歴声庵

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伝習隊とシャスポー銃

2010年05月22日 19時21分29秒 | 戊辰戦争・幕末維新史

 紅様と入潮様にコメントを頂きました、先日の軍事史学会で指摘された「伝習隊がシャスポー銃を装備していたとは思えない」について書かせて頂きたいと思います。またこの記事をもって、紅様と入潮様のコメントに対するご返事とさせて頂きたいと思いますので宜しくお願いします。
 さて当サイトの野州戦争の記事を読んで頂ければ判る通り、私は根拠となる文献史料こそ無いものの、状況証拠的に伝習隊がシャスポー銃を装備していたのは間違いないと、当サイトの野州戦争の記事は伝習隊がシャスポー銃を装備していたと言う前提で書いています。
 しかし最近の学説では、伝習隊はシャスポー銃を装備していなかったと言う説が主流であり、今回機会がありましたので、この辺を質問させて頂いた次第です。流石に著書に「シャスポー銃を持っていなかった」と断言しているだけあって、この質問をされるのを予想していたらしく、見事に論破されました。
 まず私が伝習隊がシャスポー銃を装備していたという仮説の根拠にしていたのは、紅様と入潮様にも書いて頂きました、南柯紀行に書かれている「今すでに五千発位は出来たけれども製作良しからず軍用に供しがたく」との記述と、「野州戦争序盤における大鳥軍の優勢」をシャスポー銃を使用していたからではないかとの二点だったのですけれども、二つとも見事に論破されました。
 まず「弾丸の制作の失敗」は、シャスポー弾のハトロンカートリッジを作るのに失敗した事を指しているのではとの私の意見に対し、ミニエー弾でもハトロンは使用しているので、あの言葉だけではシャスポー銃のハトロンカートリッジとは断言出来ないとの言葉には、反論が出来ませんでした。確かにミニエー銃も弾丸と火薬をハトロンに入れて簡易カートリッジにしていますものね。
 続いて野州戦争序盤での伝習隊の優勢こそがシャスポー銃を持っていたと言う状況証拠との主張、結構こっちは自信があったものの、曰く当時はシャスポー銃装備での教本が日本には入ってきていない。当時の日本にある教本は前装施条銃のみ、教本が無いのに小隊規模で後装施条銃の行動が出来るわけがない。そして何より幕府が仏から供与されたシャスポー銃はナンバリングされていて、このナンバリングされている銃がそっくり全部新政府軍に接収されている。数十挺単位なら、別ルートで購入したシャスポー銃と言う可能性もあるが、ニ個大隊分のナンバリングされていないシャスポー銃が存在していたと言うのは有りえないとの意見には反論のすべがありませんでした。ただし個人レベルではシャスポー銃を使っていた者は居ただろう。この言葉には反論すら出来ない、正にぐうの音が出ないと言うものでしたね。
 尚、このナンバリングの件から、六月に大鳥軍が入手した後装銃と言うのはシャスポーではなく、スナイドル等のその他の後装施条銃ではないかとのご意見も頂きました。

 では何故、野州戦争序盤で伝習隊があれだけの精強さを発揮したかと言えば、前装施条銃とは言え教本で散兵戦術を訓練されているので、密集戦闘の訓練しかしていない軍勢では歯が立たないとの事でした。つまり野州戦争序盤の伝習隊の優勢は、装備している銃の性能ではなく、士官と兵の練度が高かった事が原因。つまりハードではなくソフトが優れていたからと説明をされると、確かにその通りと納得せざるを得ませんでした。ある意味私はシャスポー銃と言うハードに拘り過ぎて、伝習隊を見る視野が狭くなっていたのかもしれません。
 そうは言っても、長年「伝習隊=シャスポー銃」と言う印象を抱き続けた身としては、今回の件はショックだったのも事実です。しかし今回第一線で活躍されている研究家の方に自分の意見を述べる事が出来たと言う幸運を得たのですから、今回の経験を糧に「伝習隊が装備していたのはミニエー銃」と言う視点で、野州戦争の記事を書き直したいと思っています。幸いシャスポー銃の存在は否定されたものの、代わりに伝習隊の強さの所以は教えてもらったので、書き直す方針は既に示して頂いていると思っています。