喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

田舎の落成式

2011-02-28 | ブログ
 26日の落成式を写真でお伝えします。
 世の中が、効率化、簡素化されてきて
上棟式や落成式も大きくカタチを変えてきたと聞きます。

 ここは、平礒という土地がら昔ながらのやり方がまだまだ残っています。
きっと人と人とがつながる潤滑油のような役割をはたしてきたことが多いようです。

 
「中心となった宇都宮大工さん、宮本大工さん」


「濱本建設のみなさん」


「落成のお膳を作ってくれた今川克あんちゃん」


「地元平礒のみなさんの席」


「友達の清家君と父」


「満足いただけたでしょうか?」


「たくさんのお祝い」

 
 一生に一度の落成式。
平礒にとっても、久しぶりでした。

 さあ、これから地に足が着いた生活をしていかなければいけません。

                      岬人

平礒で落成式

2011-02-27 | ブログ
 昨日、26日(土)に新居の落成式を行いました。

 増改築なので行うかどうか迷いましたが、
関係者へのお礼と地域のみなさんとの懇親という意味を考え行うことにしました。

 すべて取りはらったリビングには、
40名をこすみなさんが集まっていただきました。

 開会の夕方5時まで、
早めに来ていただいた方に平礒の写真をスライド上映をしました。
 この写真は、平礒の様々な風景や人々を
6年前から少しずつ撮りためていたものです。
 興味深げに見ていただいていました。

 夕方5時をまわったところで、私のあいさつから始まります。
 ふるさと平礒へ帰ることを決めて、2つのことを目標にしたことをお話ししました。
 
 1つ目は、すばらしい家づくりをしようと考えたこと。
 今は亡き祖母が住んでいた部屋を家の中心におき、
家族もお客さまも集まりやすいくつろぎの家にしたいと考えました。
 さらに目の前に広がる、釜木湾を見おろし、
背後には、石垣で支えられた平礒の集落を見渡せるような開放感のあるものに。

 そのために地元の濱本建設をはじめ、松田電気、田中建材さんには、
たいへん苦心していただき、予想以上の家ができました。
そのことに対する感謝の気持ちをお話しました。

 2つ目は、よりよいふるさとにしたいということ。
 これまでもこの「喜久家プロジェクト」を弟と立ちあげ取り組んできましたが、
それはこの地域がよりよくまとまっていくための手段と考えています。
 人口50人もいない小さな小さな平礒が、
お互いのつながりをさらに深め、
「やすらぎと輝きをはなつふるさと」
へと変わっていく取組をしていきたい。
 それをお集まりいただいているみなさんと一緒に、楽しみながらやっていきたい
とお願いしました。

 新しい風が
我が家にも、ふるさとにも吹いてきました。

                    岬人

若松進一さん、三崎中学校に灯をつける

2011-02-25 | ブログ
 たいそう、ぶっそうな題名にしましたが、
それほどすごいことだったのです。

 双海町の若松進一さんに、
三崎中学校のPTA健全育成講演会でお話をしていただきました。

 その時に三崎中学校に火をつけたのではなく、
「聞く人の心に灯をつけられた」のです。
会場の中学生や保護者の様子を見てそう感じました。

 とにかく、退屈しないあっという間の1時間。
笑いと実に納得する話が、絶妙に織りまぜられているからです。

 演題は、
「青春へのメッセージ!」
さまざまなポイントがありました。
・命さえあれば可能性は広がる、という命の尊さ
・自分はやればできる人間だと信じる
・書く・しゃべる・実践することが自分の潜在能力を大きくする
・日々の小さな積み重ねが大きな実を結ぶ
・したたかに、さりげなく、思いをこめて生きる
・オンリーワンをめざす

