【京都・東山区】院号を善慧院という東福寺の塔頭であるが、明暗寺は日本の普化宗の開祖・虚竹(寄竹)了円禅師により創建されたとあり、善慧院としての由緒や縁起が分からない。 かつて、京都に、善慧院から出た覚心上人の弟子・明普が開いた普化宗の明暗寺が存在し、普化宗は経を詠む代わりに尺八を吹いて悟りの境地に入るという禅宗の一派とされる宗派。
普化宗は江戸時代に全盛期を迎え、虚無僧という集団を抱えて江戸幕府に接近し、隠密として全国に散って幕府を陰から支えたと言われるが、明治政府によって廃宗に....。
その後、明暗寺教会が設立され戦後に宗教法人として認められたが、宗派と呼べるほどの規模はなく、善慧院に間借りして普化宗本山で尺八根本道場としている。
東福寺塔頭である善慧院だが、山門には「善慧院」と「明暗寺 尺八根本道場」の表札が掛けられ、しかも「明暗寺」の方が大きくて目立つのだ。 また、門前の石碑にも「明暗寺」と刻まれており、まるで善慧院が明暗寺に乗っ取られつつあるような感じに思えた。
この寺院は一体どうなっているのだと混乱しながらも、とにかく、山門をくぐって境内に入ると、直ぐ左手に「吹禅」と刻まれた大きな石碑が....流石に尺八根本道場であることを感じさせる。
調べると、「吹禅」とは座禅の姿勢で尺八を吹きながら悟りの境地に入ることらしい。
境内参道の奥に本堂が建ち、右手には石灯籠2基と石碑が立つ白緑色に苔生した小さな庭が....なんだか、いまにも庭の奥から深編笠を被った虚無僧が尺八を吹きながら現れるような錯覚に....。
閑静な門前
山門....善慧院と明暗寺の表札が掛る
山門から眺めた境内
「吹禅」と刻まれた大きな石碑
境内参道....参道奥は本堂か?
本堂?
庫裡
何の碑だったか失念 境内の参道脇に立つ石灯籠
境内の苔むした庭
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