長島進著『覚王院義観の生涯』読了。新知識を得られればと思い購入しましたが、最近読んだ本の中では希に見る悪書でした(汗)。とにかく全編わたって、薩長に対する憎しみが渦巻いてる、負のイデオロギーにまみれて、愚にもつかない俗説が書かれている、星亮一・中村彰彦レベルの本でした(続く)
(承前)薩長の事を「奸賊」と書いたり、「官軍と称する薩長」と書いたりなど、薩長に対する憎しみで溢れています。そして、そんな悪の薩長に立ち向かった、「正義の義観」とのスタンスで書いている、言わば自分に酔って書いているのが伝わってきてしまいます(続く)
(承前)著者の視点が、薩長に対する憎しみで曇っているので、新政府側の成功が「薩長が卑怯な手段で行った」と書かれ続けます。特に失笑だったのが、鳥羽伏見の勝因を「薩長が卑怯にも錦旗の偽物を用意した」と熱弁しますが、どうしてアンチ薩長の連中って、錦旗がまだ出ない1月3日の戦いで(続く)
薩長連合軍が、数に勝る旧幕府軍に勝利したと言う史実を、頑なに拒むのだろう。行軍経路を鳥羽街道と伏見街道だけにして、薩長連合軍に兵力の集中を許した、旧幕府軍の戦略ミスこそ鳥羽伏見の敗因なのに、錦旗のせいにして旧幕府軍の失敗を認めようとしないのが、アンチ薩長の特徴ですよね(続く)
(承前)そして、上野戦争では星亮一と加来耕三が唱える、「会津藩兵を見せかけた、長州藩兵が上野内部に潜入した」と言う、先日捏造を指摘したこの愚説を書き出した時点で、この悪書は読む価値が無いと判断して投げ捨てました。しかもこの著者が、この愚説を主張する根拠として(続く)
(承前)「当時の瓦版にこの説が書かれていた、一枚しか見つからないが、これは薩長が不都合な事実を処分したからだ」と、まるで江戸しぐさのような荒唐無稽な事を言い出す始末です。この当時の瓦版が、江戸市民の希望的観測ばかり書かれて、事実に反した事ばかり書かれたとの史実は(続く)。
(承前)この薩長に対する憎しみで凝り固まった御仁には判らないのでしょうね。何はともあれ本書は、アンチ薩長の人達が傷を舐め合うのには適していますが、史実を知りたい、知識を得たいと思う方には、何の役にも立たない悪書だと言う事を明言させて頂きます。あ~あ無駄な時間を費やしてしまった…。
前も書きましたが、今回の大河は荒木村重や宇喜多直家や安国寺恵瓊と言った、今までまり脚光の当たらなかった人物をクローズアップしてくれたのは良かったと思うのですよね。官兵衛自身の描写は首を傾げますが、それ以外の人物の描写は結構良いのでは。
@naishimasahiko 最期は、頼った養子の甥に殺されてしまいますものね。すっと越後で穏やかな老後を過ごしたと思っていたのに、最期を知って驚きました。そしてもっと驚いたのは、そんな憲政の墓が米沢に在る事です。あれって、やっぱりわざわざ景勝が指示したのでしょうね。
「城を捨てた城主」でTLが盛り上がっていますが、ここは城主(藩主)が居城を攻撃して占領した、結城藩主水野勝知をアピールしたいです(^^;)。しかも居城を攻めるのに、兵数が少ないので、よそ者の彰義隊に援軍を求める始末でした。
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