歴声庵

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9月28日(土)のつぶやき

2013年09月29日 01時02分37秒 | twitterまとめ

この前の『八重の桜』は録画を失敗したので、再放送を見る為の待機中。それなりに楽しみにしていた西南戦争編ですが、見ている方の評価は散々なようですが、さてどんな感じかな...。


第一次宇都宮城攻防戦にて、土方歳三が桑名藩兵を率いたと書かれている本を時々見ますが(北関東戊辰戦争など)、その根拠となる史料って何でしょう。自分なりに探しましたが、未だに見つからず。個人的に第一次宇都宮城攻防戦で、土方が何をしていたかは非常に気になるのですが...。


第一次宇都宮城攻防戦に参加した大鳥前軍は、伝習第一大隊・桑名藩兵・回天隊と言われていますが、伝習第一大隊の『谷口四郎兵衛日記』、桑名藩兵の『泣血録』、回天隊の『野州奥州戦争日記』等のどの史料にも、土方が何をしていたかが書かれていないのですよね。


『谷口四郎兵衛日記』を読むと、後方勤務に就いていたようにも読めるので、実は土方は本営の幕僚勤務をしていたのかなとも思ってしまいます。余談ながら谷口の日記には「土方」と書かれている一方で、回天隊の日記には「内藤隼人」と書かれているのが興味深かったです。


西南戦争を描くと聞いて、絶対斉藤が佐川の最期を看取る展開になると思いましたが、本当にそうなりましたね。今更ですが、実際の西南戦争ではこの二人は別々の部隊に所属しているので、この描写フィクションです(^^;)。


紐を引っ張って大砲を発射したと言う事は、紐の摩擦熱で着火用の爆発を起こし、発射用の火薬が誘爆する方式かな。どうも大砲が摩擦熱着火式から、雷管着火式に転換された時期ってイマイチ判らなかったりします。


西南戦争が終わり、維新三傑も亡くなったとなると、今後益々トレンディードラマ化が加速しそうですね。そろそろ潮時かな~。


朗読劇「夏の海で逢いましょう」見てきました~。最後が綺麗な終わり方だったので、個人的には好みの話でした。


@jyagamai 本日見に行かせて頂きました。最後が綺麗な終わり方の話でしたし、演技も素敵でした。このような機会がまた有れば良いなと思っています。


『南柯紀行』に、六月初旬に横地秀次郎が、藤原戦線に小銃を補充に来た事が書かれていますが、「元込銃及び小銃」と書かれているのを見ると、後装銃と前装銃をそれぞれ持参したと考えて良いのかな。持ち込まれた小銃の数や、前装銃と後装銃の割合は書かれていませんが(続く)。


江戸から持ってきたとなると、前装銃は多分ミニエーじゃないかな?。実は後装銃だけが持ち込まれていたと思っていたので、数はそんなにないのではと思っていたものの、ミニエーならばかなりの数が持ち込まれたのでは。会津藩から補給を受ける以上はゲベールかヤーゲルを使っていたのを考えると(続く)


ミニエーでもかなりの戦力強化でしょうね。この後装銃とミニエーの補充が藤原渓谷の戦いに与えた影響は大きいでしょうね。尚、大鳥はこの後装銃と前装銃を第一・二・三大隊で分配したと書いていますが、そうなると第四大隊(草風隊)や別伝習隊や回天隊には分配されなかったのね(汗)。



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