?」という好奇心と
「この謎を調べてみよう!」というワクワク心。

 今まで、あたりまえに見ていたものや
目にもとめなかったものが、ずいぶんと輝いて見え始めます。

 これは、地域づくりの原点かもしれません。

 写真は、串地区の海岸にある鯨塚(くじらづか)。
長さ3メートルほどの青石が立てられています。
 さっそく、通りかかった地域のおっちゃんに聞いてみたところ、
「昔、浜に大きな鯨が打ちあげられ、その骨をまつったものと聞いちょる。」
というこたえ。
 それがいつのことで、どれくらいの大きさの鯨なのかなど詳しいことはわかりません。
 でもその時の人々の様子など想像がかきたてられます。
こんな大きな青石をおおぜいで運び、立てたのでしょう。

 自然や生き物を大切にし、敬う気持ちがしのばれます。
佐田岬の人々は、昔から自然と共に生きてきたのです。

 鯨塚の後ろの高い石垣と、とってもよくマッチしていました。

                    岬人(はなんちゅう)
 
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佐田岬 花のある風景

2010-06-25 | ブログ
 心にのこる風景でした。

 後ろに見えるのは、四国最西端の佐田岬灯台。
そして手前に、オレンジ色の浜かん草。

 この辺りは、瀬戸内海国立公園にはいっています。
とっていいのは、写真だけ。
残していいのは、想い出だけ。

 浜かん草は、岸の草地や岩場によく見られます。
冬でも枯れずに残っていることがとてもすてきです。
一日花なので、朝咲いて夕方にはしぼんでしまいます。
海岸の日当たりの良い斜面に多く生えています。

 中国では、別名「忘優草」と呼び、
辛いことや悲しいことを、忘れられることなどから、
「ワスレグサ」と呼ぶといわれています。

 そんな気持ちを持っている方は、ぜひおこしください。
きっと元気になれます。

 三崎地域では、花の咲く7月~10月が、
最も漁業がにぎわう季節と重なり、
一年中でもっとも町が活気に満ちあふれることから、
「幸せを呼ぶ黄色い花」
と親しまれています。

 見ているだけで、幸せな気持ちになります。

             岬人(はなんちゅう)
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佐田岬の石垣百選 ~ 平礒の石垣に咲く花 ~

2010-06-25 | ブログ
 写真は、平礒の道。
 石垣もなかなかのものなのですが、
石垣に咲いた花に魅せられました。

 石垣に花を咲かせるというアイデアもいいかもしれません。
石垣のいろいろな使いみちを考えていきたいです。

 楽しいですね。

              岬人
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佐田岬の石垣百選 ~ 野坂の石垣(正野) ~

2010-06-25 | ブログ
 佐田岬半島の突端に正野地区はあります。
「野坂の石垣」は伊方町の有形文化財。

 各地の海岸で見られる風よけ・潮よけの石垣。
高さ4メートm、長さ140mあまり、
佐田岬特有の青石(緑泥片岩)で築かれた城壁(砦)のよう。

 これは、一見の価値ありです。

                 岬人(はなんちゅう)
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ふるさと再発見 ~ 平礒の石垣 ~ 

2010-06-24 | ブログ
 写真は、ふるさと平礒の「下の川」の石垣です。
ここをのぼっていくと、お墓に行きます。
また、昔は他の集落からの出入りで、必ず通っていた場所です。

 ずいぶんと年月が経っているせいか、
青石の色が、白っぽくなっています。
または、もともとこんな色だったのか。

 石垣の色もさまざまです。

 双海町の若松進一さんから、
「佐田岬の石垣百選」をぜひやってみたら、
と言われました。
 実におもしろそうなことです。

 ぜひ、やってみたいと思います。

         岬人(はなんちゅう)
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ふるさと再発見 ~ 三崎赤坂の石垣 ~

2010-06-23 | ブログ
 この写真の石垣は、三崎の西地区赤坂のものです。

 全国に赤坂という地名は、数多くありますが、
ここの赤坂は、すごいです。
坂ですから、土地が崩れるのを石垣で支えなければなりません。
三崎地区の中では、もっとも石垣のきれいなところです。

 写真を見ておもしろいことは、
石垣の中に穴があいています。
のぞきこんでみると、なにやら道具があれこれと置かれていました。
どうやら、農作業具などを置いていた倉庫のようなもののようです。

 これは、めずらしい。

                 岬人(はなんちゅう)
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ふるさと再発見 ~ 三崎 八幡神社 ~

2010-06-23 | ブログ
 写真の石垣は、三崎の八幡神社本殿下のもの。

 色とりどり、できれいに切りそれられており、
さまざまな積み重ねられ方をしています。
 みごとです。

 こんな石垣は、多くは見られません。


               岬人(はなんちゅう)
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ふるさと再発見 ~ 三崎 高神さま ~ 

2010-06-23 | ブログ
 佐田岬は、石垣がとてもおもしろい。
その数々をお伝えします。

 写真は、三崎の傳宗寺横にある「高神さま」
円柱状に積み上げられたみごとな石垣です。

 これだけを見に来られる人もいるほどです。


               岬人(はなんちゅう)
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ふるさと再発見 ~ 高浦 ~

2010-06-22 | ブログ
 三崎地域に高浦という地区があります。

 そこを歩いていて、おもしろいものを見つけました。

 写真は、倉庫の外壁です。
よーく見てみると、何と船の板を再利用してできているのです!

 少し、反っていますが、潮や潮風にはめっぽう強い。
生活の知恵というか、
もったいない精神というか。

 すばらしい!

