歴声庵

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東海道:川崎宿

2012年04月15日 18時46分14秒 | 登城記・史跡訪問

 川崎に住んで七年余にして、初めて川崎宿巡りをしました。しかも今月末に引っ越すので、恐らく最後の訪問になると思います。折角近くに住んでいるのですから、もっと早くから訪れていけば良かったと後悔しながらの訪問でした。
 さて川崎宿は皆さんご存知の、東海道に五十三在る宿場の一つで、日本橋から二番目の宿場です。品川宿と神奈川宿の間の宿場になります。多摩川を渡ってすぐに宿場の入口が在る作りになっていました。
 尚、戊辰戦争の際は、新政府の東海道鎮撫総督府軍が川崎宿を経て、江戸に進軍しています。


 六郷の渡しの解説版と多摩川。川崎側から対岸の東京側を見て。


 矢口の渡し跡の標柱。多摩川の渡し場では、東海道の六郷の渡しと、中原往還の丸子の渡しの中間に位置します。


 旧東海道の現況。




 田中本陣の標柱と、周辺の現況。川崎宿には全部で三つの本陣が在ったそうです。


 宗三寺に建つ遊女の供養碑。川崎宿には多くの飯盛り女が奉公していたので、その供養碑です。




 問屋場(宿場役人の詰め所)跡の標柱と、周辺の現況。


 旧東海道と、現新川通の交差点辺りに建つ小土呂橋の親柱。江戸時代はこの新川通は水堀が通っており、この堀に架かっていた旧東海道の橋が小土呂橋です。現在は新川は埋め立てられ道路になっていますが、そこに架かっていた小土呂橋の親柱が移設されていました。




 川崎宿の京入口の説明版と、周辺の現況。


 経安寺の山門脇に建つ灯篭。「宿内安全」と掘られているのが見れます。


 川崎宿を出て、神奈川宿へ向かう道筋の八丁畷付近の現況。意外かもしれませんが、川崎宿は隣の品川宿と神奈川宿と比べると屋数がすくなかったそうです。


 八丁畷付近に建つ、行き倒れの人や、災害で亡くなった身元不明の方を埋葬した供養碑。

 冒頭に書いたとおり、折角川崎宿の近くに住んでいながら、今回が最初で最後の訪問になってしまいました。今度は小机城址の近くに引っ越すので、同じ失敗を繰り返さないように意識して小机城址を訪れたいと思います。

 訪問日:2012年04月15日
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