歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

3月12日(月)のつぶやき

2012年03月13日 01時15分26秒 | twitterまとめ
23:14 from web (Re: @k_komatsu__
@k_komatsu__ 上杉方となった七尾城がどのようにして、織田領になったのかと言うのが長い間疑問だったのですが、それが菅屋長頼に、遊佐や三宅が恭順したからと言うのが、私が菅屋を知ったきかけでした。

23:19 from web (Re: @k_komatsu__
@k_komatsu__ 織田氏の北陸方面軍と言えば、柴田勝家や佐々成政ばかりが頭に浮かんでしまいますが、越中や能登の国人衆の粛清や、今回小松さんが教えてくれた、上杉家の外交窓口だったのを考えると、菅屋は北陸方面軍の隠れた実力者だったのでしょうか。

23:19 from web (Re: @k_komatsu__
@k_komatsu__ そんな菅屋の知名度が低いのは、やはり本能寺の変で歴史の表舞台から消えてしまったからでしょうか。

23:24 from web (Re: @toramasan
@toramasan @k_komatsu__ 小松さんの返事にも書きましたが、武田勝頼が織田氏との和議を図っていたのは有名ですが、景勝も織田氏との和議を試みていたとは知りませんでした。朝廷も掌握していた織田氏と敵対しては逆賊にされるので、その意味でも和議を目指したのたでしょうか

23:29 from web
『明治維新と前山清一郎』読み始めたのですが、いきなり奥羽鎮撫総督府の話から始まってビックリ。普通こう言う本って、前山の生い立ちや、前山家の役職や禄高の紹介から始まると思うのですが、そのような前情報無しで、いきなり公家の九条の救出作戦から始まるとは、随分思い切った本だな~。

by tukaohtsu on Twitter

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2 コメント

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戦偏重 (対他落ち)
2012-03-20 14:59:41
はじめまして。

筆頭格の菅谷長頼に限らず、織田家の5奉行は知名度低いですね。
後に兵を率いる堀秀政以外。

つまる所、「戦」偏重(せいぜい策略まで)の歴史感と、秀吉による後継が、そうさせているのだと思いますよ。

さらに重要なポストについていた筈の、松井や武井などの知名度も酷いものですものね。

菅谷については、上杉討伐後、越後以東に柴田勝家を置き、越前(北陸)は菅谷長頼に任すという構想もあった様ですよ。
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Unknown (つか)
2012-03-20 17:17:42
対他落ち様

 はじめまして
 軍事偏重の歴史観は確かにあると思います。実際私が菅屋を知ったのも、「織田氏がどのようにして上杉家から七尾城を奪取したか」を調べた時で、行政官としての菅屋を知ったのはその後です。もし菅屋の能登・越中衆の恭順工作や粛清がなければ、私も堀しか知らなかったかもしれません。松井や武井についても、織田家の行政官と言う認識しかなく、両名が具体的に何を行ったのかは知らなかったりします。

>上杉討伐後、越後以東に柴田勝家を置き、越前(北陸)は菅谷長頼に任すという構想もあった様ですよ。

 これは知りませんでした。もし本能寺の変が無ければ、菅屋はもっと歴史に名を残したのかもしれませんね。
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