             岬人(はなんちゅう)
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父の日の贈りもの

2010-06-22 | ブログ
 父の日の贈りものは、本でした。

 もともと三度の飯と同じくらい本が好きで、
今でも文藝春秋は毎月読んでいます。

 喜久家に来てくれる若者ボランティアと交流し始め、
さらに学びたいという気持ちが強くなっています。
 というのは、海外からの若者たちに日本の文化・文学について
質問されることがあります。
 逆にイタリア出身のエレナならば、
かえって普通の日本人よりも日本文学を勉強していたりします。

 父は、そんな若者たちに応えるべく、
日本の古典を学び直しているのです。
 今回贈った本は、漢詩、百人一首、百人一首の人物について。

 いつまでも学び続ける姿勢は、
見習わなければなりません。

                  岬人(はなんちゅう)  浅野長武
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夏至 ~ 昼が長い一日 ~

2010-06-21 | ブログ
 今日6月21日は、夏至。
月暦でいうと、五月(皐月、さつき)十日。

 昼が最も長く、夜がもっとも短い日です。
 太陽が赤道からもっとも北にはなれ、
北半球では、南中高度がもっとも高くなります。 

 ちなみに松山気象台によると、
松山市の日の出は、午前4時58分。
日の入りは、午後7時23分。

 七十二候では、
夏至は、6月21日~7月6日。(月暦、五月十日~五月二十五日)
 第一候は、うつぼ草が枯れ始めるころ。
ただし、日本のうつぼ草は、夏に枯れないので異種だといわれる。

 第二候は、アヤメ、菖蒲の花が咲くころ。

 第三候は、薬草の半夏(はんげ)カラスビシャクがしめったところに生えるころ。
昔は、この日までに田植えをすませることになっていた。

 月暦は、まことに日本の自然・人々の生活にあっています。

 また、今夜やこの期間は、
各地で「キャンドルナイト」イベントが開かれる予定です。

 すでに昨夜、大洲市臥龍山荘あたりで、
「オオズの魔法使い」主催のエコ・キャンドルナイトが行われたようです。
YGP(八幡浜元気プロジェクト)が協力したようなので、
くわしくは以下のブログで見てみてください。
とっても、すばらしかったみたいです。
ゴスペル聖歌隊も加わり。

http://www.re-ygp.com/ygp%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%90%e3%83%bc%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0/

 今夜は、我が家もキャンドルナイト。

 写真は、平礒の「亀の首」の向こう、九州に沈む夕日です。

                      岬人(はなんちゅう)
 
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父の日 ~ 旅立ち 父の言葉 ~

2010-06-20 | ブログ
 19歳の春4月、ふるさとからの旅立ちの日がやってきました。
 
 フェリーの時間に合わせ、真夜中の12時ころ。
荷作りを終えていた2トントラックに乗りこみます。
とても星のきれいな夜でした。
「福岡では、こんなきれいな星も見られんな~」
 
 旅立ちは、希望と寂しさが入りまじるものですが、
さすがにこの時は、センチメンタルな気持ちばかりでした。

 祖母、母、弟、妹の顔が暗闇の中に、
うっすらと見えました。
 そして祖母がトラックにすり寄り、
「兄ちゃん、元気での~。がんばれよ~。」
と手を振ってくれました。

 私は、涙こそ見せられませんでしたが、
目にいっぱい涙をためていました。
 
 田舎で生まれた多くの人が、1度はあじわう想い。
だからこそ、ふるさとや家族がよけいに大切に思えるのです。

 トラックがいよいよ動き始めました。
その時、父が言ってくれた一言。
「今日のことを、一生忘れるなよ。」

 私は、うつむいたまま、返事にならない返事をしたような気がします。

 あれから、23年が経ちました。
今でもこうして、覚えています。

 今日は、父の日。
昨日、家族で買ったものを届けに行きたいと思います。                  
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父の日 ~ 父の白髪 ~

2010-06-19 | ブログ
 三崎高校3年。私の夢は、教師でした。
そのためには、大学に進学する必要がありました。

 そんな私の夢を父・母・祖母・兄弟みんなで陰ながら応援してくれました。
 結局、福岡大学への進学を決めました。
その後、アパート選びのため、生まれて初めて、
父と2人で福岡への旅行をしました。
 
 博多駅に降り立ち、福岡大学行きのバスに乗ろうとしたときのことです。
父が乗車にとまどっていました。
理由は、車掌のいない自動改札が初めてで、どうしたらいいのかわからなかったようです。
「こうやって、切符を取って乗るんよ。」
と言ってやり方を説明し、無事バスに乗りました。

 このシーンは、私にとって衝撃的でした。
すべてにおいてすごい父が、バスに乗ることにとまどっていたということが。
 田舎にいれば、自分の車があり、バスに乗ることもないので、
あたりまえではあったのですが。

 そして、この後さらに衝撃を受けたことがあったのです。

 通路をはさんで、両側に座りました。
父の様子はどうだろうと向いたとき、横顔が見えました。
そしてもみあげから頭の上にかけて、多くの白髪が目についたのです。
 毎日、同じ屋根の下に暮らしていたのに、
父の白髪に気づいていませんでした。
しかも父に対して、老いのひとつである白髪を想像したこともありませんでした。

「ずいぶん、苦労をかけているなー」
やっと、そのことに気がついたのです。

 私が19歳の春のできごとでした。

 そして1ヶ月後、私がふるさとを離れる日がやってきます。
旅立ちの夜、想い出に残る父からの一言が…

                        岬人(はなんちゅう)

 
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