土佐藩士宮地團四郎の日記を読んでいたら、大村益次郎の事を「長州藩の軍師」と書いていました。大村が他藩士にどう認識されていたかが判ると共に、幕末の時点で「軍師」と言う言葉が、現在と同じ風に考えられていたのが判って興味深かったです。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年1月13日 - 18:48
そう言えば伊地知正治や、二本松藩士にも軍師と呼ばれる人物が居ましたから、既に幕末の認識では「軍師=作戦を立案する人」だったのでしょうね。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年1月13日 - 18:51
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