喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

出発(たびだち)  「ほのおより」

2010-11-23 | ブログ
 同和教育についていろいろと思っています。
それは、「ふるさとについての思い」
と重なることがあります。

 新川譲さんが書かれた
「出発(たびだち)」を紹介します。

『「おまえは、二度とここへ帰ってくるなよ。」
父は、ふるさとの山を見上げてつぶやいた。

今まで一度も耳にしたことのない
凜とした厳しい口調で言いきった。

父に聞きかえすまでもなく、
父が何を語ろうとしているのかが
並んで立っている私に伝わってきた。

へき地の学校へ教師として赴任する
「出発(たびだち)」の朝である。

ふるさとの古い駅舎、
8年間、この駅から
父の、母の、兄のそして妹たちの
苦労という糧をいただいて
学校に通った思い出多き駅である。

見上げると、
冬から春に模様を変えた山肌に
山桜が紅の花を咲かせて
点在していた。

母なる山 ふるさとの山。
頂上までかけ登り、
大切なシャツを破り、その度に
母に叱られた ふるさとの山。

小学生時代、友が操るタコを
横目で見ながら、
母とならんで麦ふみをし
じっと くちびるをかんで見上げた
ふるさとの山。

その山を、
その麓の生家を、
いとおしいふるさとを、
父は捨てろという。
その時ほど
差別をにくみ、怒り、涙したことはなかった。

その時
私の気持ちは決した。
「父を裏切ろう。
堂々と胸を張って、ふるさとが語れる
人間になろう。
そして、再び帰ってこよう。
尊敬する父の、母の、兄の、
そして妹たちの意思に
そむこうとも悔いはない。」

ふと、並んで汽車を待つ父の頬に
一筋の涙が伝わり落ちた。

春盛りの「出発(たびだち)」の朝であった。』


 大好きな・大切なふるさとを語ることは、
自分の根っこを語ること。
語ることをとまどわせる世の中は、まちがっています。

 写真は、井野浦から伽藍山を見たもの。
「未来に残したいふるさと・岬の風景」として
井野浦生まれの中学3年生男子が撮ったものです。

            岬人(はなんちゅう)