 昔から国づくりは、人づくり。
現在にいたっても、まちづくりは、人づくり。
と言われます。
 
 今日の講演を聞いて、
学校で、家庭で、地域で、そして自分自身で
よりよく変わっていこうとするきっかけをつくれたならば
未来は、必ず変わると信じています。

 病みあがりのため、本日はこのへんにて。



三崎で若松進一さんの講演会

2011-02-24 | ブログ
 みなさんへご案内です。

 私の尊敬する双海町の若松進一さんが、
明日、三崎中学校で講演会をしてくださいます。

 日 時  2月25日(金) 午後2時20分~3時30分
 場 所  三崎中学校 2階ホール
 演 題  青春へのメッセージ!
 参加費  無料

 何か楽しく、元気になりそうな予感。

 午後1時20分からは参観日授業公開をしていますので、
そちらもお気軽にごらんください。

 岬に新しい風が吹きそうです。

              岬人

鬼のかく乱

2011-02-24 | ブログ
 2日前から、体調を崩しています。
今日もまだ。
いつもは元気100倍の私。
まるで、鬼のかく乱のようです。

 写真は、平礒の集落の入り口にあたる
下の川に飾られている大草履(おおぞうり)です。
 
 これは悪い鬼たちが村に入って来るのを防ぐために
飾る伝統的な大草履。
 
「この村には、こんな大きな草履をはく者がいるのか。
これは、なかなか手強い。やめておこう。」
と鬼に思わせるためのもの。

 田舎には、おもしろい風習があるものです。
 そしてそれが今でも引きつがれていることが、
またおもしろいです。

             岬人
 

『大切な人に贈りたい24の物語』 より

2011-02-21 | ブログ
 今日の佐田岬は、おだやかなとってもいい天気です。
元気がわいてきます。
 
 お気に入りのメルマガより、
感動した物語を紹介します。


『友人がメールで、あるお母さんの日記を送ってくれました。
とても良い気づきがあったのでご紹介します。

 今日は朝起きたときから体調が悪くイライラしていました。
幼稚園に通っている息子が朝食を食べながら私に話しかけてきましたが
「うるさい、早く食べなさい」と怒りました。

 幼稚園から帰って来て「ママ、遊ぼう」とじゃれる息子にも
「ママは忙しいの」と厳しく言い返しました。

 お風呂に入って遊んでいる息子に「早く出て着替えなさい」と言い、
着替え始めると
「どうして、そんなに服を着るのに時間がかかるの?そんなこともできないの?」
と愚痴を言いました。

「ママ、一緒に寝よう」と甘える息子に
「もう、赤ちゃんじゃないでしょ?
 ママはやることがいっぱいあるの、一人で寝なさい」と怒りました。

 とにかく、なぜかとてもイライラした一日でした。
しかし、これでこの日は終わりませんでした。
 やっと寝かしつけたと思って家計簿をつけていると、
息子が起きて近づいてきました。

 思わず、「何をしているの?まだ寝ないの?」と怒りました。
そのとき、息子が私に抱きつきました。

 そして、
「ママ、大好きだよ」
と笑顔で言うと、そのまま急いで寝室に戻って行きました。

しばらく、私は動けませんでした。

「あなたは楽しいそうに朝食を食べて、遊びに誘ってくれて、
 一生懸命に着替えていた。何も悪くないのに私は…」
と思うと涙が溢れて来ました。
どうして、こんな一日を過ごしてしまったのでしょうか?

 私も同じですが子どもたちを感情的に怒ってしまうことがあります。
それでも好きでいてくれる子ども達を大切にしないといけないと思いました。

 イライラしてやっても、楽しんでも同じです。
どうせなら楽しく子育てしたいですね。

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 自分の感情をコントロールするのは難しいですが
体の使い方を工夫することで、ある程度コントロールすることができます。

 この話のように、イライラしているときは顔の表情が硬くなっているし、
肩にも力が入っています。
 意識的にちょっと肩の力を抜いて笑顔を作るだけで気分が変わります。
笑顔でイライラすることはできません。

 親がイライラしていると子どもは不安になります。
仕事で嫌なことがあっても子どもや家族の前では笑顔でいたいですね。』

 笑顔、笑顔。
笑顔は、魔法のようです。


母の姿

2011-02-21 | ブログ
 感動した1枚の写真です。

 これは、大佐田出身で
現在、ロサンゼルス在住のりえさんが撮ってくれたもの。

 カメラマンをされていただけあり、
写真にくぎ付けになり、引きこまれます。
 カメラに写るその人の、人となりが伝わってくるようです。

 うちの倉庫で甘夏の選果をしている母の様子。
いつもは、明るく朗らかで、楽天的なんですが、
ここぞという仕事をする時の姿には、凜としたものを感じます。

 私たち兄弟姉妹は、そんな母に支えられ大きくなりました。

 こんなすばらしい写真を撮ってくれたりえさんに心から感謝しています。
そんなりえさんも間もなくロサンゼルスに発ちます。

 太平洋をへだてたとても遠い所ですが、
ロサンゼルスからふるさとを応援してくれるとのこと。

 地元にいてできること。
 遠くにいてもできること。
さまざまかかわりが、ふるさとを元気にします。

                     岬人

 

今が食べごろ

2011-02-20 | ブログ
 平礒の甘夏がとてもよく熟れています。

 おいしそうな色。

ここには、3つの太陽が降りそそいでいます。

1つは、太陽の光。

1つは、太陽に反射した海からの光

最後は、写真のように石垣に反射した太陽の光とあたたかさ。

 おいしいですよ。

 今が食べごろ。

東洋のフィヨルド

2011-02-18 | ブログ
 今日は曇り空ながら、暖かい1日でした。
こちら佐田岬では、春の足音が大きくなっています。

 写真は、平礒の段々畑からのもの。
外国人はこの風景をとてもきれいだと言ってくれます。
まるで、北欧のフィヨルドのようだと。

 深い青い海
 そこから切り立つ断崖
 入りくんだ入り江

 そう言われてみれば、そう見えなくもないのです。
「東洋のフィヨルド」
としましょう。

 そこに実る柑橘。
これは、地中海のようですね。

 私と家族は、このふるさとへ
明日、引っ越します。

              岬人(はなんちゅう)

