世良修蔵=チンピラという描き方はやっぱり小説の害悪なんだろうな。
— おいでよ山口@民俗 (@minzokunokai1) 2018年7月17日 - 22:10
京都大学付属資料館とかのWEB史料みると本人の直筆の資料とか見られるけどね。
「白虎隊」にしても「八重の桜」にしても、小説の影響とはいえ迷惑な話。
読売新聞の本日(7月18日)号掲載記事の「戊辰戦争の考古学」にて、て、少し協力させて頂きました。新政府軍と同盟軍の指揮系統の違いや、母成峠の戦いについてお話しさせて頂いています。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年7月18日 - 07:12
当記事では、馬入峠や母成峠の陣地遺構についても説明されています。西南戦争研究では、この様な遺構調査などの考古学的手法での研究が盛んですが、戊辰戦争の遺構調査はまだまだ進んでいないので、今回の記事が機会となってくれればと思っています。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年7月18日 - 07:16
読売新聞の本日(7月18日)号掲載記事の「戊辰戦争の考古学」にて、少し協力させて頂きました。新政府軍と同盟軍の指揮系統の違いや、母成峠の戦いについてお話しさせて頂いています。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年7月18日 - 07:27
誤字があったので、訂正させて頂きました( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年7月18日 - 07:28
敗者には、負けるだけの理由がある。 pic.twitter.com/Ln3zaPGv88
— ドンじょぶお (@urakkun26) 2018年7月18日 - 08:07
@urakkun26 奥羽列藩同盟はあくまで同盟なので、基本合議制で他藩兵の指揮は出来ませんでした。一方新政府軍の方は、例えば北越戦線では参謀の山県有朋が、松代藩兵総括隊長の家老を飛び越えて、松代藩の小隊長に直接指示をするなど、即断即決が可能なのが、合議制の同盟軍と異なりました。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年7月18日 - 23:45
@b27e66 ありがとうございます(*´ω`*) ちなみに例として板垣が出て来たのは、私の趣味です(* ̄∇ ̄)ノ
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年7月18日 - 23:46