歴声庵

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3月21日(月)のつぶやき

2016年03月22日 01時02分36秒 | twitterまとめ

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徳川義軍府の編成について、私なりの解釈。五個大隊編成だったのか?、四個大隊編成だったのか?→四個大隊+αだったと推測。第一~第三大隊は通説どおり軽歩兵(撤兵隊)の第一~第三大隊がそのままスライド。第四大隊は、重歩兵(徴募兵)の一個大隊(これは根拠史料あり)


そしていわゆる第五大隊は、この軽歩兵三個大隊と重歩兵一個大隊が、江戸城開城時に脱走した際に、追従した集団(恐らく、個人単位の重歩兵による集団)と推測。第四大隊の様に部隊単位の脱走ではないので、大隊長が存在せず、編成する時間も無かったので、実戦には参加しなかった。


結局、この幻の第五大隊は、本営付の第四大隊と共に真里谷に駐屯していたものの、第一・第二大隊が市川・船橋で、第三大隊が五井・姉ヶ崎でそれぞれ敗れると、新政府軍が真里谷に迫るのを受けて、離散・消滅してしまったとのではないかと推測しています。


それにしても、以前も書きましたが、イメージ的には軽歩兵よりも重歩兵の方が精強そうなのに、徴募兵の重歩兵よりも、士分による軽歩兵の方が精鋭部隊扱いだったと言うのがややこしい。
しかし、何よりややこしいのは、実戦で一番活躍したのは、徴募兵の伝習大隊だったと言うオチですね(汗)


@momi_man2単純に軽戦車よりも重戦車、軽爆撃機よりも重爆撃機の方が強力そうだからです。尚、わざわざ「イメージ的」と書いているので、その考えが間違っていると言われても、どう返答すれば良いのか判りません



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