白河の羽鳥街道沿いの、堀川東岸に位置した「古天神山」。白河戦では激戦地だったものの、宅地整理の時に削られてしまい、今は面影すらありません(涙)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年9月19日 - 00:21
確実に歩兵台場は築かれていたのに、残念です。
さて、以前も書いたように、白河には「天神山」と「古天神山」の双方が存在していますが、当事者達が区別をつけていないので、資史料を読んでいても、どちらで戦ったのか混乱してしまいます(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年9月19日 - 00:24
更に天神山も古天神山も、守っていたのは土佐藩兵なのが、更にややこしい(大汗)
中には、天神山から古天神山に援軍に行き、更に金勝寺山に援軍に行った小隊も居れば、天神山から直接金勝寺山に行った小隊も居るので混乱してしまいます。いや小隊で動いてくれれば良いですが、分隊規模で動くと何が何だか(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年9月19日 - 00:29
尚、金勝寺山も土佐藩兵の担当だったりします。
ぎゃー、本当に(東)雷神山が在った~(汗) これで(北)雷神山、(南)雷神山、(西)雷神山、(東)雷神山の四つが揃い、資史料では、どれも単に「雷神山」としか記述されていません(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年9月19日 - 00:51
尚。(東)雷神山は白河領と棚倉領の中間に位置しており、何気に棚倉戦争で戦ってそうです(大汗)
島本町立歴史文化資料館に寄る。戊辰戦争時の薩軍の砲弾と、傷ついた柱が展示されている。淀川の対岸樟葉から飛んできたもの。ということはこの辺に幕府軍の陣地があったということ?学芸員さんのお話では、元は高浜に幕府の砲台があったとされてい… twitter.com/i/web/status/9…
— mattan (@mattanroad) 2017年9月18日 - 21:08
@dapakuma ぜひぜひレポを楽しみにしています(=゚ω゚)ノ
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年9月19日 - 20:42
@ren_ka7 流石に雷神山には驚きました。この狭い範囲で、同じ名前の山が四つもあるとは、当時の人に抗議したいくらいです(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年9月19日 - 21:46
まあ、おかげさまで白河の地名は結構判ってきましたが、流石に五番目の雷神山は出て来ませんよね(大汗)
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