武雄淳氏の「アームストロング砲とスペンサー銃」が載った『湯か里』第六十三号(武雄歴史研究会、2010年3月)が持ち出し荷物の中から見つかり安堵している。佐賀藩が購入したアームストロング野砲についての詳細を極める論考。しかしその末に「このようにアームストロング砲について現在流布して
@take_nakanishi いる情報には、間違ったものも多い。幕末維新に他藩に先駆け兵制の改革を行い、アームストロング砲を導入し、また戊辰戦争にはこれらの最新装備の軍団を遠征させた郷土の歴史を正しく伝えるため、その記念館たる「蘭学館」を擁する武雄において、真実の情報を発信して
@take_nakanishi いくことが重要と考える。」とあるのに痛憤の涙を禁じ得ない。先代武雄市長は幕末佐賀藩の近代化、佐賀藩の戊辰戦争関与の研究に対しても計り知れない大きな損害を与えたものであると改めて恨みを抱く。
佐賀新聞の記事は「破裂弾ではない空弾が混じっていたので城内の女性や子どもの犠牲が少なくなり、城の損傷も最低限に抑えられた」との説が披露されたとある。空弾とは何ぞや。破裂しない砲弾の意か。それなら間違いはない。多久邑兵のアームストロング砲は、城壁破壊用の実体弾を専ら撃っていたから。
@KeisarSan @itaru_ohyama 回答が遅くなって大変申し訳ありません。慶応2(1866)年の「長崎御注文方控」によれば武雄領主鍋島氏が「六封度銃セグメント弾タイムヒューズ付」「六封度タイムヒューズ」を購入しています。6ポンドアームストロング野砲が時限信管付榴弾を
@KeisarSan @itaru_ohyama 使用していたことは間違いないでしょう。また編纂資料ですが『佐賀藩銃砲沿革史』によると上野彰義隊戦争時には砲1門につき砲弾300発(着発弾150発、散弾150発)を持参したとありました。以上御参考までに。
フヒヒ…、『ちゃおび』の最新回で、石原さんに投稿を読んでもらって喜んでいます(^^;)
【?配信開始?】
「 #ちゃおび 」が配信されましたー! クリスマス直前臨時号? 約13分ほくほくっとお送りします(*´ ? ` )?? m.youtube.com/watch?feature=…
@jyagamai 今回も楽しく聴かせて頂きました(^^) 『ガルパン』で、聖グロリアーナのスピンアウト作品是非観てみたいですね。次期隊長候補として、分遣隊隊長となたペコさんの奮戦とか、燃える展開だと思うのですが(^^;)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます