そんな訳で、崩し字辞典を片手に浅田の『北戦日誌』を読む私。しかし読めない字は読めないので、「誤訳も亦妨げず、唯速訳せよ」との、江藤新平の言葉を曲解したい誘惑に駆られつつあります(^^;)。
昨日の続き。浅田惟季の日記と、河田左久馬の日記の違い。両方崩し字ですが、浅田は一文字一文字が個別に書かれているのに対して、河田のは文字が繋がったように書かれているのですよね。だから浅田の日記は読めない字があっても、前後の字から何となく意味が判るのですが(続く)。
河田の日記は読めない字があると、そのまま一気に読めなくなってしまう感じがします。これは勿論私が勉強不足なのが原因ですが、それでも浅田の日記は頑張れば読める気がします。ちなみに一文掲載してみると(続く)。
「就中、伝習第二の●五十八人故に今存●の弐百人に●●に八小隊を合併して四小隊と為●」この黒丸の部分が読めないのですが、それでも「伝習第二大隊の損害が58名だったので(200名を割った)、8個小隊編成だったのを4個小隊編成にした」と書いていると思うのですよね(続く)。
そんな訳で伝習第二大隊が、鬼怒川渓谷の戦いでは4個小隊編成だったとの根拠には出来ると思います。本当にこの浅田の『北戦日誌』は宝の山なので、頑張って読み込みたいと思います。
@momi_man2 すいません、読めません(汗)。特に旧かなはボロボロです(汗)。それでも漢字を手がかりに頑張って読んでいます。本当は浅田の日記の書き方ならばスラスラ読めなくてはいけないのですが、明らかに力不足です...(汗)。
@yumiko_kofu 今回も楽しかったです。今から三人による春のツイキャスを楽しみにさせて頂きます(^^)。
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