棚倉戊辰戦争(6/24)にて、棚倉藩の一次防衛ラインになった郷戸(郷戸?)村の場所が判りません。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年10月22日 - 00:35
棚倉街道沿いで、記述からして金山村や番沢村より白河寄りと言うのは判るのですが、具体的な場所が判らないのがもどかしい…。
ところで棚倉戦争と言っても、棚倉藩兵が組織的な抗戦が出来たのは、この郷戸村・番沢村・金山村の棚倉街道沿いのラインだけで、棚倉城自体は戦わずに落城しています(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年10月22日 - 00:40
棚倉城自体は戦わず落城しましたが、その前の棚倉城北部の丘陵地帯に陣地を設けて、抗戦はしています。この丘陵地帯には中世山城の赤館城も含まれており、棚倉藩兵はこの赤館城にも陣地を設けたのではと考え中。むしろ棚倉城を見下ろせる赤館城に兵を入れなかったら、棚倉藩の司令部は駄目でしょう。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年10月22日 - 00:52