マイホーム

2011-02-17 | ブログ
 昨年夏から始まったマイホームづくりも
いよいよ最後をむかえようとしています。

 毎日、見に行きますが
少しずつ、でも着実に完成に近づいています。

 昨日は、ベランダのウッドデッキもしかれ、
子どもたちは大満足な様子。

 19日(土)が引っ越しになります。


お遍路の旅 「最小限こそ、最大のサポート」 

2011-02-16 | ブログ
 ブログを始めて、「文章」や「ことば」
を大切にする気持ちが強くなりました。

 先日、新聞を読んでいたら
愛媛トヨタの広告が目にとまりました。
 写真は、社員の方がお遍路の旅をする車イスの方やお年寄りのそばで
寄りそっているものでした。
紹介します。 

『「最小限こそ、最大のサポート」

 伊予路に春。
歩き遍路の始まる折。

 思えば昨年の秋3年を費やし、
確かめるように、
自由にならない一歩を踏む光景に私たちは、
「サポートとはできる限り苦痛なく、楽に旅をさせてあげること」
だと考えていました。

 しかし、望まれていることは、
「自分で石段を登りたい」
「自分で八十八カ所を感じたい」
というもので、
私たちに求められたのは最小限のサポート。

 案じながらもじっと見守ることの連続。
 ともすると効率ばかりを求めてしまいがちの私たちですが、
どんなに時間がかかろうと
「自らがする」ことは、
やりがい、生きがいへとつながる大切なことだと学びました。

 日々お客さまや地域の皆さまに対して、
人を尊びお役に立たせていただく上で決して忘れてはならないことだと思います。

 そして何より私たちが、
自ら考え-自ら発信し-自ら行動し-自ら反省する。
それがたとえ小さな一歩でも。

 小さな歩みが大きな歩みであることをこころと体でかみしめ、
喜びと感謝の気持ちでいっぱいになります。
ありがとうございます。
                  愛媛トヨタ』

 

「光とともに」

2011-02-15 | ブログ
 ゆうこさんから、すてきな書きこみがありました。
とても考えさせられるような。
 発達障害とのかかわりについてです。
  
 『今日、学校で発達障害の子の理解の講義を聞きました。
と言ってもドラマの「光とともに」を見ることが多かったのですが・・
そこでいろいろなことを感じました。

 私は今まで発達障害について考えたこともありませんでした。
でも、知らないことは恐ろしいと感じます。

 小学生のころ、特別支援学級の存在の意味を全く理解していませんでした。
そのクラスになぜ通う子がいるのか分からなくて、
いじめられた子の行くクラスという認識でした。
 
 私は、そのクラスの子と進んで関わろうとはしなかった。
むしろ避けていたかもしれない。
もしあのとき、ちゃんと知っていたら、理解しようとしたら・・・
って、今すごい後悔しています。』

 僕も全く同じです。
でも、ゆうこさんの誠実な気づきに胸がジーンときます。

 尊敬するひとりに、「おかけや」さんがいます。
東温市の「みなら特別支援学校」の近くで卵かけのお店を開いています。
発達障害の人たちとの心温まるふれあい。

 ブログをブックマークにのせているので、
ぜひ見てみてください。

 http://ameblo.jp/okakeya/

 こんな温かいつながりをつくっていきたいですね。

                   岬人


 

あこう樹の下で

2011-02-14 | ブログ
 12日(土)の愛媛新聞に掲載された「伊予弁」について、感想の電話がありました。

 私の二名津中学校の時の恩師、二宮満子先生です。
毎回、切り取ってスクラップしてもらっているとのこと。

 二宮先生は現在、松山に住まれていて80歳をこえています。
結婚されて三崎に嫁ぎ、25年間住まれました。
 
 退職とご主人さまを亡くされたことをきっかけに、
三崎を離れられました。

 しかし、三崎への思いは強く、
定期的にバスで通われ、地域の方々に人形作りなどを教えられていました。

 年齢とともに、来る回数も減っていきましたが、
三崎への思いは薄らぐどころか、
ますます哀愁とも重なり、強くなっているようです。
「三崎は、私のふるさと」
といつも言われています。

 そんな先生の思いも知っているので、
私は原稿を書く時にいつも先生の顔を思いうかべながら書いています。

 昨日の電話の最後に、次のように言われました。

「ふるさとを大切に思う気持ちがあれば、
たいがいのことは乗りきっていけるよ。
 ふるさとは、いつも元気をくれるんよ。」

             岬人