歴声庵

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夏コミ宣伝

2009年07月21日 22時23分07秒 | 雑記

 友人のまりも大尉のサークル「幕末ヤ檄団」が夏コミに参加するので宣伝させて頂きます。三日目の日曜日16日、西館1Fのむ-34b、サークル名は前述の「幕末ヤ檄団」です。
 新刊は『明治維新 会津戦争Ⅱ編』、俗説が広まっている会津戦争が何故起こったかを史料を元に丹念に説明した72ページもの大作となっています。俗説が半ば定説と化している会津戦争史の史実を検証してくれます。
 「小説」では満足出来ない、知識欲の強い方にお勧めします。
 奇しくも雑誌歴史群像にて坂本犬之介クンによる会津戦争の記事が書かれていますけれども、読み比べて頂くのも面白いと思います。もっとも会津観光史学の走狗である坂本クンにとっては、本新刊は「史実」を書いているので、比べてほしくはないでしょうが・・・(嘲笑)

 また本新刊では、私も「会津藩から北越戊辰戦争」を書かせて頂いています。当記事では会津贔屓からもあまり知られていない、会津藩による越後出兵が、どのような経緯を経て破綻したかを書かせて頂きました。
 尚、当記事では本来のテーマとは別に、会津藩による越後の民衆に対する略奪蛮行を詳しく書かせて頂きました。ネットの普及のおかげで、近年越後における会津藩兵の略奪蛮行が知られるようになりました。しかし未だ会津贔屓はこの「史実」を否定したり、罪を衝鋒隊になすりつけたりしています。
 本記事では各種史料・先行研究・郷土史を駆使して、一連の会津藩による越後での略奪があったか否かの論争に終止符を打つつもりで書きました。
 それとは別に、越後の民衆から略奪を欲しいままにした会津藩兵と対比する形で、越後の民衆を大事にした、米沢藩上杉家についても書かせて頂きました。これは現在米沢藩が、大河ドラマの影響で注目を受けているのを受けて、会津観光史学の走狗達が、「米沢の正義は会津と共にあった」などと歴史を捏造しないように、予め釘を刺させて頂く内容になっています。


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1 コメント

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CM (梅原)
2009-07-22 22:38:01
やあやあ、どうもどうも。
幕末ヤ撃団主催の梅原です。
今回の新刊の宣伝をして頂き、ありがとうございます。

 私の方からは「会津戦争はなぜ起こったのか」という点に絞り込み、討幕の密勅から世良修蔵暗殺までを検証しております。
 ぶっちゃけ、会津戦争は単純に<薩長が遺恨>をもって仕掛けた戦争と説明される事が多いのですが、そりゃ本当かえ?。という疑問に終止符を打たんと調べた訳でございますな。

 正直に言えば、薩長と単純に言っても、京都の太政官(明治政府本体)、江戸の大総督府、地方派遣軍の奥羽鎮撫総督府に東山道総督府に別れます。これらがそれぞれ違う意志をもって会津藩と相対しています。
 また、佐幕派にあっては徳川宗家、大鳥圭介ら旧幕府脱走軍、平和解決を望む仙台米沢両藩の三派に分かれ、これまたそれぞれが違う意志をもっています。
 そして明治政府に参加しているが、薩長とは別の意志を持つ土佐藩や越前福井藩が、会津藩処分に加わってきます。
 会津戦争とは、これほど多数の政治勢力が関わりました。
 そして、会津藩自身も表面上武備恭順という態度を取りましたが、裏では庄内藩と会庄軍事同盟を結び、仙台米沢藩の主戦派と組んで薩長軍との戦争を意図します。
 
 各派閥が各々の思惑で動いた結果、会津戦争が起きました。なぜ、このような<最悪>の選択をしたのか?。まぁ、そんな事を史料の抜粋を多く掲載しながら、説明していくという内容です。
 乞うご期待ください。
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